先輩を追いかけて。
「あ、おかえりなさい。大丈夫だった?」
精肉コーナーに恵理さん達はいた。丁度値引きの時間帯だったようで、恵理さんの目の前でひき肉たちに半額のシールが貼られていく。
「はい、店長たちに対応は引き継ぎました。そちらはどうですか?」
「殆ど完了したよ」
「そうか、悪いな。これで払っておいてくれ」
そう言った先輩は恵理さんに自分の財布を押し付ける。
「えっ、え、財布ごと」
そのまま先輩はどこかに歩いていってしまう。
「……なにかあった?」
「……一緒に対応したわけじゃないんだけど、さっき合流してからなんか……なんか……なんか、戻っちゃった感じがする」
「戻った?」
「うん」
「私には見慣れたお兄様ですね。むしろ再会した時驚きましたよ」
お肉を見比べてた美玖さんが顔を上げる。というかなんでステーキ肉。
「柔らかくて、張り詰めていた糸が緩んだような。中学の頃は全てを敵視してるような……美玖以外を。美玖だけには、優しかったです」
そして美玖さんは先輩が歩いていった方へ。一緒に行くか、あるいは止めるか迷ったけど。一緒に行ったところでなんて声をかければ良いかわからないし、今の先輩を、一人にしておきたくない気もして。だったら、美玖さんに任せるのが正しい気がした。
でも。
「行ってきなよ」
「恵理さん?」
「予算もあるし、荷物もそんな無いし。行ってきなよ」
「で、でも」
「カスミちゃんは、ここでセンパイを追いかけないことを選んで、後悔しない?」
「そ、それは」
「動かないで後悔するなんて、やめてよね。コーセイ君が選んだ人なんだから」
「選んだ?」
「うん。じゃ、がんばって」
あたしは気持ちを伝えた。それで終わり。
カスミちゃんに返す恩は、こういうことだ。
背中を押し続ける。あのセンパイの隣にいて欲しいんだ。あたしの親友には。
「違うかな」
これは、あたしのエゴだ。
まぁ良いや。元々あたし、こういう人だし。
店の外。入り口から道路一本挟んだ公園のベンチ。ボーっと夜空を見ていた。いや、まだ夕焼けは残っている。正確には。少し紫が交じった空。ぼんやりと。これが何も考えない、思考を止めた状態というものか。
完全に日が沈んでも、多分星なんて見えない。街に明かりが灯れば、夜空に星は輝かない。
足音に視線を落とす。美玖は姿勢正しく立ち、俺のことを見ていた。俺のこと、その内側まで見通せるような澄んだ瞳。あの家にいた頃、俺はこの瞳を通して自分を、さながら鏡で確認するかのように見ていた気がする。
「お兄様」
「ん」
「お一人でどこかに行かれては困ります」
「あぁ、悪い」
「本当です。お一人になりたい気分なのはお察ししますが。それでもあの方々に心配をかけるのは、お兄様の望むところではないでしょう」
「そうだな」
俺の中に感じる冷たさ。でも俺はこれを、冷たいだなんて思ったことは無かった。この冷たさを武器だと思っていた筈だ。鋭利な刃物。自分が構える刃が冷たいだと。……恐ろしいだと。
自分の武器の恐ろしさを知らないのは間抜けだ。でも、自分の武器に怯えるのも、間抜けだ。
「お兄様。一緒に戻りませんか?」
「……あぁ」
立ち上がる。そうだな。戻らなきゃ。
「……いえ」
「ん?」
「やはり。美玖はこのまま、帰ります」
「どうして」
「美玖が傍にいると、お兄様、思い出すでしょう。お母様のこと」
「違う、そんなことはない。俺は……俺は!」
「先輩ッ!」
「あ……香澄。どうした?」
「いえ、その……お邪魔、でしたか?」
「いや」
「双葉さん。今日はありがとうございました。楽しかったです」
「何言っているのですか? これから夕飯食べようという時に」
「いえ、良いんです。もう。満足しました。帰ります」
頭を下げ、背を向ける美玖。その背中が雄弁に語っている。寂しいと。でもきっと美玖は口を出して言わない。ここで逃してたまるか。こんなところで、終わってたまるか。
でも、なんて言えば良い。どうしたら美玖の気持ちを引き出せる。今の俺では、……無理だ。
歩き出そうとする。どこか弱々しい足取り。覚束なく揺れる手。それを掴んだのは、香澄だった。俺よりも一歩早く、香澄は迷いなく掴んだ。
「そんなこと、あるわけ、無いじゃないですか。あんなに楽しみにしておいて、そんなこと、あるわけないじゃないですか」
「あるんですよ。美玖はそういう役回りですから」
香澄の両手が、美玖の手を包む。半身だけ振り返り、美玖は困ったように視線を彷徨わせる。
「表向きの話なんて聞いてないんですよ。美玖さん自身の話をしているんです。私は!」
「美玖、自身?」
「美玖さんはどうしたいんですか! 聞かせてください」
「美玖に意思なんて、希望なんて、ないですよ」
「では聞きます。今日一日、楽しかったんですよね?」
「それは、もちろん」
「もっと続いて欲しいと思いますか?」
「もっと? でも、一日は終わります。終わりがあります」
「そんな事実ではなく、続いて欲しいという気持ちはありますか? そう聞いています」
「それは……でも……」
「美玖さん!」
「そんなの……だって」
美玖は俯く。それでも香澄は逃がさないとしゃがみ込んでしたから覗き込むように目を合わせて。
「教えてください。気持ち」
後ろから聞こえた足音にチラッと振り返ると恵理がいて。俺はそっと二人から離れ恵理の隣に立とうとするが。「ダメです」と押し戻される。
でも、俺に何ができる。
「ちゃんと傍で見守るんです」
「……わかったよ」
意味があるかわからない。そんなことに。突っ立ってるだけで役に立てるのなら、カカシでも変わらないだろうが。
それでも、人間観家に関しては俺よりも見識のある恵理が言うんだ。カカシにでもなろうではないか。
「双葉さんは。いじわるです」
「うん。イジワルにもなるよ」
「楽しくないわけ、ないじゃないですか。もっと続いて欲しいと思うに、決まってるじゃないですか。美玖だって、友達と、もっと……」




