焦がれたのは
「愛」
使用用途によって意味は異なるが、一つ共通点をあげるとするならば、「そのものの価値を受け入れ、認める」という点が上げられる。
即ち、愛される=認められるという意味だ。
つまり、愛されなかったものは、「認められず、受け入れもされなかったもの」という意味になる。
それは、私の人生で最も欲っしたもの。
最も焦がれていたもの。
最も、「彼女」を形容するのに相応しかったもの。
だけど、私は知らなかった。
愛というものも、その意味も。
「無知は免罪符にならない」とはよく言ったものだ。
しかし、それも間違いでは無いのだろう。
思えば、私の人生は酷く汚れていた。
恨み、憎しみ、嫌悪、悪意、嘲笑、嫌味、辛み、僻み。
数え出せばキリがない。
それほど、私は汚れた感情ばかり孕んでいた。
そして、生まれた言葉は「謝罪」
ごめんなさい、許して、もうしません。
口から生まれた言葉達は、赤子のごとく泣き叫ぶ。
しかし、非力な赤子など、直ぐにその生を終わらせる。
言葉も同じ。
弱い言葉は、強い言葉に殺される。
何を言っても、何度紡いでも、私の言葉は殺された。
何も聞かず、無条件に。
それは、虐殺と表現した方がより残酷さを増せるだろうか。
言葉は鋭い。
それは、刃物のごとく、研げば研ぐほど鋭利になる。
痛すぎるほどに研ぎ澄まされた言葉は、非力な私の心を抉るのには十分すぎるものだった。
抉られた私の傷は、ドクドクと脈を打ち血を流す。
いっそ、死んでしまった方が楽なのであろう。
死んでしまえば、全てから開放されるだろう。
けれど、愚かな私は尚も願う。
誰でもいいから私の傷を癒して欲しい。
誰でもいいから、私の心を救って欲しい。
誰でもいいから、空いた穴を塞いで欲しい。
誰か、誰でもいいから。
あの、「リノア・イルミーナ」の様に・・・。