【5】天城さんの秘密
「ずっと傍にいたのに、どうして顔を出さなかったんだ?」
「それは……」
俺の問いかけに天城さんは真っ赤な顔を俯かせながら、床に視線を泳がせる。
その目に映るのはゴミの山だった。
「生きててごめんなさい……」
「急にどうした!?」
いきなりのネガティブ発言に、俺は大声で突っ込んでしまう。
俺と天城さんのやり取りを隣で見守っていた千駄木さんは、そこで苦笑を浮かべた。
「勇気を出して風馬様をお呼びしたはいいものの、あまりの汚部屋っぷりに顔を出すのが恥ずかしくなったのです。それで慌てて部屋の奥に隠れて様子を窺っていた、というわけです」
「うぅぅ~。千鶴さんのいじわる。バラさないでくださいよぉ~~~」
澄まし顔でネタバラしを行う千駄木さんに対して、天城さんは涙目になりながら抗議の声をあげる。
千駄木さんは天城さんの秘書だと名乗っていたが、二人の間からは仲良し姉妹が戯れているような温かな空気を感じた。
「俺を部屋に呼んだのは天城さんだよな。大事な話ってなんだ?」
もはや告白する雰囲気ではないが、手紙には『大事な話がある』と書かれていた。
俺の問いかけに天城さんは廊下に落ちていた猫のヌイグルミを抱き上げた。
「お話というのはコレのことです」
「ヌイグルミ?」
「あっ、いえ。そうではなくて……」
なんと説明したらいいのか迷っているのだろう。
天城さんは猫のヌイグルミを抱きしめながら困ったように目を泳がせる。
「お嬢様の代わりに、わたくしから説明いたします」
天城さんがなかなか話を切り出さないので、千駄木さんがため息をつきながら説明を始めた。
「先ほども申し上げました通り、風馬様にこの汚部屋を綺麗にして頂きたいのです」
「どうして俺に頼むんですか? 掃除なら専門の業者に依頼すればいいじゃないですか」
「それには事情がございまして」
千駄木さんは玄関に置いてあったハンディ掃除機を手元に運ぶと、<天>のロゴマークを俺に見せた。
「風馬様はこちらのロゴをご存じですか?」
「それって、ネット広告をバンバン出してる天城グループのロゴですよね?」
無料漫画アプリの広告バナーで見たことがある。
天城グループといえば、家電、コンピューター、医療機器、電子部品などあらゆる電化製品の開発、製造を行う大手総合電機メーカーだ。
千駄木さんが手にしている『ダイナソー掃除機』(通称:ダイ○ン)は、腰を屈めずに長いノズルでゴミを吸い取れると主婦に大人気。天城グループの関連企業である『天城電機』の主力商品だ。
「お嬢様は天城グループ会長のご息女であらせられます」
「ええっ!? 天城さんがあの大企業のご令嬢!? 正真正銘のお嬢様じゃないか!」
「そんな大声で。恥ずかしいです……」
「100点満点のリアクションありがとうございます」
俺が驚きで目を丸くすると、天城さんは照れたようにヌイグルミで顔を隠す。
俺のリアクションに満足したのか、隣に立つ千駄木さんは感慨深げに頷いていた。
「大企業のお嬢様が部屋を散らかし放題、下着は脱ぎ放題。やりたい放題の放蕩三昧だと世間に知られれば、ブランドイメージが損なわれます」
「それはそうかも。今の時代、どこから情報が流出するかわからないですからね」
コンプライアンスの意識が低い清掃業者が、部屋の惨状をSNSで呟いたが最後。翌日にはネットで炎上して、株価が暴落することもある。
そこまではいかないにしろ、『天城家のご令嬢は汚部屋ガールである』とネットに書き込まれ、未来永劫マイナスイメージがつきまとうだろう。
「以上の懸念から口が硬く誠実で、伝説の掃除屋と謳われている風馬様に白羽の矢を立てたのです」
「伝説の掃除屋は置いておくとして……。俺のどこを見て誠実そうだなんて思ったんですか」
世間では不良だのなんだの陰口をたたかれているのに。
俺の問いかけに千駄木さんが続けて答える。
「さきほどのやり取りですよ。失礼ながら風馬様を試させていただきました」
千駄木さんは100万円が入った封筒を懐から取り出した。
紙幣をパラパラとめくり、わざと見せびらかせてくる。
「”ゲンナマ”はインパクトがありますからね。以前も同じように人を雇おうと致しましたが、大金を前に浮かれる者ばかりで」
「気持ちはよくわかります」
俺も大金を前に浮かれてまくったからな……。
「ですが、風馬様はわたくしの正体を疑い、事の真偽を確かめようとした。何よりも先にお嬢様の安否を確認した。優れた思慮の深さとすばらしい正義感の持ち主です」
俺を心から褒めてくれているのだろう。千鶴さんは俺に優しく微笑みかけてくる。
千鶴さんの言葉には嘘も裏もない。少なくとも俺にはそう感じた。
「素行調査を行ったのも、お嬢様をお任せするのにふさわしい御仁か確かめるため。経歴に問題なしと判断し、直接お顔を拝見して人となりを見定めることにしたのです。結果は……」
千駄木さんのもったいぶった言い方に、俺と天城さんは固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「合格です。風馬様にならお嬢様のお世話を任せられます」
「やりましたね風馬くん! 千鶴さんが人を認めるなんて滅多にないんですよ」
「そうなのか? あまり実感が湧かないけど」
今日会ったばかりの人だ。
仕事ができそうなオーラをまとっているが、千駄木さんのすごさがよくわからない。
「風馬様ならお嬢様の秘密を吹聴しないでしょう」
「それはまあ。人の悪口を呟く暇があったらバイトでも探します」
「ふふっ。ですから気に入りました」
俺が照れ隠しで頬を掻くと、千駄木さんは上品に口元を緩めて天城さんの背中を押した。
「わたくしからは以上です。続きはお嬢様からどうぞ」
「は、はい……っ」
天城さんは一歩前に出ると、猫のヌイグルミを抱いたまま上目遣いで俺を見つめてくる。
「わたしも風馬くんは素敵な男性だと思っています。こんなことを頼めるのは風馬くんしかいなくて」
「天城さん……」
前から気になっていた女の子に、素敵だなんて言われて嬉しくないわけがない。
だけど……。
「俺は天城さんが思ってるような男じゃないよ。さっきだって金に手を出そうか本気で悩んでた」
「でも、実際には手を出さなかった。ですよね?」
俺の自虐めいた言葉に、天城さんは人が変わったようにハッキリとした口調で事実を確認する。
「人の心は行動に現れるものです。風馬くんはわたしの思っていた通りの男性でした。だから信じられるんです」
天城さんはそう言うと深々と頭を下げた。
「どうかわたしのワガママを叶えてくれませんか? あなたにならわたしのすべてを委ねられると思うんです」
「天城さん……」
俺の顔が怖くないのだろうか。頭を上げた天城さんは俺の目を正面から見つめてきた。
宝石のような蒼い瞳は曇りなく透き通っており、本気で俺を信じているのがわかる。
これはただのお願いだ。断ったところで恨まれはしないだろう。
すべては俺の意思にかかっている。
俺は――。