お兄様、やりたいことはありませんか?
その日のうちに編集して、動画をアップしたが、まぁ当然、それだけでは何も起きないのと同義だ。再生数なんてようやく二桁行った程度だが。
「ふっ、やっぱりな」
白いドレスを着た少女が急に現れ演奏してどこかに去っていく。その現象自体は人の目を惹きつけるものがあった。撮影してSNSに上げている人がちらほら見られる。
「……これを繰り返す」
ストリートピアノ自体は駅前にいくつかある。そこに日替わりで現れる。そして一曲弾き上げる。動画アップも宣伝も怠らない。短期間で名前を売るのは簡単じゃない。一見意味があるかもわからない地味な仕事の積み重ね。
だが。
「……楽しそうに演奏してるな」
映像の中の美玖は微笑んでいた。うっとりと目を細め音楽と一体になっていた。演奏を終え立ち上がれば拍手がしばらく鳴り響く。
俺が見たかった光景がそこにあった。多くの人からの喝采を受けながら全力で演奏をする姿。
「美玖、明日は」
「はい、お祭りの前に演奏、ですね」
「あぁ」
防音室から出てきた美玖はにっこりと微笑む。
香澄と恵理はもう帰っている。美玖を流石に何日も連続で預けるのは気が引けた。
「お兄様」
「ん?」
「美玖、こんなに楽しくて、良いのですかね?」
「良いに決まっている。だめでもよくするさ」
それが俺のやるべきこと。
「……お兄様は、美玖を自由にしたらやりたいこと、ありますか?」
「急にどうした」
「好奇心です。お兄様、やりたいこと、ありますか?」
「急に難しいな……」
「お兄様にしては珍しいことを言いますね。難しい、なんて」
「難しいものは難しいさ」
「自分自身のことでも?」
「あぁ」
「では、そうですね……お兄様、誰かを好きになってみてはどうですか?」
「誰かを。好きになる? どういう意味だ」
「そのまんまの意味ですよ。お兄様、無いでしょう、真剣に誰かを好きになったこと」
「いや。そんなことは……いや」
「ほら、お兄様にしては煮え切らない言い方。美玖はお兄様を預けられる人が見つからないと安心できません」
「保護者か」
「妹です。残念ながら妹です」
「何が残念……俺の妹なの、やっぱり……」
「そんなことありません。お兄様と出会えたこと、美玖にとっては人生最良の出来事ですから」
そう言って美玖は俺の膝の上に、背中を預けるように座って。
頬をくすぐる黒い髪から香るのは俺が使っているシャンプーと同じ匂い……美玖用のやつ、買わないとな。
「お兄様。美玖は多分、お兄様と違う形で出会っていたら、お兄様に婚約を申し込んでいたと思います」
「ははっ、何言ってんだか」
「美玖がこう思うんです。お兄様のこと、お慕い申し上げている方はきっといらっしゃいます」
「どうだか」
「美玖の言うこと、信用できませんか?」
「いや。信じるよ」
ちらついたのは恵理の顔。あの言葉に答える言葉、いや、必要がないかもしれない。あの場限りの言葉かもしれない。でも俺は、悩んでいる。香澄の存在が、頭の中にちらついて、考えさせられる。
同じ衣装の方が覚えられやすいだろうと、同じドレスを三着も買ったのだ。
昼頃、祭はまだ始まってないのにどうしてか着物姿の人たちで盛り上がる駅前。美玖は颯爽と歩いていく。
美玖は、正直きれいだと思う。俺の男女の美醜の区別、妹が基準になっていると言われても否定できないくらいに。
ドレスといってもやたらめったら豪華なものではない。
俺は離れたところから監督している。今の美玖に男の影をチラつかせてはいけない。ある程度有名になったら、兄が動画の編集を担当していることを明かしても良い程度だろう。
まっすぐに歩いていき、無言で一曲弾いて、集まった聴衆に一礼して去っていく。声をかけることすら許さない。微かに微笑んでどこかへ消えていく様は神秘性すら感じさせる。
口コミとは馬鹿にできない。マルチ商法の勧誘みたいな話だが、こればかりは真実なのだ。ましてSNSがここまで広まった世の中だ。一人の発言を世界中が見られる時代だ。
本当、地道な仕事だ。これ。実感を得にくいのがそれをより感じさせる。
現在、とりったーの方は次演奏する曲の予告動画しか投稿していない。
このまま謎に包まれた存在とするか、少しは日常のことを明かすか。
大衆の求めているもの。その心理を予測して次の一手を考えなければならない。現状、応援コメントしか来ていないが、世の中変な奴はどこにでも現れるものだ。それらへの対処も事前に用意しておくべきだ。
頭の中で常に響く声。俺は正しいのか。このまま進んで良いのか。ずっと考えている。これで良いのか、本当に良いのか。
でも、進むしかない。前に、前に。時間は止まってくれない。寄り添ってもくれない。
決めたらそれが正しいと信じて、やるしかないんだ。
演奏が終わった。美玖を中心に三人がその場を離れていく。その後をつけようとする怪しい人影はない。合流しよう。
今日は、お祭りなんだから。一回帰って着替えたいと美玖は言っていた。
少しだけ楽しみにしている自分がいる。




