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バイト先の毒舌後輩ちゃんの先輩改善計画。  作者: 神無桂花
真面目な後輩は素直になれません。

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先輩、まずは明日!

 香澄の家。初めて入ったな。マンションの前には何度も立ったが。エントランスにすら足を踏み入れたことはない。

 もう夜も七時になる頃だった。正直、人の家に伺うのも躊躇う時間帯。

 指定された部屋番号で呼び鈴を鳴らすと。香澄の声ではない。別の、大人びた雰囲気の声が聞こえる。


「有坂晃成です。双葉香澄さんには学校、バイト共にお世話になっております」

「香澄さんから伺っております。今鍵を開けますので、中へお願いします」


 という言葉と共に自動ドアが開く。エレベーターで指定された階……最上階……この手のマンションって上に行けば行くほど高くて、確か、南向きが高いんだよな。


「……ばっちり南向きだ」


 そんなこと考えている暇ではないな。

 呼び鈴を鳴らす前に、扉が開く。中から顔を覗かせたのは、黒のワンピースに白のエプロン。頭にヘッドドレス。髪は短めの香澄とは対照的な長い黒髪。大人びた顔立ち。多分、年上だ。


「初めまして。この家で使用人をしております。松江亜衣と申します」

「ご丁寧に。改めて。有坂晃成です。香澄にはいつもお世話になっております」

「……あなたが」

「ん?」

「いえ、では、中へどうぞ。ご案内いたします」


 そうして連れてこられた先はリビング。窓際にテレビを囲むようにL字型に配置されたソファー。そこに香澄と恵理が座っている。


「あっ、先輩。すいません。呼び出したような形になってしまって」

「良いさ。それよりも恵理。いい加減、何が起きてるか説明してくれ」

「……そうですね。結果的に、巻き込んでますもんね。すいません。わかりました。説明いたします」


 それから恵理は、目の前のマグカップを持ち上げ、唇を湿らせるように一口、ふと見ると音もなく、俺の目の前にも紅茶が置かれて。


「あたしの母はまぁ、何と言いますか、男の人の扱いが上手い人でして。父と早々に別れた母は、色んな男性を利用してあたしを育ててくれました」 


 まぁでも、真っ当に稼いでる人が、母みたいな人に早々引っ掛かるものでもなく、大概はしばらく贅沢した後、何かに追われて引っ越して、みたいなことの繰り返しでして。毎度、子持ちであることを隠していた母は、あたしの存在がバレた後は当然捨てられるわけです。

 それでもまぁ母は贅沢の味を覚えてしまった人間、同じことを繰り返します。

 盗みをやめられない人。一時期無料で利用していたサービスが有料になることに耐えられない人。母もそういう人の一人。

 元の生活ランクを取り戻すために母はまた男を捕まえて贅沢三昧。まぁ、あたしにお金を送ってくれるだけ良いんですけど。気がつけば、自分で生活できるようになっていた。鍵っ子なんて珍しい時代ではない。それに母はたまに顔を出していた。近所の人に愛想よくしていた。だから周りの人も怪しんだりしなかった。

 でも、今回は違った。


「家、売りに出されていました。あたしの荷物は、とりあえず、回収、出来たんですけど」

「……退去の強制執行か」


 香澄を見ると、ふと視線を逸らす。その先、大きな段ボールが三つほどあって。開いたところから高校の教科書や衣服の類が見えた。


「松江さんが車、出してくれたんですよ」


 頭を下げる恵理に、松江さんは軽く頷くことで応える。

 強制執行までは段階を踏むが、その通知は全て母親の方に行っていて、恵理には来てなかったといったところか。

 あの家の立地は良い方だろう。買い手もすぐに付きそうだ。


「親との連絡は……ついてたらここにいないか」

「お察しの通りです。母はもう逃げてますよ。男と。父になる予定は消えましたね……本当に、一人に、なってしまいました」

「……先輩」

「ん?」

「これから……」


 恵理はどうしたら良いか、か。


「まずは学校だな。明日、理事長に相談しよう」

「い、いえ。学校は、流石にやめますよ。適当な部屋借りて、そこで働いて残りの人生何となく生きて行こうと」

「だめです」


 反論しようと口を開こうとした、それよりも早く声を上げたのは香澄で。


「まず、資金はあるのですか。あったとしても、恵理さんの年齢では、保証人がいないと部屋は借りられません」

「えっ……でも」

「まずはこの家に身を置いてください。松江さん。申し訳ありませんが」

「構いません。帰るところを失った女の子を放り出すほど、酷い人間ではないので。明日からは一人分、食事を増やします」


 先ほどまで何も言わず香澄の後ろに影のように佇んでいた松江さんは淡々と当然の如くそう言った。


「ありがとうございます。父さん達には私の方で連絡しておきます」

「で、でも、そんな。だって、あたし、何も、返せない」

「俺にあんな熱心に手助けして、碌な要求もしてこなかった奴が何を言っているんだ」


 恵理は首を横に振るが、香澄は畳み掛けるように恵理の肩を掴んで。


「恵理さん、明日、理事長のところに行きましょう。学校はやめさせません。けれど、授業料のこともあります。場合によっては納入を延期、あるいは卒業後に払う形にしてもらうのが良いです。直談判です。先輩、私、アポ取ってきます」

「あぁ」


 心強いな、思ったより。

 香澄は次々と、するべきことを導き出して、自分から動いた。誰かのために、一生懸命になれる。その姿が、ひたすら眩しい。


「安心しろ、どうにかする」

「どうにか……」

「あぁ。俺は……天才、だからな」

「あっ……」


 するっと出てきたセリフが、不思議だった。天才、という言葉を使いたくない自分がいた筈なのに、今、何の抵抗もなく、物が上から下に落ちるかのように、自然と言えた。

 そんなことは良いや。吐いた言葉はもう、飲み込めない。だから。


「だから、明日、俺も一緒に行くよ」


 勝利条件すら見えてないのに、俺は何を言っているんだろ。でも。


「恵理、俺が、絶対に助ける」

「……近いです」

「ん?」

「カスミちゃん?」


 スマホ片手に戻って来た香澄は。両手を広げ。俺と恵理の襟首を掴み。


「近いですぅ―!」


 と叫んだ。高いマンションだ。防音もばっちりなんだろうなとぼんやりと思った。


「……お話がまとまったのでしたら、夕飯。如何でしょうか? 有坂さんの分も用意しました」

「あ、え、あ、ありがとう、ございます。いただきます」

「ふふっ、カスミちゃん、かーわいっ」

「し、知りません」


 ……守らなきゃ。

 できるのか? 一人を選び続けた奴が、今更背中に誰かを庇えるのか?

 冷たく言い放つ、自分を観察する自分。


「やるしかないんだよ」


 今返せる言葉は、それだけだ。


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