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その四 娘の幸せこそ望まない母親はいると認める

 父の貸し馬屋は閉める事になった。

 約束通りヨアキムが馬を盗んでくれたから、貸し馬屋を続ける事はできなくなったのだ。

 でも父は良かったと喜んだ。

 無駄飯喰らいを抱えている方が大変だったと、さっさと死んでくれたら楽だったのにと、そう言い放ったのである。


 確かに貸し馬屋の利益は無いに等しいものだった。

 馬を一頭育てるにはかなりの金がかかるのだ。

 借金の形に奪っただけの貸し馬屋は、馬を死なすだけで父には邪魔なものでしか無かったようだ。


 まるで私みたいね。


「インケリ。あなたの嫁ぎ先が決まったわ」


 買い物から戻ると珍しく母が機嫌よく私を出迎え、さらに、私をさも大事な娘だという風に私の腕に自分の腕をかけると、そのまま応接間に連れて行くのである。

 私の足は脅えていた。

 断れるわけはない。

 だけど、いぼだらけの顔をした人や歯が汚れて真っ黒な人はいやだ、と神様に必死にお願いはしていた。


 自分の顔を考えなさいとよく言われるけれど、駄目な事は駄目なの。


 ドアは開き、私の背中は母親に強く押された。

 まず、父の後頭部が目に入った。

 父の対面には老夫婦だ。

 私は応接間のソファに座る人達の姿に、ぞっとするどころじゃなかった。


 ソファに座る老夫婦の姿は、呪いの館の亡霊として存在していそうな風貌であり、そのどちらも纏う衣服が汚いとしか言いようが無いのである。

 つぎはぎだらけのけば立ったドレスは何色なのか聞きたくなるほどだし、しわくちゃの肌は数か月見つけられなかった鼠の死骸みたいに干からびている。

 彼女の夫らしき男は、彼女と同じぐらいに、いえ、さらに汚い。

 二人の灰色の頭はもじゃもじゃで、きっと墓地からやって来たんだわ、そうとしか見えない外見なのだ。


 臭いし!!


 どうして見栄と外見ばかりの母と父がこの二人を招き入れ、なおかつ、応接間の高級なソファに座らせたりもしているのだろう?

 父はぐるっと振り返り、あとはよろしく、なんて言い放った。

 そして、応接間を出ていくでは無いか。


「おか、お母様。お父様は?」


「契約が済んだから金貨を金庫に片付けに行ったのでしょう」


「契約?金貨?」


「おお、べっぴんさんだなあ。俺のこせがれの嫁さんにぴったりだ」


「そうだあねえ、あんた」


 私は老夫婦の言葉に驚きたじろぎ、自分の母親に尋ねていた。

 もしかしたら、結婚相手はそれなりなのかと思いながら。


「お、お母様?む、息子さんは?」


「ええ。ふふ。人前に出られない身の上らしいの。パーティに連れ出せる外見じゃないあなたにはピッタリじゃない?」


 私は母の考えが良く分かった。

 母は私を苦しめる為ならば何だってするのだ、と。


 私はもう一度老夫婦を見返した。

 しっかりと見返して目が合うと、なんと、二人は私に笑みを返した。

 二人の微笑みは二人のみすぼらしさを全て払拭すものだった。


 温かく愛がある。


 私が母に望んでも得られなかったものではないか?

 それに、なんて二人の瞳は美しいのか。

 老夫婦の妻の水色の瞳は晴れた空色を映した水玉みたいだし、夫の方は緑色の葉っぱを閉じ込めた様な琥珀みたいなのだ。


 寝たきりなのか私のように醜いのか知らないが、彼等のどちらかの瞳を持っている人であるのならば、いいえ、単なる茶色でもかまわない。


 目の前の人達が毎日こんな優しい目で私を見つめてくれるのならば。


 私は彼等の方へと一歩進むとドレスの裾を掴み、出来る限り優雅に見えるように彼等に対して頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「こちらこそよろしく、お嬢さん。ではあなた。私はこの可愛い人と先に参りますわね」


 あら、老婆の言葉が聞いた事も無い綺麗な言葉になった?

 寄宿舎に妹が行く前に言葉の練習をしていたけれど、その時の家庭教師よりも滑らかで軽やかな話し方ではなくって?


 げほ、ごほ、うほほほ。


 夫の方が大きく咽始めた。

 彼が咳き込む度に口臭が漂うが、これは嗅いだことあるような、何だったかしら?


「う、うん。お前。いっくらきれいな嬢さんの前だからって、お前まで気取らなくてもいいんだぞう?」


「あ、あああ。そうだねえ、あんたあ。じゃああ、あたしは善は急げで、この嬢さんを待ち焦がれている馬鹿者に連れて行くねえ」


「ああ頼んだよ。愛する人」


 あら?今度は夫の方が綺麗な言葉で喋り、妻に脛を蹴られた?

 驚く私に気が付いたか、老婆は数十秒前の自分の言葉を実践するかの如く立ち上がると、老人にしては早い動きで私の前へとやって来た。

 そしてそして、私の二の腕を掴むと、私の母へと彼女は首を伸ばした。


「貰いますよう。文句は無いですよねえ」


 真っ黒い歯の口から吹き出した悪臭に母は顔を背ける。

 彼女の夫であるあの老人と同じ臭いを再び嗅いだことで、私はようやくこの臭いの元に気が付いた。


 スカンクキャベツの花の匂いだ。


 口臭じゃなくて、あの歯を黒くしたものが臭っているだけね。

 水色の瞳を持つ老婆は、臭いに苦しむ母の姿に嬉しそうに笑い声を立てた。


 まあ!

 母のドレスを引っ張って、自分の歯の汚れを拭いたじゃ無いの!!

 なんて人!


「きゃあ、あああ、何をなさるのおおおお!」


「汚れ物には汚れですわ」


 恐るべき女性は私にニヤリと微笑むと、それからさらに私をひっぱった。

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