先輩に会いに行きましょう!
「えっと、美玖さん、その。これ、今下ろしてきたので」
「気にしなくて良いですのに」
「そういうわけにはいきません。お金のことはちゃんとしなければ」
正直美味しかった。シャリは口の中でほろりと解れて、魚の旨味が蕩けて広がって。満足感が凄かった。
「美玖さん、行きたいところはありますか?」
聞いてみる。何か、思いついている可能性にかけて。
私の行きたいところを逆に聞かれるオチが待っているのはわかっているけど、それでも。
「そうですね……」
そう思っていたら予想外に美玖さんは少しだけ悩んで。
「お兄様に、会いたく、なりました」
「へ?」
「……思えばあの日、やり残したこと、お兄様、誘おうとしてくださったのに」
そう言って、少しだけ顔を歪ませて。俯く。
「ごめんなさい。わがまま言ってしまいました、忘れてください。そうだ、双葉さん、何かしたい事ありませんか?」
「そうですね……美玖さん、時間って大丈夫ですか?」
「はい。母には学校で強制参加の夏期講習と嘘ついてますので」
「……意外と強かな子」
なら。時間があると言うのなら。行くしかない。
「今から行きましょう。先輩に会いに!」
「……良いの、ですか? ご迷惑では、ありませんか?」
「何を躊躇う理由があるのです。妹が兄に会いに行くこと」
「でも」
「行きますよ!」
「は、はい!」
美玖さんの手を引く。ひんやりとした手だ。手荒れなんて一切ないすべすべした感触。
連れ出すんだ。先輩の思いを、伝えるために。
切符を買って改札にぶつかるように……。
「……やっぱり、ダメですよ」
立ち止まったのは美玖さん。繋いでいた手が離れて。どうして。
「どうして」
どうして、美玖さんが、遠く感じる。手を伸ばせば届く筈なのに。遠い。
「駄目ですよ。これ以上、お兄様に迷惑、かけられません」
「そんなこと」
「あります。お兄様は、羽ばたくべき人です。有坂家なんて鳥かごに、囚われていては、ダメなんです。可能性なんです。お兄様は」
駅前のベンチに二人で並んで座る。地面から水が噴き出す噴水広場でもある。子どもたちがその水で遊び涼んでる。
その光景をぼんやりと眺めている美玖さんの目には感情が感じられなくて。
「どうして」
私はまた、『どうして』を繰り返す。
「お兄様は、間違いなく天才です。大人を信用できなくても、大人に頼らずに生きて行こうとしても、お兄様のようにできる人はどれだけいるでしょう。美玖は、お兄様の家を出ていく選択を、寂しく思いながら、安心したものです。ようやく、美玖を置いていくことを選べたと、喜んだものです」
「美玖さん……」
「ダメなんです。お兄様を、あの家に縛り付けては。お兄様が自分の目で自分が行くに値する将来の道を選ばなきゃ、ダメなんです。そのためには、美玖があの家に残って、利用価値を示し続けなきゃ、ダメなんです。それがお兄様のためにできる、美玖のせめてもの抵抗なんです。家出した時、どうしても会いたくなって、つい行ってしまいましたが。今日だって、家で大人しくお母様の傍にいなければいけないのに」
零れるものが見えた。それは光る滴になって公園の地面に染みを残して消えていく。
「美玖は、お兄様の枷から、お兄様のための身代わりに、なれるんです」
それは違う。そう叫びたかった。でも、私は、有坂家がどういう家か、その全貌を知らない。あの先輩が、戦うための準備を年単位でやっていて、まだ足りないと準備を続けてる。それほどの規模であることしか知らない。
ただ、言えることは、あるんだ。
「先輩は、美玖さんのこと、大切に思っていました」
「……知っています」
「わかっていませんよ」
「どうして」
「自分のことを枷だなんて。先輩は美玖さんのこと、そんな風に思っていませんよ」
……決めた。
何が何でも、連れて行こう。
先輩が連れ出すための準備をしてくれと言ったんだ。連れ出してしまっても良いだろう。
「美玖さん」
「は、はい」
「一緒に来てください」
「えっ……」
手を掴む。もう、離さない。もう、立ち止まらない。
子どもの未来を縛る家庭なんて、選ばせるだけの余裕があるのに、縛るなんて、私は、許したくない。
「美玖さん」
「なんですか」
「先輩に聞いたんですか? 先輩が言ったんですか? 美玖さんのことを枷だって。自分のために身代わりになってくれって」
「言いませんよ、優しい人ですから」
「じゃあ、聞きに行きましょう」
「でも」
「行きましょう。中途半端な決意だから、会いたくなるんです。美玖さん、あなたの覚悟は、甘いです。もし先輩が美玖さんに自分のために犠牲になってくれと言ってくれたら、覚悟、決まりませんか?」
「それは……」
「どうなんですか?」
「それは」
美玖さんは自分の意思で決めるのが難しい人だ。それをわかっていて私は問い詰めるようなことをしてしまう。ズルい。けれど。やるしかないんだ。
「聞きに行きましょう。あなたは今、頭の中の自分の兄に、自分に都合の良い台詞を言わせてるに過ぎないんです。独善的です」
どの口が言う。私は私の価値観で動いている。私の独善で美玖さんを追い詰めている。
「今から行きましょう。美玖さん」
「……わかりました」
罪悪感。今の私に感じる資格なんて無い。抵抗できない人に自分の言い分を飲ませて。
でも、それを育てた環境が許せないから。必要悪だと言い聞かせて。
私たちは今度こそ、改札の向こう側へ。




