センパイ、構ってくださいよ。
信頼されている。信じられている。
それを感じながら私はスマホに指を滑らせる。
暗い自分の部屋。恵理さんはもう眠ってしまっただろう。そこでようやく、メッセージを送る勇気が湧いたんだ。
『旅行は楽しめていますか? こちらでは来週、お兄さんと夏祭りに行くことになりました。地元で一番有名な花火大会です。』
ここで送信する。
伝え方は大事だと最近思う。真っ直ぐに伝える。ちゃんと言葉にすれば伝わる。それはある種の真実かもしれない。
『花火大会、良いですね。もう何年も見ていないものです。旅行はとても楽しんでいます。温泉がとても気持ち良かったです』
よし……。
考える。どうしよう。
言葉にすれば伝わる。でも、言葉だって万能じゃない。過信してはいけない。
先輩……。
先輩は、美玖さんに自分で未来を選んで欲しいと願っている。
誰もがそうあれるわけではない。未来を自分で選べる方がきっと贅沢だ。でも。
私は、手の届く範囲の理不尽だけでもどうにかしたいから。もし美玖さんの中に、少しでも願いがあるというのなら。
『叶うのなら美玖さんとも一緒にお祭りに行きたいものです』
遠回りして伝えるのも手だ。でも。
こういう時は真っ直ぐ突っ込んでいくに限ると思う。真っ直ぐに相手の懐に、自分の気持ちを突っ込ませる。
正直、美玖さんとはもっと仲良くなりたい。
恵理さんも一緒に、三人で。
どうしてだろうと考えてすぐに思い浮かんだ考えてわかる。
多分、似てるんだ。先輩と。兄妹だからというのもあるけど。優しさの内に秘めた何かがある。まぁ先輩の場合、優しさの外にももう一層壁があるけど。
それが感じられてしまって。それをどうにかしたくなって。
返信は無い。うとうとと、まぶたが重くなっていく。
もし、先輩が妹さんのこと解決出来たら……もっと、私のこと……。
「せーんぱいっ」
「んあ」
なんだ、この無駄に明るくて人懐っこい雰囲気を感じる声は。そして、お腹の辺りが、なんか、苦しいぞ。乗ってる? 何が。
「せんぱーい、可愛い後輩恵理ちゃんが来ましたよー」
「あ? 恵理?」
「はい。カスミちゃんだと思いました? ざーんねーんでしたー」
ニマニマと笑う恵理が……なんで俺の腹の上にまたがってるんだ。
「にひひっ」
「何してんだ?」
「カスミちゃんが出かけるということで、あたしが代わりにきました」
「来ないという選択肢もあっただろうに」
「まぁ良いじゃないですか。たまには楽しい方向であたしに構ってくださいな」
「はぁ」
「とりあえず……ふふふふふっ」
「ろくなこと言わなさそうだから口を閉じろ」
「わかってないですねぇ、今時、黙って欲しい時はマウストゥーマウスで塞ぐものなんですよ」
「起き抜けの口の中の悲惨さを知らないようだな」
「気にしてたらキスなんてできませんよ」
「オイこら動くな起きるから」
「ぐふふ。せんぱーい。構ってくださーい。とりあえず一緒に二度寝しましょー引っ越しの日まで本格的に暇なんですー」
危ない、この子危ない。なんか油断したら理性吹っ飛びそうな危うさがあるぞ。
起きると言ってるのになんか……なんか、抱き着いてくるし。胸の辺りに感じる柔らかくも確かな質量がある何か。吐息が耳にかかって。温かい。
「コーセイ君、ちょっとだけ構って欲しいです」
「……はぁ。馬鹿が」
「コーセイ君から見たら大抵の人、馬鹿でしょ」
「今の君、何されても文句言えんぞ」
「わかっててやってるから。別に良い」
急にしおらしくなりやがって。
「良いよ。本当。コーセイ君。して欲しいことない?」
「……無いな」
「えー。この状況で何も要求されない方が怖いんですが。母の相手してきた男なら百パーおっ始めますよ」
「俺は萎えるな。ここで欲に身を任せる俺の方が嫌だ」
「本当、自分ルールには頑なですね」
「人との距離感詰めるのが上手な人気者の君が、なんでこうなるんだ」
「人気と言っても、上辺の明るくて可愛い、小動物系のあたしが好きなだけじゃないですか。違うんですよ。今、あたしは、センパイやカスミちゃんから、大事にされてるのが伝わってくるんですよ。でも、それに対してどう返したら良いか、わからないんですよ」
「だからとりあえず、ってか」
「そんな感じです」
「この間も似たような話、したと思うが」
「全然違いますよ。カスミちゃん、来ないですよ。扉を隔てて向こうにもいません。完全にあたしとセンパイ、二人きりです。何かしちゃっても黙ってれば良いだけですから。バレなければその人にとっては無かった出来事なんですよ」
少しだけ考える。思えば先送りにしてしまっていたな。時が解決する、そう思って。
気にするな、というのはこっちの都合で、それだけで恵理の気が済むなら簡単な話だが、そうでない人もいる。何としても恩を返さないと気が済まない人もいる。
「カスミには、どう返すんだ?」
「それは秘密です。センパイに知られては困ることです。ちなみにこれは、センパイだと……いえ、センパイの人柄だからこそ、わかりませんよ」
「……今、それは置いておこう」
「助かります」
考えよう。恵理が納得する何か。積もり積もった、助けられることによって生じる申し訳なさ。素直に大事にされることができないのは、恵理の今まで育ってきた環境を見ればわかって。返し方が下手くそなのも、恵理の話でしかわからないが、そういう風に自分を使って生きて来た母親の背中を見て来たからで。環境が急にここまで変わって、調子を狂わせるなという方が無理な話だ。
「どうします? まぁ、あたし自身初めてですが。見たことはあるんで。とりあえずはさ……」
「口を閉じろ」
正直、ここでどうにかしなければ、本格的に自暴自棄になりかねないな。
手の調子を確かめるように握ったり開いたりしてる恵理。
手っ取り早い手段は恵理に任せることだが。それは違う。駄目だ。恵理のためにならない。それだけは確信を持って言える。
それは、本当に助けたことにならない。
頭の中に靄がかかったってるような気分だ。思考がしっかりと定まらない。俺も所詮は男子高校生か。理性の半分くらいは恵理にやられてる。でも。この程度で俺が止まるようなら、恵理に天才と名乗れない。
「恵理。一つだけ答えろ」
「はい」
「ここでもし、お前に本能的欲の丈をぶちまけたとして。後悔は無いんだな。百パー。完全に。後悔は無いんだな。お前は本当に満足できるんだな」
……本調子じゃないな、俺も。恵理の選択肢を潰せていない。俺の狙いを達成するのに完璧な問答と言えない。恵理がマジでその気だったら俺の選択肢が完全に無くなる。
だから俺は慌てて付け加える。
「明日の自分に誇れるんだな。家に帰ってから会うであろう香澄に、胸を張って堂々といつも通り関われるんだな」
……駄目だな。恵理がその気なら。終わりだ。詰みだ。この手の状況に本当に弱いのは課題だな。
諦めて勝手に一人反省会をしながら恵理の様子を窺う。
そして恵理は立ち上がり、ベッドを下りて。
「ここでセンパイに滅茶苦茶にされても、センパイを滅茶苦茶にしても後悔はないですし、多分満足できますけど、そうですね……カスミちゃんの名前出されたら、負けですね。カスミちゃんに何食わぬ顔できる自信、無かったです。さて、朝ご飯でも作りますかね。ふふっ、ゆっくり出て来て良いですよ。ちゃんと処理してから、ティッシュは……ありますね」
「おめぇマジで一回恥じらいって奴教えてやろうか!」
「あははははは」
はぁ。さっさと着替えて出て行かないと絶対にからかわれる。
この俺が簡単に手玉に取られるとは。しかも、かなりの綱渡りだったみたいだし。
真面目に考えよう。今回もまた、答えを先送りにしたに過ぎないのは、流石にわかる。




