先輩、私に任せてみませんか?
「なるほど……まぁ、先輩らしい確実な手段と言われればその通りなのですが」
そう言って香澄はぼーっとした目を天井に向けた。
「先輩」
「ん?」
「無理な注文してごめんなさいって言ったら、怒りますか?」
「それは……」
そう言われて一瞬悩んだ。別に怒ることではないだろうと反射的に思ったがすぐに冷静になって、それはそれで、どうせ無理だっただろと言われている気がしてなんか悔しいというか『は? できるが』って気分にもなる。
「あは、コーセイくん、反応に困ってるぅ」
「うっせー」
「お兄様、負けず嫌いですからね」
美玖までくすくすと笑う。
「無理と思いつつも、先輩。全然諦めてないんじゃないですか」
「まぁ、な」
「では先輩、当面のやらなければいけないことを明確化して並べてください」
「あぁ。わかった」
まぁ簡単に並べると。
「恐らく現状。母親はもう美玖には手出しできない。あの家を出るという最低目標はクリアだ」
そう、あくまで最低目標。最終目標は遠い。
あの家から美玖を開放する。
動画活動はそのための下積み。
「美玖を有坂家の鎖では縛れない存在にする」
そのためには理事長に実力を認めさせ、納得のできる成果を出し、芸術特待生枠を獲得。そうすれば留学や音大への進学を支援してくれるはずだ。その過程でコンクールで結果を残す必要も出てくる。大きなコンクールのトロフィーは、音大の入試の壁を低くしてくれると聞いたことがある。何よりも有効な名刺なのだ。
「という感じだが、美玖は、どうだ?」
そう、これはあくまで俺が考える有坂家から美玖が逃れるための計画。
もしも美玖が別の道を思い描いているなら、修正しなければいけない。
「そうですねぇ。音楽は好きですから。憧れます」
「あぁ。音大でちゃんと勉強しておくのは決して遠回りでも損でもない。音楽で生きていくつもりなら、俺は最上の選択だと思う」
一流の先生だけではない。同じ道を志す生徒の存在は、間違いなく大きいはずだ。
俺はまだ知らない世界ではあるが。
……俺もそういうの、見つかるのだろうか、いずれは俺も、選ばなければいけない。
そうか。美玖の言っていたことはそういうことなんだ。
目標を達成した後のこと、か。考えたことなかった。なんとなく生きていくんだろうとは思っていたけど、そうか、具体的にして選ばなきゃいけないのか。
「音大からの留学もあるらしいですしね。むしろ、一流を目指すなら必ず通る道でもあるらしいですよ」
そう言いながら香澄は、どこか眩しそうに眼を細めた。
「しかしながら、美玖はそこまで至れるでしょうか?」
「断言はできない。けれど、可能性はゼロではないと思っている。とりあえず美玖の現状の自由を手に入れた。次はこれだ」
「これは……」
「直近で行われる、参加可能なピアノコンクールの中でも一番大きなものだ。予選は十二月。申し込みは十月からだ。全国大会は来年の八月。これに出るか、出ないか。あともう一つ、三月から予選があるものもある。これはもっと規模が大きいが準備期間がさらに確保できる」
「どっちも出ます」
「まぁ、とりあえず……ん? どっちも?」
「はい、どちらも」
「いや、だが」
「お兄様だって、無策でこんな提案しません。美玖がどっちを選んでも大丈夫なように考えていたのではありませんか? しかしながら成果は多い方が良い」
「そ、そうだが」
「なら、どっちもやりますよ。美玖、欲張りですから」
そう言って美玖はにんまりと笑う。
「二兎追うもの、一兎も得ずって言葉もある」
「どっちも捕まえれば良いだけの話です」
「なんともまぁ、欲張りな」
可能だろうか。
こればかりは俺は専門ではない。美玖ができるというのならできるのかもしれない。
だが。
「先生が必要になる。当然、動画活動は減らして練習に専念してもらう」
まぁ問題は、その動画活動を許容していただける先生に出会えるかどうか、だが。
黙って活動するのも手ではあるが、見つかってしまったとき、隠していたという事実がそこに生まれてしまう。良い印象は抱かれないだろう。
先生との信頼関係を疎かにするわけにはいかない。多少難しくても、必要な苦労というものだ。
「……あっ」
「どうした、恵理」
「あ、いや……でも。ちょーっと待ってくださいね」
恵理がスマホで何やらメッセージを送ったようで。誰か当てがあるのだろうか。
「あ、はやっ、返ってきた。なになに、『理事長の秘書の東雲さんに相談してみるのが良い? しかし専門というわけではないので、並行してちゃんとプロとして活動しているピアニストを探すべきでしょう』だってさ」
「……朝野さんか」
「おぉ、せーかい」
「しかし、東雲さんか……理事長に連絡するしかないのかね」
いや、ためらっている暇はないのだが、現状だと一工夫入れないと快諾してくれる気がしない。……いや。
「先輩」
「ん?」
「その交渉、私がやっても良いですか?」
「えっ」
「私に、任せてもらっても良いですか?」
「あ、あぁ。だが」
「先輩。私を信じられませんか?」
私は立ちたい。先輩のように、一人で。
先輩のことはわかっている。自分でやるのが一番確実だから、一番大事なところは自分でやりたがる。
でも、私は示すんだ。先輩はいつだってそうしてきた。だから。
「まぁ見ててくださいよ、先輩。伊達に後輩、やってませんから」
先輩が私のこと、心から信じられるように。




