【8】-閑話- 瑠璃視点
ヒロイン視点となります。
「ただいま戻りました、瑠璃お嬢様。風馬様をお見送りしてきました」
「ありがとうございます。千鶴さん」
風馬くんが部屋から出たあと、わたしは一人でリビングの片付けをしていた。
とはいえ、段ボールやヌイグルミ、空きのペッドボトルで床が埋め尽くされており、どこから手を付けたらいいのかわからない。
千鶴さんは部屋の惨状を眺めたあと、腰に手を当てて深いため息をついた。
「わたしくは恥ずかしいです。入居してまだ一ヶ月しか経っていないというのに、よくぞまあここまで汚くできましたね」
「わ、わたしだって最初は頑張ってお掃除していましたよ。でも、段ボールは畳むのも一苦労で。気がついたらゴミの日が過ぎていて。放っておいたら次の荷物が届いて……。永久機関って怖いですね」
「お掃除が面倒で大変なのは存じております。世の皆様はそれを普通にこなしているのですよ」
千鶴さんは積まれた段ボールの山をポンポンと手で叩きながら、またため息をつく。
段ボールには通販で買った洋服やヌイグルミ、日用雑貨などが入っていた。
一人暮らしを始めるときに買ったものだが、箱は潰さずにそのまま積んでしまっていた。
「甘やかすなと会長から釘を刺されていますが、さすがにこの惨状は見過ごせません。足の踏み場もないじゃないですか」
「ですから風馬くんにお掃除をお願いしたのです。わたし一人の力で暮らせとは言われていますが、人を雇うなとは言われてませんから」
「お嬢様はしたたかですね。そういったところは会長にそっくりです」
千鶴さんはクスリと微笑むと、エプロンのポケットからスマホを取り出した。
「風馬様との連絡はグループチャットで行います。お嬢様もグループに入りますか?」
「ご一緒してよろしいんですか?」
「風馬様と直接やり取りした方が何かと楽でしょう。お嫌でしたらわたくしが窓口になりますが」
「い、いえっ。ぜひグループに入れてください」
わたしは慌ててスマホを取り出すと、千鶴さんの元へ駆け寄ろうとして。
「きゃわっ!?」
落ちていたペットボトルを踏んでしまい、その場に転んでしまった。
「あいたたた……」
「まあ大変。大丈夫ですか。お尻が二つに割れてませんか?」
わたしが廊下に尻餅をついていると、千鶴さんは慌てた様子もなく、むしろ冷たい目を向けてきた。
いつものことなのでわたしも驚かず、すねたような視線を千鶴さんに向ける。
「仮にもわたしのお付きですよね。もっと心配そうにしてくださいよ」
「わたくしはあくまで秘書ですので。ドジなお嬢様の尻拭いは業務に入っておりません」
千鶴さんは澄まし顔を浮かべると、そっと手を差し伸べてくる。
「ですので、こうしてお世話を焼くのはわたくしの趣味です。お嬢様の笑顔を見るのがわたくしの生きがいですから」
「千鶴さん……」
わたしは千鶴さんの手を握り、その場に立ち上がる。
「いつもありがとうございます。今回もわたしのワガママを聞いてくださって」
「風馬様を試したのはわたしくのためでもあります。常にお嬢様の傍にいられるわけではありませんからね。信頼のおける従者を選びたかったのです」
千鶴さんとはわたしが幼少の頃からの付き合いで、いつも傍で支えてくれていた。
わたしにとっては姉のような存在で、とても頼りになる人だ。
クールで大人びた魅力も宿していて、女性としての憧れでもある。
けれど、甘えてばかりいたのが原因で独り立ちが遅れてしまった。
お父様はそれも見越して、千鶴さんに部屋の掃除を手伝うなと言ったのだろう。
「風馬様の件、折を見て会長にお伝えします」
「やっぱりお父様に言うんですか……」
「当然です。家事代行のアルバイトとはいえ、年頃の男性をお部屋に招くのですから。それに……」
「それに?」
「ふふっ。言わずが花、ですわ」
千鶴さんはそこで含みのある笑みを浮かべて、わたしの頬を指で突く。
それは付き人や秘書としてではなく、妹をからかう姉のような態度で。
「わたくしはお嬢様の味方です。いまは風馬様とのお時間をお楽しみください」
「楽しむって……。風馬くんは真面目な方ですよ。一緒に遊ぶために雇ったわけじゃありません」
「では、業務以外の会話を禁じましょうか」
「わーーー! それはダメですっ。せっかくお話できる程度まで仲良くなったのにっ」
風馬くんとは高校に入ってからお知り合いになり、美化委員として一緒に活動をしています。
教室ではあまり喋りませんが、美化活動を行うときの彼は人が変わったように目が活き活きとしていて。
そんな風馬くんにお掃除の仕方を教わりながら、わたしも少しずつお掃除が上手になって。
風馬くんならわたしの部屋も綺麗にしてくれる。そう思ってお手紙を渡したのです。
「これまでは遠くから見つめることしかできませんでした。ですが、これからは気軽にお話できます。このチャンスを逃すわけにはまいりません」
「ですが、仲良くお喋りするために雇ったわけじゃないんですよね? ご自身でそう仰いましたもんね」
「うぅぅ……。それはぁ……」
千鶴さんの指摘にわたしは答えに窮する。涙目になっていたかもしれない。
わたしの泣き顔を見たのか、千鶴さんは肩をすくめて苦笑を浮かべた。
「意地悪が過ぎましたね。わたくしが口添えをいたしましたが、風馬様と契約を結んでいるのはお嬢様です。ご自由になさるとよろしいかと」
「本当ですか?」
「ただし、ご自分の立場をお忘れなきよう。ハメを外しすぎて天城の名に泥を塗るような真似だけはしないでください」
「肝に銘じます」
「よろしい」
わたしが頷くと千鶴さんは大学教師のように鷹揚に頷いた。
千鶴さんはわたしの家庭教師も務めているので、たまに先生みたいな物言いになるのです。
千鶴さんはスマホを操作すると、わたしに微笑みかけた。
「グループチャットにお嬢様を招待いたしました」
「わーーーい! これで風馬くんと24時間繋がっていられますね! あっ、見てください。さっそく風馬くんからお返事が。ヨロシク、ですって。ふふふっ♪」
わたしはスマホを掲げて小躍りする。
これで何度目になるでしょう。千鶴さんは呆れたようにジト目を向けてきた。
「風馬様の前でもそれくらい素直になれば話は早いのに」
「ほえ? 何のお話ですか?」
「鏡を見なさい、というお話です。そのような間抜け面ばかり晒していると千年の恋も冷めますよ」
「千鶴さん!? 言葉が過ぎますよっ」
「はいはい。申し訳ありません」
わたしが頬を膨らませて怒ると(激おこですよ!)、千鶴さんは肩をすくめて適当に頭を下げる。
懐かしいやり取りです。今は週に1,2度しかマンションに顔を出してくれないけれど、実家にいた頃は毎日のように楽しくお喋りをして。
だから、お母様がいなくても寂しくなくて……。
「これからは風馬様がお嬢様の面倒を見てくださいます。愛想を尽かさないよう、普段から身だしなみにお気を付け下さい」
千鶴さんは乱れたわたしの髪の毛を優しく撫でてくる。
それは泣いている子供をあやすお母さんのような柔らかな手つきで。
「今までありがとうございました。千鶴さん」
「お嬢様……」
わたしは万感の思いを込めて、千鶴さんの手を取る。
千鶴さんは一瞬だけ目を潤ませたあと。
「気が早いですよ。粗相をすればすぐにでも風馬様を解雇いたしますので」
いつものように冷たい視線を向けて、チクりと針を刺してきた。
けれど、わたしは屈しない。
「風馬くんなら大丈夫です。千鶴さんだって彼を信じたから採用したのでしょう」
「ふふっ。左様ですね」
わたしと千鶴さんは微笑み合う。
風馬くんに期待してる。それだけは二人の共通認識だったから。
わたしは千鶴さんの手を両手で掴んで呼びかける。
「今日はもう遅いので泊まってください。お父様が用意してくださったベッドは無駄に大きくて、持て余しているんです」
「お嬢様は本当に甘えん坊ですね。大人な女性を目指しているのでは?」
「今日だけは特別なんです。いいから一緒に寝ましょう。強権発動です」
「その調子で風馬様にも甘えてみてはいかがですか? きっと受け入れてくださいますよ」
「そうでしょうか?」
「硬派な男性ほど押しに弱いものです。もっとも彼は、見た目がお堅いだけで中身は思春期真っ只中のようですが」
「どういう意味ですか?」
「ふふっ。それもまた言わぬが花、ですわ」
わたしが首を傾げると、千鶴さんは唇に人差し指を当てて妖艶に微笑んだ。
第一幕終了となります! 以降はほぼずっとイチャイチャします。
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