その二 もしこれが一生に一度の出来事ならば
目の前で金色の貴公子が倒れた。
そもそもこんな素晴らしい男性がここにいるのは違和感甚だしく、倒れてしまった事は非常識だし、そして、助け起こした彼が怪我をしているのは異常事態だ。
「あ、あなた。どうなさったの?け、怪我をされていますけれど!」
「ヨアキムだ。怪我をしているのはわかっているから騒がないでくれ。人が来るとやばい」
私が助け起こした人は、人に見つかると、ヤバイ、お人らしい。
では、官憲を呼ぶ?
ヨアキムと名乗った男は私にニヤっと笑って見せた。
とても不敵そうに。
その笑顔で、私には彼が煽情小説のヒーローそのものに見えた。
図書館で見つけてこっそり読んだ、海賊を匿うお姫様の話よ。
「君は今すぐに家に帰るんだ。そして、何も知らない何も見なかったを通そうか。そのぐらいは俺の為にしてくれる、だろ?」
本当に追手のかかった海賊みたいな物言いだわ。
私は彼に誰にも言わないと言いかけて、だが、自分の指先が温かくて湿っていることで口を噤んだ。
「可愛い、君?」
私は台詞に対して反射的に彼から手を離していた。
支えを失った彼は、床に私が持ち上げていた分だけ落下してしまった。彼は床に体を打ち、怪我した所をぶつけてしまったのか、自分の体に腕を回して唸り声をあげた。
私は彼にすまないという感情よりも、殆ど毎日の自分の行動を取っていた。
私が馬の為に用意していた薬箱を引き出して、怪我した馬に手当をする、よ。
この場合は人間の男だけど。
「え、ちょっと、君!」
「怪我を見ないと手当てが出来ないわ。黙ってシャツを脱ぐか私に脱がさせて。私は毎日のように可哀想な馬たちの怪我の手当てをしているの。腕は確かよ?」
「待って。俺は馬じゃないし、羞恥心は人一倍なんだ。それにな、見守りがいない所で服を脱いだら君の名誉に関わる」
なんと、海賊は修道僧であったらしい。
では、戦う僧侶、ええと、それじゃあ昔の品行方正な騎士様の方かしら。
私の頭の中では、修道女と騎士の許されざる恋とそののちに騎士が戦場に赴いてそのまま死んでしまう悲恋物語が閃いていた。
ああ、あの話も泣いちゃったわ、と。
「君?」
「いいの、気になさらないで。私はこのこと自体を内緒にしますから、私の名誉に関わりません。さあ、脱いで」
ぱしっ。
ヨアキムが私の額を指先で弾いたのだ。
怪我をして青い顔をしている癖に、私に向ける顔はしてやったりの顔だ。
「あなたは何を?」
「裸の体を女性の柔らかい手で触れられて見ろ。俺が君を襲うかもしれない。そう考えなさいよ。その素晴らしきお道具箱を置いて君は逃げなさい」
私は彼の言いたいことが分かった。
こんな不細工な女と結婚になったら嫌だと言う事ね。
「いいから手当をさせて。汚れが残ったまま包帯を巻くとさらに化膿してしまうのはわかるでしょう?どうやらあなたの怪我は背中側の脇腹よ?」
「だが」
「安心して。私はあなたに結婚を迫らないから。自分が不細工だと知っているもの。父も母も私に持参金を付ける気もないわ。私は一生独り身なのは理解しているの。だから、だからこそ、綺麗な男の人の体は見たいわ」
ヨアキムは笑い出した。
私が人が集まらないか心配になるほどに彼は笑い、そして、両腕をお道化た様に開いて私に笑いかけた。
「お好きなようにしてくれ、我が美しき姫よ」
「揶揄うなら一番染みるお薬を使うわよ」
「どうして?揶揄っていないよ」
「私が不細工なのはこの町では確定事項なの。赤茶けた髪に犬みたいな黒い瞳、女の癖に口が大きすぎるし、そうそう、日に焼けている」
「この町は童貞ばかりか!いいか良く聞け。百戦錬磨の俺に言わせれば、君の外見は素敵だ。何て綺麗な輪郭だろう。君の可哀想な程に固く結った髪は、磨き抜かれた艶のあるオーク材のようだ。漆黒の瞳が理知的に輝くのに、小さな鼻は赤ん坊みたいで可愛い。そしてなにより、厚すぎず薄すぎない唇を持つその口は、キスが楽しそうだと男を夢想させる。そうだ、日に焼けちまった肌だが、そこが男をそそるって知っているか?探したくなるんだよ、本当の君の色をね」
私はヨアキムに褒められる度に、ぞぞぞ、っとしていた。
嫌悪感じゃなくて、初めて感じた体の中の感覚の話よ。
だって彼は私を褒めながら、彼の長い指先で私の頬や唇を撫でたりつついたりするのだもの。そのたびに、何かわからないものが私の体の中で起きたの。
「わかったかな?」
「で、でも、男の人は白い肌の方がいいでしょう?金髪に緑色の瞳の方が……」
「そういう男は多いな。だが俺も親友達も、女は出来たら小鹿のような外見の方がいい。綺麗で可愛いと思わないかな?小鹿ちゃん?」
「小鹿は見た事が無いの」
「頑固者。分かった俺は大人しくする。好きなだけ俺で遊んでくれ」
「あなたは!!」