先輩、無茶振りしてる自覚はあります。
さて、全員が起きてそれぞれが身だしなみを整えたところで、俺は三人に方針を示す。
「夏休み明けには、美玖もこのマンションに住めるようにする。これが目標の第一段階だ」
「この家、ですか」
「あぁ。そもそも美玖が通っている中学校、ここからの方が近いしな」
「そ、そうなんですか?」
「俺達が通ってる光道学園の中等部だ」
「……お、お隣だった」
「卒業後は光道学園とは別のところに通うことになっているがな」
マグカップを持ち上げる。芳醇で豊かで深みのある香りが鼻を吹き抜ける。
「どうするんですか?」
「あぁ」
今回は母親を頷かざるを得ない状況に追い込めば良いだけの筈。それならやりようはある。
俺が将来的に相手取ろうとしている奴と比べれば、いや、比べるのもおこがましいか。
「さて……どう潰す……じゃないな」
香澄が教えてくれたことを無為にしてはいけない。
個人的な感情は抜きだ。これは復讐では無いのだから。
「香澄はどういう結末が理想だと思う?」
「えっ……あー。美玖さんを笑って送り出してもらえるように、とか」
「わかった」
「えぇ……」
「なんだよ」
「いえ、そんな安請け合い……正直、無茶振りしてる自覚、ありますよ、私」
「やってやるさ。何とでもなるはずだ」
「そうですか、なら、やって見せて下さい、先輩」
「あぁ」
息を吐く。深く、息を吐く。
香澄と言葉を交わしている間の俺は、甘さはあるが、穏やかだと思う。
無意味に尖らないでいられる。頭の中に響く声が静かになるんだ。
目的を果たすために冷たくなる。確かな目標ももらった。あとはそこまでの道筋を形成する。
「お兄様」
「ん?」
「有坂家に反抗するのは……いくらお兄様でも」
「どうせ敵に回す予定だった。それが早まるだけだ。それじゃあ俺は準備に移る。一旦解散だ」
「あ、じゃあ、美玖さん、恵理さん、少し一緒に来てもらえますか?」
「? はい。わかりました」
「はいよー」
「先輩、美玖さん、今夜は家で預かって良いですか?」
「あぁ。良いぞ。向こうも騒ぎを大きくしたくないだろうし。したとなればカウンターはある」
「怖い事言いますね」
「……美玖を頼む」
「! ……はい。任せてください」
「恵理も。悪いが」
「あは、任せてくださいな」
美玖の言う通りだ。有坂家に反抗すること、その意味。底も周りも見えない夜の海に手漕ぎボートで挑むようなものだ。
俺はそこに眠る一つの宝石。それを持ち出したい。ただ、それだけなんだ。
恵理さんと美玖さんを連れて私は自分の家に。松江さんには連絡してある。
今から結構真剣な相談をこの二人にしなければならない。そこそこ日付も迫っている。忙しいのはそうだが、私はこの日を大事にしたいのだ。エゴ、我がまま。その通りだ。でも。
「先輩の誕生日」
「もうすぐですね。お兄様の誕生日」
「祝いたいです」
「うんうん。プレゼントも用意したし」
「盛大にとはいかなくても。ささやかでも、ちゃんと祝いたいです」
「そのつもりだよ。カスミちゃん。だいじょぶ」
「有坂家ではどのように誕生日を祝っていたのですか?」
「それがですね、うちでは祝わないです。美玖の誕生日の時、お兄様がこっそりプレゼントくれるのですが」
「……ならば、尚更。……お兄さんからどんなのもらったのですか?」
「アクセサリーとか……音楽してた時は、コンクールで着るためのドレス、いただきました」
「ど、ドレス……」
「はい、お兄様から頂いたドレスで挑むコンクールは、やはり、格別でした」
ほんのりと微笑んで美玖さんはうっとりと宙を眺めた。
……音楽を、してた時。今は、してない。
「……っ」
いえ、今は。
「美玖さんも協力してください」
「勿論です。今まで、お兄様の誕生日、ちゃんと祝えたこと無かったの、悔いていました」
「そうなんですか?」
「お小遣い、^もらえてませんでしたので。精々、手編みのマフラーとか、そんな程度で」
「立派じゃないですか」
「アハハ……そう、ですかね」
ふと、恵理さんの方を見ると、窓の外をボーっと眺めていて。気づく。
「あ、え、えと」
「ん? どしたの?」
「あ、いえ……」
少し、デリケートな話題でしたね。
「まぁそこら辺は任せてよ。あたしに。美玖ちゃなんも手伝ってくれるでしょ」
「え、えぇ」
「カスミちゃんはむしろ、センパイの手伝い、してよ」
「わ、わかりました」
「よろしくね」
ぐっ、と伸びをして恵理さんは立ち上がる。
「じゃあ、美玖ちゃんが泊まる準備しよか」
「既に済んでおります」
声のした方を見ると松江さんが私の部屋から出てくるところ。
「皆様、ご一緒の部屋で寝られるのがよろしいでしょう」
「松江さん。早いですね」
「いえ」
「ははーん。ちょっと嬉しそうですねぇ」
「南さん、あまりからかわないでいただけるとありがたいです。その通りですが。えぇ。香澄さんがご友人を連れて来てくれたことが嬉しいとか、はい」
「ふぇっ!」
「あはは」
「ふふっ」
「……ふむ」
正直、手札はよろしくない。
一人になった家、自分が立てた計画に思考を巡らせる。アイデアをひたすら壁打ちする。
一番手っ取り早い方法は美玖の才能を目に見える結果として見せつけること。芸術に理解の無いあの親でも、有名コンクールで金賞を取れば認めざるを得ない。
だがそれをするにはブランクが空き過ぎている。中途半端な結果では今までと同じ。それは実際に見て来たからわかる。
「短期間で結果を出す方法」
高校を光道学園とは別のところにするということは、母親が求めるほどの結果を美玖が出せていないということ。中学から美玖を、高校から俺を光道学園に入れたのは、理事長と有坂家の間に何かしらの繋がりを作るためだというのは容易に想像がつく。
子どもが優秀な成績を取れば理事長も注目する。要はきっかけ作りだ。現にそれは俺が叶えている。俺が叶えた以上、光道学園における美玖は用済みということ。
……確実に勝つ。
そのためには、中途半端な方法では駄目だ。もっと確実に、冷徹に。
「笑って送り出してもらう、か」
香澄が求める答え。親が子に笑顔で、か。どうすれば良いんだろ。どうしたら笑顔を向けるんだろ、親は。




