先輩、いつか来るその日まで。
意識を取り戻した美玖を連れて俺と香澄はとりあえず駅前に来た。
「……なぁ、香澄」
「何でしょう」
「高校生って休日どこに行くものなんだ?」
「私にわかると思いますか?」
「そうだな。悪かった」
「そこで謝られてもなんか腹立ちますね」
文明の利器たるスマホに頼ることにしよう。
「えっと、高校生、休日……ふーん。うーん。カラオケ? アミューズメントパーク? どれが良い?」
「どのようなことができるのです?」
「歌って踊るか、ビリヤードとかダーツとかするか」
「あ、お兄様とまた玉突きしたいです」
「じゃあ、行くか」
「はいっ!」
「……ふすぅ」
「ん?」
香澄が変な息を漏らしている。
「どうした?」
「何でもないです。行く場所が決まったのであればさっさと行きましょう」
「お、おう」
なんだ。少し前の、冷たかったころの香澄を思い出すぞ。最近柔らかかった分、温度差で風邪をひけるぞ。
まぁ良い。良いのか。良くない気がする。どうなんだ。この場合、俺はどうするのが正しいんだ。
悩んでいる間に目的地も付いて、さっさと受付もして。
「じゃあ、美玖、はい、ビリヤード、やるか」
「はい。では、ブレイクショットは誰に致しましょう」
「どうぞ。美玖さんが」
「良いんですか? では、早速」
一球も落ちなかったけど、無難に玉が弾かれる。
「どうします?」
「香澄、良いぞ」
「やったことはありませんが、ルールは知っています。……自身がおありなんですね」
「まぁ」
「では」
ビリヤードキューを構え、真剣な眼差しを手球に注ぐ。ルールはナインボール、香澄は一の的玉に当てなければいけない。とは言ってもそれは手球の目の前。最悪香澄はちょっと突いて転がして当てれば良いだけ。
「っ!」
突き出したキューは、見事に空振り。玉の上を先端が勢いよく通り過ぎる。まぁ、セーフだ。
「……双葉さん、ちゃんと先の方を押さえないと」
「わ、わかりました」
ここでアドバイスを素直に聞けるのが香澄の美徳だ。
「先端を、抑えて……」
今度は慎重にキューを突き出して、しっかりと当てる。だが、身長になり過ぎたな、ころころ転がるも、本当に、当てただけ。大した威力は無い。
「むぅ。先輩の番です。随分自信ありげですが」
「まぁ見てろ」
久々だが、キューを握れば感覚が戻ってくる。
さて……。香澄の視線は訝し気というよりは純粋な興味だ。そんな目を向けられては、嫌でも結果を出したくなる。
そんなわけで。
「流石です! お兄様」
「す、すごい」
「あぁ。存外覚えているものだな」
懐かしい。スネークショットやらジャンプショットやらカーブショットやら練習していた時は、美玖がキャーキャー喜ぶものだから、散々練習したものだ。
「じゃあ、美玖、ほら……」
「お兄様、次はダーツ。ダーツをしましょう」
「えっ、えぇ……」
手早く片付け美玖は俺と香澄の手を引き、受付からダーツの道具を借りてくる。
そんな調子で、一日、美玖は他の思想であったが。
「いつも、こんな感じですか?」
「あぁ。こんな感じだ」
少し前を上機嫌に歩く美玖を眺め、香澄は嘆息。
「殆ど自分は遊ばず。私と先輩が遊ぶのを見て喜ぶだけ、ですか」
「そうなんだよなぁ」
「先輩が促しても、そこまで積極的でなく、私たちを遊ばせたがっていた」
「人のためにあれ。人のためであることを喜びにすることなく、純粋に人のためであれ。『私』を滅せよ」
「なんですか、それ」
「美玖に施された教育方針、だよ」
「……なんですか、それ」
同じ言葉でも、声に込められた感情が明らかに違うのがわかった。
「俺は優秀だった。圧倒的に。同年代の中でも。でも、美玖は普通の範囲に収まってしまうんだ。何事も。それに、女の子だ。あらゆる要素が、あの家に……有坂家に縛り付ける」
結婚して旦那を喜ばせて、家で子どもを世話する。安泰な人生じゃない。そうしなさい。と言ってしまえるのがあの家だ。『そうしなさい』を削るだけでも幾分か違う。
別に俺は、社会に出て自分の力で生きるばかりが幸せとは思わないし、家庭に入り家族のために尽くすのが正しいとも思わない。
俺が気に入らないのは、美玖から意思を奪い、人生を操作しようとすることだ。
美玖は今、俺のところにいる。予定が幾分か早まったが、チャンスは今、機会が目の前に転がって来た。どんなサイコロの巡り合わせだろうか。
やるなら、今だ。あの家の手が、俺達のところに伸びてこない。いつ伸びてくるかわからない。今家に帰ったら既に迎えが来ているかもしれない。
美しい家族、正しい家族。それに妄信的なまでに拘るあの家の魔の手が、伸びているかもしれない。
「……先輩の家って、何をしている家なのですか?」
「政治家」
「はぁ……」
「継ぐ気はないけどな。俺にリーダーは向いてないよ」
「そう、ですか」
「お兄様」
「ん?」
「今日は楽しかったです」
「あぁ。でもまだ、夕飯……」
その時気づいた。あぁ、時間切れだって。
「またお会いできる日を、楽しみにしています」
気がつけば囲まれていた。スカートの裾を掴み、優雅にお辞儀した美玖。それをエスコートする黒服の男たち。そいつらは俺にも恭しくお辞儀して車に乗り込んでいく。
俺はまだ、あの家での権力は多少残っているんだと実感した。その気になれば後を継げる人間だから。俺にはその実力はある。
車を見送る。
美玖……俺は、絶対に……。
先輩の横顔を眺めていた。初めてだった、あそこまで悔し気な先輩を、初めて見た。
自分の実力が届かないことを認められる人だと思っていたけど。今回は違う。それだけ本気だと実感させられる。だから。
「先輩!」
「ん?」
「その……その時が来たら、私も、手伝いますから」
「……あぁ、ありがとう」
いつ来るかもわからないその時まで、一緒にいることを約束してしまうんだ。




