先輩の、妹さん⁉
「えっと、先輩。これは」
「紹介する。妹の美玖だ」
「はぁ……随分と仲がよろしい様子で」
「……とりあえず、起きるわ」
「ずっと起きてたけど、起こさないように動かないでいたんですね」
「そんなところだ」
場所、俺の部屋。俺はベッドで寝ている。そこに絡みつくように眠っているのは妹の美玖だ。
呼び鈴が鳴って香澄が来たことに気づいた俺は、いざという時のために隠してある合鍵の場所を香澄に教えて入ってきてもらった。
「十四にもなってこんな感じなんだ」
「はぁ。中学二年生ですか」
「あぁ。全く。隣の部屋使わせたのによ」
「となりの、へや」
「あぁ」
このアパートを借りる時、兄妹は仲良くするべきという母親の方針で、美玖の部屋も用意されている。
それが初めて使われたはずなのだが。
「可愛らしい妹さんですね」
「まぁな」
「即答ですね」
「……あぁ」
そっと身体から引き剥がして、ベッドから下りる。
「お兄様?」
「ん?」
「あ?」
美玖の声に少しボーっとしていた頭が一気に晴れ渡る。今、目の前にいるのは香澄。夏休み中、ほぼ毎日、俺の生活習慣を正し、朝食の大切さを滔々と説くために家に来ている。だからだ。香澄が家にいるのが当たり前で。
それ故に頭から抜けていたのだ。
今この状況。香澄が家にいるこの状況を、美玖にどう説明するか。
「……彼女さん? ですか」
「あー……」
「初めまして。いつも兄がお世話になっております。妹の有坂美玖です。お兄様、こんな美人な彼女さんがいらっしゃるのでしたら紹介してくださいよ」
「あっ、ご丁寧に。双葉香澄です。あっ、でも、私、彼女では……」
「一人暮らしの殿方の家に合鍵で入ってくる女性が彼女でないとはどういうことですか?」
「あー」
どうする。どう説明する。事実付き合っていない。だがその事実を伝えることに俺は今、物凄く苦戦している。
「先輩、こういう時ばかり私に助けを求める目を向けないでください」
「合点がいきましたよ……いえ、昨日あった食器は三人分。もう一人はどういう方なのですか?」
「……香澄」
「先輩がそんな、捨てられた子犬のような顔を……しかし」
カオスケイオス混沌。冷静に俯瞰して状況を見ても詰んでる。俺の脳内演算機はエラーしか吐かない。
「おや、すみ」
「あ、先輩」
「お兄様!」
掛け布団を深く被り。俺は目を閉じた。
「相変わらずですね。お兄様は」
場所を移してリビング。ちょこんと目の前に座る少女。雰囲気は小さい。けれど立って歩く姿を見てびっくりした。びっくりするほどモデル体型。
ワンピースタイプの薄手のパジャマから覗く細く長い手足。キュッと締まったウエストとヒップ。恵理さん程ではないにしてもちゃんと存在を主張している胸部。絹のように滑らかな黒い髪。これが本当に年下の中学二年生なのだろうか。
思いつく限り、世の女性が欲しい要素を一人の人間に詰め込んだような存在だ。
「すいません。お兄様、自分の処理容量を超える情報量が流れ込んでくると、眠たくなってしまう性質がありまして」
「はぁ」
「寝て起きたら唐突に解決し始めるので、眠るというより無意識下で思考に集中するための防衛本能なのかな、と美玖は思います」
「な、なるほど」
眠っている間に思考している、ということなのだろうか。より正確に言うと、身体の他の機能を制限することで脳みそに全エネルギーを集中させているとか。
どちらにせよ、あの頭脳お化けの先輩を悩ませているこの状況。恵理さんが今日、諸々の手続きのために弁護士さんと出かけていて助かったと言うべきか。恵理さんも一緒だったら眠るじゃなくて気絶だったかもしれない。
「そろそろお盆ですねぇ」
「そうですね」
「お兄様、盆だろうと正月だろうと、高校生になって一人暮らしを始めてから、一度も帰って無いのですよ」
「そう、なんですか」
「えぇ。なので、会うの、一年振りなんです」
「一度も、帰ってない。ずっと、一人」
「そこで心配する相手、お兄様なんですね」
「えっ、あっ。すいません」
「いえいえ、責めてるわけじゃないんです。むしろ、お兄様が、羨ましくなっちゃいました」
そう言った美玖さんは、寂しげに笑う。
「ありがとうございます。お兄様、もう、孤独じゃないんですね」
「あ、あの!」
私は思わず聞く。
私は尋ねる。
私の知らない先輩を。
「お兄さんって、高校に入る前の晃成先輩って。どんな人、だったんですか」
ぽかんとした顔と見つめ合う。美玖さんは人差し指を頬に当て、それから。
「話しても良いのですが、タダで、というのは面白くないですね」
「な、何をすれば、良いのですか?」
「先程、お二人は恋人同士ではないとおっしゃられました。では聞きます。双葉さん、で良いのですよね」
「は、はい。双葉香澄です」
「では双葉さん。お聞きします。兄のこと、どう思っていますか?」
「へ?」
「私のお兄様である有坂晃成のこと、どう思っているのですか?」
「どう……尊敬、しています」
「どのように?」
「感情に流されず冷静に、俯瞰した視点を常に持っていて。観察力があって、得た情報を論理的に繋げる能力があって。私もそうなれたらと思います。最近、そうなれるか自信無くなってきましたけど」
「兄のこと、よく見てますね。良いですよ。話しますよ」
「えっ」
「今、双葉さんが言った兄は、中学時代に完成しましたから。双葉さんが憧れる存在の、その背景の物語、聞きますよね?」
自分でも、喉が鳴ったのがわかった。
「はい、聞かせてください」
「わかりました。……そうですね、どこから話しましょう。でもまぁ、まず、兄は母が、嫌いなんです。母もまた、兄を嫌ってしまったんです」
小学生の頃から片鱗を覗かせていたお兄様の頭脳を中心とした突出した能力は、中学時代にめきめきと花開き始めました。小学校六年生の夏でしたっけ、その頃からですね。取り憑かれたように勉強を始めたのですけど、中学生になってからですね、その傾向がより強まったのは。
よく学び、よく運動し。兄は貪欲に自分の才能の赴くままに様々なことに挑戦しました。
まぁでも、この国の気質と言うべきでしょうか、出る杭は打たれる。お兄様は学校で嫌がらせを受けるようになりました。
ただまぁ、兄は負けず嫌いなところがあり、正義感も強い人なので、屈しないどころか、徹底的に反撃していました。中学一年生の後半の辺りでしょうか、古武術とやらを一人で勉強して練習してましたね。




