先輩、支え合いましょうよ。
先輩が呼び鈴を鳴らすと、すぐに扉が開いた。
「おかえりなさいませ。晃成様」
「久しぶりだな。茉莉」
出てきたのはスーツ姿の女性だ。クールな印象。首まで伸びた髪を後ろにまとめただけで飾り気の無い雰囲気。いや、自分が着飾る必要がありますか? と出で立ちが語っている。カッコいい系と言えば良いのだろうか。女子からラブレター貰ってそう。
玄関から出てきて階段を降りてくる。背も高い。スラっとしている。スポーツ経験もありそうだ。
「そちらの方は」
「俺の後輩で、この間美玖が家出した時に世話になった人だ」
「なるほど。お初にお目にかかります。有村真理と申します。では、中へどうぞ。奥様も歓迎されることでしょう」
そう言った有村さんに続いて家に入る。先輩にとっては帰郷の筈なんだけど。目つ
きが鋭い。敵地に乗り込む戦士のような。油断なく視線を巡らせている。
「晃成様」
「ん?」
「こちらを」
「……はぁ」
有村さんが差し出した紙を一瞥して先輩はサラサラと何かを書き込んでる……チャート?
「はい」
「流石でございます」
「今は茉莉がやってるんだな」
「晃成様ほどの正確さはありませんが。奥様は頼ってくださります」
「はぁ。自分でやれってんだ」
「晃成様、一人暮らしを始めてからは?」
「……茉莉」
「申し訳ございません。出過ぎた質問でした。あなた様のお気持ちにお変わりが無いこと、大変うれしく思います」
その言葉と共にリビングに繋がると思われる扉が開く。
その向こう、車いすに座った女性が私たちの方を見ていた。
「あら、おかえりなさい、家出息子」
「……随分なご挨拶だな」
「事実でしょうよ。あなたが優秀でなければこんな勝手、認めていないわ。頭の出来と人間性は比例しないのね」
先輩は何も言わずに自分の母親を静かな目で見下ろす。今日は目的があるからと堪えているように見える。
「そちらの方は」
「後輩の双葉香澄だ」
「そう」
「初めまして。双葉香澄です。先輩にはいつもお世話になっております」
「晃成の母です」
「奥様。双葉様は先日の一件で、とてもお世話になったと」
「先日の……?」
「家出の件です」
「あーそう。あの件ね。ありがとうね。うちの娘がお世話になったわ」
なるほど……先輩の気持ちが少しだけわかった気がする。
下に見られている。そのことをすぐに直感させられた。いや、先輩からの事前情報で変な先入観が入っているかもしれない。けど。
落ち着け、双葉香澄。直情的なのが私の直すべきところ。冷静に、先輩のように、冷静に。じっくりと相手を観察するんだ。
「茉莉、娘を呼んできて」
「畏まりました」
……よし、狙い通りだ。
美玖のスマホに香澄の連絡先を入れる。これによって外の世界との繋がりができる。
少しして階段を降りてくる足音。扉が開いて。
「まぁ、お兄様に双葉さん。来てくださったのですね」
「美玖さん。お元気そうで」
にこやかに香澄は笑って、優雅にお辞儀して見せる。美玖はそれににこやかな微笑みで応えて。
「驚きました。お兄様が帰ってくるだけでも驚きですのに、双葉さんを連れて来ていただけるなんて」
「あれでお別れは少し寂しかったので、少しだけ我がまま申し上げました」
「そうですね。挨拶もそこそこでしたから。改めてお会いできてうれしいです」
さて、後は連絡先の交換だ。
「双葉さん、私もあなたに興味があるは。息子の後輩だということは、同じ学校なのでしょう?」
「はい。私立光道学園です」
「そう、素晴らしいわ」
「双葉さん、お兄様のように学年首位を取り続けてるのですよ。尊敬しますわ」
「そうなのね」
先輩のお母様は穏やかな笑みを見せる。でも、瞳の奥から感じるうすら寒い雰囲気。
「ご両親は何をされているのですか?」
「いきなり踏み込んだ質問するな、失礼だろうが」
「良いじゃない。ねぇ?」
先輩の言葉を受け流し、こちらに首を傾げて見せる。……凄く断りづらい。
「父は裁判官。母は裁判所事務官です」
「そう、立派なのね」
褒められたはずなのに、どうしてこんなにも何も感じないのだろう。
なんとなく、理解した。
この人、子どもに興味が無い。いや、目の前の人そのものに興味が無い。
「美玖さん、あなたとお友達になりたいです。連絡先を交換しませんか?」
「あ、え、えと……」
美玖さんの目が横を、先輩のお母様の方に向く。
「……そうね。良いわよ。貸しなさい」
「はい!」
美玖のあんな、弾けるような笑顔を見るのはいつ振りだろうか。
俺は、結果で黙らせて自由を手に入れた。でも、その自由には代償があって。
俺の中の俺が囁く。動き出して良いのでは、と。
完璧を狙わなくても、八十点くらいは狙えるだろ、今でも、と。
目の前で連絡先を交換し、にっこりと笑う美玖。こんな年相応の笑顔を、もっと引き出したい。もっと。
そのためには。俺は密かに、決意する。
まずはこの家から引きずり出すだけしても、良い筈だと。
美玖の意思を引き出す。香澄なら、できるかもしれない。
一人でどうにかしようとしていたから、ダメだったんだ。
「それでは、長居するのあれですので、お暇します」
「ふふっ、またいらっしゃいな」
家を出る。
「茉莉」
「はい」
「……いざという時は、頼む」
「お任せを」
隣を歩く香澄に目を向ける。空は茜色、日が沈み始めている。
やるなら今月が良いだろう。なるべく早く。夏休みで時間のあるうちに。あと二週間。
親権を失わせるのは簡単なことではない。知識としてではなく、目の前で見た経験としても知った。でも。
連れ出すことは、出来る筈なんだ。
「か、香澄!」
「はい? どうかされましたか?」
「……あぁ、俺は今、どうかしてるかもな」
「? そんなに疲れましたか?」
「あー……いや……その、な……とりあえず、うちに寄ってくれ。そこで話す」
「わかりました」
家に帰って俺は、香澄をとある部屋に招く。
「? この部屋は」
「俺の計画のための部屋。別にスマホでも事足りるんだけどな」
「何の計画、ですか」
「これから説明する」
この部屋は俺の秘密。部屋の奥にデスクトップパソコンが一つ。モニターは三つ。それだけ。電源を入れる。
「俺は妹をあの家から引っ張り出したいと考えている。だがそれは簡単なことではない。許嫁の件を何とかしなければいけない。許嫁の相手はここでは言わないがとある大企業の社長の息子だ。それに、有村家も、茉莉はともかく、茉莉の父親と母親もとある大きな会社を経営している」
「……つまり、ずぶずぶと」
「そう、ずぶずぶ。その分、敵に回すと面倒だ。戦うためには、力が必要だ。現代社会、資本主義社会において一番物を言う存在、それが、これだ」
パソコンが起動し、俺はとある画面を表示する。
「これが今、俺が個人で持っている資産だ。コツコツと増やしてきた」
「す、すごい……」
家一つ建てるくらいなら十分な額だ。……あの時、恵理さんの三年間の授業料の面倒を見ると理事長に切った啖呵は、はったりでなかったと理解した。
「私は、何をすれば」
「美玖の本音を、引き出して欲しい」
「えっ」
「美玖が今の状況を良しとするなら俺はもう何も言えない。でも、もし、美玖にあの家を出たい気持ちがあるのなら。俺は準備してきたこれを使って、考えて来た計画を遂行する」
「……わかりました。任せてください」
「頼む……俺は多分、初めて人に真剣に頭を下げる」
「せ、先輩ッ?」
頭を下げた。深く下げた。ひざを折って床に頭を付けた。
「俺一人ではどうにもできない。でも、これだけは、絶対に成功させたい。情けないが香澄に頼るしか、思いつかなかった。こんなつもりで美玖の連絡先を聞きたかったわけじゃないのはわかっている。都合よく香澄が聞きたいと言ったところを利用した形になって申し訳ないと思っている。でも、頼む」
ここまで言い切って頭を下げ続ける俺を、香澄はジッと見下ろしてる。そんな視線を感じた。そして。
「先輩。大丈夫です。頭を上げてください」
肩を掴まれ身体を起こさせてられて、そっと首元に回される腕を感じて。気がつけば抱き寄せられていて。
「先輩の気持ち、ちゃんと伝わっていますから。ちゃんと、伝えますから」
柔らかな感触が頭にある。トクトクと聞こえる心臓の音は、どちらのものだろうか。目の上のあたりがじんわりと熱くなる。伝わってくる体温に、力が抜けていく。
「たまには全力で頼ってください。寄りかかってください。そんな申し訳なさそうな顔、しないでください。らしくないですよ。先輩はいつも通り、堂々としていれば良いです」
包み込んでくる腕に力がこもったのがわかった。香澄がどうして急に、と思ったけど。心地いい、なんて考えてしまう。
「支え合いましょうよ。助け合いましょうよ。一緒にいるって、そういうことじゃないですか」
「……悪い」
「謝らないでください。私が困った時は先輩が助けて、先輩が困ったら私が助ける。それだけのこと、何も難しくありません。とても、単純なことです」
香澄には、教えられてばかりだ。
「……ありがとう」
「それで良いんです」




