先輩、良い夜ですね。
「でも先輩、急に冷たいのはいただけません。先輩の話はとても素晴らしく、感銘を受けましたが、それでも小中学生の女の子には急に重いです」
気がつけばいつも通り私は先輩に率直な意見をぶつけていた。並んで歩く夜の森。先輩は人を一人背負いながらも平然とした様子だ。
人を一人、女の子を……背中に密着……あっ。
いやいやいや。先輩がそんなことを考えるわけがない。ただの善意だ。
「……まぁ、そうだよな」
「へ?」
「重い、か。その通りだな。君の言う段階を踏むというものが欠如していたな」
そう言いながら先輩は顔を伏せる。……あっ。
「あ、いえ。そんな、落ち込まないでください。ごめんなさい」
「いや、別に落ち込んではいないが」
「な、なら良いのですけど。その……はい、先輩の話は、非常に身が引き締まるものでした」
「そうか」
先輩の反応は素っ気ないもので。意識はどこか別のところに向いているような……やっぱり背中の……いやいやいや。こういうことを考える私の方がいやらしい
「私はやらしくなんかありません!」
「急にどうした」
「いえ。先輩、先輩も男性です。何も言いません」
「……すまない。話しが見えない。一から説明してもらえるか?」
「おにーさん。鈍いね」
その言葉が聞こえたのはまさに今、先輩が背中に背負って歩いている女の子。
「えっと、桜坂さん、だったか? 話が見えない俺が悪い感じか?」
「うん。女の子に何言わせるの? って感じ」
「そうか……だが、わからん」
「簡単な話だよ、おにーさん。これ、だよ」
「んぐっ」
「くすくすくす。良い反応、えいっ、えいっ」
「ちょっ、うごくな。まて」
「うわ」
先輩が、あの先輩が、目を回してる。ふに、ふに、と形を変えるそれ……え、この子、私より、年下、だよ、ね。
「……くっ」
「おにーさん、責任もって運んでくれるんでしょ。くすっ、意外と可愛い人。頭良い人でもこういうのには弱いんだね」
意外だ。先輩が、たじたじだ。なるほど……何がなるほどなんだろう。
「まだもう少しゴールまで距離、ありますよね。もう少し遊んじゃおーっと、楽しませてね、おにーさん」
「い、え、あ、おい」
「えっ、桜坂さん!」
先輩の語彙力が崩壊して、桜坂さんは不気味な笑みを浮かべて……。
それから少しして。ようやくゴールにたどり着いた時には先輩は。
「……怖い……女の子、怖い、自分の武器理解してる子、怖い」
虚ろな目でブツブツ呟いて、すっかり火が弱まったキャンプファイヤーを囲むように置かれた椅子に腰をおろして崩れ落ちた。
「あはは、楽しかったよー」
「なんなんだ、あの生き物。香澄とか恵理とかと、同じ女子なのか、本当に」
……多分、似て非なる生き物だと思います。という言葉は胸の内に仕舞って。
でも実際、先輩ってどうなんだろう、大きいのと小さいの、好み、あるのかな。先輩の好みって、どんな女の子なんだろう。ここまでたじたじになるって、大きい方に弱かったりするのだろうか。うーん。
って、なんでそんなこと考えてるんだ。別に、先輩のこと好きじゃ……ない、わけでもない。とは思うけど。でも、そういうのじゃないんだ。
「ふんす!」
今はそんなこと考えていて良い状況じゃない。考えるべきことはまだまだいっぱいある。
「恵理さん、治療の方はどうですか?」
「安静にする必要はあるけど、そこまで酷くないよ。ちゃんと冷やせば大丈夫」
「良かったです。……器用ですね」
「昔からこういう治療する機会が多かっただけだよ」
「はぁ」
中学時代運動部だったとかだろうか。
「よし、終わったよ」
「ありがとーございます。おねーさん」
クスッと悪戯っぽい笑みを浮かべる桜坂さん。
「いえいえ」
にひっと無邪気な笑みを返す恵理さん。
……なんだろう、この対決、実現させてはいけない気がする。
「はぁ……」
「何だかんだ、疲れたねぇ」
管理棟の傍の入浴施設でボーっとお湯に浸かりながら天井を眺める。生徒たちはもう就寝時間だ。
「君たちには感謝してるよ。君達がいなかったら、どうなっていたことやら」
「いえ。私たちもいい経験になりました」
結城さんと東雲さん。二人は肩を竦めて、そして。
「理事長が君たちを呼んだ意味、身をもって思い知らされたよ」
「私と晃成先輩だけでは多分駄目でした。恵理さんが来てくれたから、取っ掛かりができた。そう思います」
「どうだろ。あたしいなくても、二人ならどうにかできてたんじゃない? あたしがちょっと簡単にしただけで、結果は変わらなかったと思うよ」
「所詮はたられば。君が来て自体が好転した事実には変わらない。南」
「そうですね。南さんは確実に生徒との繋がりを作ってくれましたよ」
恵理さんは二人の言葉に照れたように笑う。
「えへへ。上がりますね、のぼせちゃいそうです」
「では、私も」
結城さん達はまだ入るつもりのようで、二人で脱衣場に。
……凄いな。私より背、低いんだよね。横目で何度も見てしまう。
「んー? どしたのかな?」
「え、えっと」
「? 揉んどく?」
「な、何を聞いているんですか!」
「あはは、冗談だよ。ドライヤー先に借りるね」
「あ、はい」
ふわふわの髪が温かい風に吹かれる。
「……うーん」
やっぱり、私、選ばれないよなぁ、恵理さんが本気出したら。
……最近、こんなことばかり考えている気がする。
「はい、カスミちゃん」
「あ、はい。ありがとうございます」
短い髪だから夜はすぐに乾く、朝は少し癖のある髪と格闘することになるけど。
「……しいね」
「えっ?」
ドライヤーの音の向こう。恵理さんが何か言ったのが聞こえた。
顔を向けると、恵理さんはニッと笑って。
「たーのーしーいーね!」
と言い直してくれる。
『楽しくて、苦しいよ』
でも、続きが、ある気がして。
でもその時の私は、聞けなかった。
「行こっ。センパイ、待ってるし」
「は、はい」
夜の山は、少し冷える。それは夏でも。吹き抜ける風はそこに確かに生命が芽吹いてる。そう確信させる香りがした。
すっかり小さくなった炎。枝で薪を崩しながら先輩はぼんやりと空を眺めていた。普段は常にいくつものことを同時に考えているであろう先輩、でもその時は頭に貴重な休憩を与えているような、そんな。
「あぁ、おかえり」
「戻りました。お疲れ様です。先輩……なんか、良い夜ですね」
先輩はグッと伸びをして。
「火、任せて良いか?」
「はい! お任せあれ!」
差し出された枝を受け取ったのは恵理さんだった。
「先輩、ごゆっくり―」
「あぁ」
静かな夜だ。虫の音がよく響く。木の葉の擦れる音すら、はっきりと聞こえる。
多分、好きな夜かもしれない。今までで一番くらいに。




