先輩、やっちゃいました……。
帰宅した私は早々に。
「うわーーーー恵理さーーーーん」
「ど、どうしたのカスミちゃん」
道中冷静になってしまった私。一人反省会の末、急に眼から溢れるものがあって。
「やってしまった。やってしまいましたー」
「な、何を?」
恵理さんはリビングで夏休みの宿題に取り組んでいたようで。シャーペンを置いて抱き着いてくる私を抱きとめてくれる。あぁ、柔らかい。ふわふわ。
「先輩を……先輩を」
「うんうん。落ち着いて。センパイをどうしたの? ついにヤッちゃった?」
「違います! その……先輩を、抱きしめてしまいまして」
「うんうん。えっ?」
「先輩が、その、急に、守りたくなったというか、愛おしくなったというか、そういう感情に任せて、抱きしめて、しまいまして。抱きしめて、頭なでなでしてしまって」
「う、うん。うん? 思ったよりしょぼくはなかった。しょぼいけど。カスミちゃんにしては、積極的、だね」
「やってしまいました……あぁ、どうしたら。明日から先輩とどう顔を合わせれば」
「普通で良いでしょ。変に意識する方が危ないって」
「そ、そうですね……できるでしょうか」
「大丈夫大丈夫。慌てるのは胸揉まれてからで良いよ」
「……揉まれるほどのものが無いのですが」
「無くはないというのが物哀しさを漂わせるねぇ。じゃあキスしてから慌てなさい」
「くっ……そんな予定ありません!」
「あはははは」
「もうっ」
あぁでも、なんか落ち着いた。でもなんか癪だから、ありがとうは心の中で。
「そっかそっか、センパイの妹さんが。あたしが色々忙しくしている間にねぇ」
「知ってました? 美玖さんのこと」
「聞いたことはあるよ。さっきまで忘れてたけど。一回チラッと話聞いたことあるだけだから」
「なるほど」
「まぁ、あたしも詳しくは知らないよ。コーセイ君と関わったの、小四の秋から小五の夏までの一年間の話」
その辺りの話、正直興味がある。先輩が強くなろうと努力を始めたのがその辺りだと聞いたばかりだから。
私には先輩が、お母様だけでなく、大人というものを信用していないように見える。
何が先輩をあそこまでの存在になるよう駆り立てたのか。
それが恵理さんのことだってわかってる。
知りたい。
でも。
「まぁ、名前検索してみたら、ピアノとか絵画のコンクールの全国レベルの大会の優秀賞で名前出てくるけどさ。同一人物かわからないけど」
「……結果、か」
それらは結果では無いのだろうか、立派な結果ではないか。
どうなのだろう。
わからない。
でも、とりあえず。
『今日はありがとうございました。早速送ってみました。よろしくお願いします』
それだけ送ってみる。返事は期待していない。でも、動き出さなきゃ始まらないから。それだけは、知っている。
返事は予想外にもすぐに返って来た。
『こちらこそ、今日は会えて嬉しかったです。明日から旅行に出かけるので、今日はもう寝ますね。おやすみなさい』
丁寧な返事に『おやすみなさい』とだけ返す。
「寝ましょうか」
「うん」
今日は、恵理にとってこのスーパーおーうめへの最後の出勤であり、ひと月で一番忙しい日でもある。お盆と丸かぶりしたお得な日だから、親戚での集まりのために買い出しする人が押し寄せてくる。
現にレジでは途切れることなく商品をスキャンする音が鳴り続けている。
チラシを見ればまぁ、納得ではあるが。俺も少し買い物したい。二リットル炭酸飲料128円とか、納豆58円とか。卵88円とか。あとバーベキュー用のお肉とか刺身の盛り合わせとか。どこも張り切っている。
盆と正月のこの混み具合、二回経験したくらいじゃ慣れないな、やっぱり。
客と客の間を縫うように移動して品出しして、呼び出されればさながら弾幕回避ゲームの如く移動してレジまで行く。
「有坂君」
「はい」
店長だ。なにやら段ボールを積み上げてる。いや、そうか。
「レジまで持って行きます」
「よろしく頼みます」
レジのサッカー台の脇に置いてるサービスの段ボール。客はこれに商品を詰めて持ち帰れる。
品出しの時に出る段ボールを有効活用しつつ、店側で処分する量を減らそうというものだ。
レジまで行くと、恵理はせっせと商品をカゴに詰めてカートに乗せ、ニコッと笑って頭を下げて見送る。完璧な接客だ。その点は俺よりも間違いなく優秀だ。
人には、向き不向きがある。
母親が求める結果を俺は出して、美玖は出せなかった。でも美玖にも間違いなく、俺には無い可能性がきっとある。磨けば光る、原石だったはずなんだ。
「や、有坂君」
「チーフ」
段ボールを乗せていた台車を引いて裏に戻ると、丁度山辺チーフが事務所から出て来たところだった。
「南さんのことは残念だよ、本当。レジのアイドル枠になれた筈なのに」
「どうしようもない事です」
「そうだけどね。ところで夏休みは満喫してる?」
「急になんですか?」
「いや~。高校二年の夏休み、もっとエンジョイして欲しいと、老婆心ながら思っちゃうんだよねぇ」
「既に結構イベント目白押しですよ」
「でもさ。純粋に楽しむためのイベント、無いの?」
「と、言いますと?」
「業務命令。夏祭りに行きなさい。二人きりでも良いし、二人とも誘っても良いし」
眼鏡の位置を直し、チーフは。
「高校生、もっと頭を空っぽにして楽しみなよ」
「はぁ……わかり、ました」
売り場に出ていくチーフを見送る。
夏祭り、か。
行ったこと無い。行くことすら考えたこと無かった。
「どうしたもんかね」
まぁ、祭りの日のこの店って、会場から少し離れている分、わりと暇だったりするし、花火の時間とか。良いとは思うんだけどさ。
誘う、か。来てくれるのだろうか。
「香澄と恵理、か」
来てくれるとは思うけど、いざ誘うと考えると、少しだけ、こう、身体が強張る感じがした。




