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バイト先の毒舌後輩ちゃんの先輩改善計画。  作者: 神無桂花
真面目な後輩は素直になれません。

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52/110

先輩の学ぶ理由。

 木々の間を走り抜ける。足元が暗闇で覚束ないというのは存外恐ろしいものだと知った。

 自分が今から足を下ろす先、何があるのかわからない。闇という沼に足が浸かってしまったかのように重い。少しずつ、夜と自分の身体の境界がわからなくなっていく。

 手に持ってる懐中電灯と木々の隙間から差す月明かりだけが、認識を保ってくれる。景色が開けていく。

 ……ここか。水面を月が照らしている。穏やかに照らしている。そしてその縁。


「あっ、先輩」 


 見覚えのある背中が見えた。小柄で、華奢で、吹けば飛んでしまいそうな、守らなきゃと思わせる、そんな……。

 その横には結城さんと東雲さん。どうしたものかと悩まし気だ。


「状況は?」

「見つけたの、ですが。その……」

「ん?」

「全く、なんで四班の奴に何も言わないんだ。そうじゃなくても一人だけ戻って来て誰か呼んでくるべきだ」


 結城さんの言ってる内容から察するに、誰か動けなくなって、その場に留まっていた、といったところか。


「うるせぇ! あんたらの力なんか、誰が借りるか!」


 足を挫いたのだろう。湖の水で冷やしたタオルを足首に巻いている。

 さっさと戻ってちゃんと処置をした方が良いだろう。けど。


「あんたらは戻ってろよ。自分たちで何とかする」


 タオルを巻き終えて、こちらに振り返った子は真っ直ぐな瞳で俺達にそう告げた。


「そんな強がらなくても」

「うるせぇよ……あんたらに。優秀なあんたらに、何がわかるって言うんだ! あの女に気に入られて秘書やってるあんたらに、あの女が理事長やってる学校で、一位取れてるあんたらに、私らの何がわかるって言うんだよ!」


 夜の山にこだまする叫びは、魂を切り裂いたような、そんな音がした。

 他の班員も宥めようと手を伸ばすが、それすら振り払い、にらみつけ。叫ぶ。


「施すな。何もするな、ほっといてくれ。妬んでんだよ。あんたら見てると劣等感で引き裂かれそうなんだよ。だから、ほっといてくれよ」


 何度も言われたことだ。聞き飽きた主張だ。でも俺は一度でも、その言葉にちゃんと答えられたことが、あっただろうか。何度も出てきた問題、一度も完全解答したことが無い。

 俺はこの問題を学ぶことから、逃げ続けていることを思い出した。


「なぁ、教えて見ろよ。あんたは答えられるのかよ。なぁ!」


 矛先が、俺に向いた。


「答えてみろよ。私たちに教えて見ろよ。なんで勉強するんだ? 私たちは教えられてもできないからここにいる。そんな私たちがなんで勉強しなきゃいけないのか、教えてみろよ!」


 ……ちゃんと向き合おう。

 なんで、勉強するのか。


「教養とは共通認識だ」


 考える。そう、まずはここから。なんで学ぶのか。よく、こんなの社会に出ても使わないと言われる科目がある。社会に出たことが無い俺にその成否は判断できないが。現時点での俺のそれに対する答えは……。


「例えばピカソのゲルニカ。何も知らない奴が見れば、ちょっと壮大な小学生の落書きだ。けれど、キュビズムという表現法を知っていれば、評価は変わる。世界的名画になる」


 その概念を多くの人が共有している限り、ピカソの絵の価値は保たれ続けるだろう。


「上流階級ともなれば古典や歴史の知識が無ければパーティーとかで恥をかくという話はよく聞く話だ。演説で有名な古典の一節を引用されてもわからない。歴史的事件になぞらえたジョークを言われてもわからない。それはつまり共通認識、つまりは常識を持てていないということになる。その場に立つために相応しい知識量があるってことだ」


 知識量、持っている知識の内容で会話の合う、合わないが決まると言っても過言ではない。広い知識を持っているということは、色んな人と対等に話せるということだ。

 吉原遊郭の遊女の中でも位の高い花魁と呼ばれる者はかなりの教養があった。庶民には決して手の届かない存在、つまり位の高い者しか相手にしない。位の高い者を相手にできる。つまり、その時代にちゃんとした教育を受けて来た者と同等の共通認識を持てているということ。位の高い存在と対等に渡り合うということはそういうことだ。

 人は自分が話したい話をしたい生き物で、それで気持ちよくなれる存在。その話に対して相手が興味を持って聞いてくれれば嬉しいもので。興味を持つということは、それを理解できる可能性ああるということ。

 理解という行為を致すには、ある程度の下地。基礎的な教養が必要になる。花魁にはそれがあったということだ。

 まぁ、花魁を呼べたとして、まずは客側が頑張って気を引くことから始めなければいけないという話は置いておこう。


「政治家とか大変だろうな、これから良い関係を気づこうとしている相手に舐められたらそれで終わりだ。周りが即座に笑ったり秀逸な返しをしたりしている中、意味が分からないという顔できょとんとするなんてできないだろ。文字通り国を背負って勉強していることになる。平安時代、和歌の巧拙で政治ゲームしていた頃と変わらない。いや、責任はより重くなってるか」


 その会合の本筋と何も関係のない会話だと思うだろう。だが、違う。国と国、会社と会社の関係も、突き詰めれば人と人の関係だ。その人自身を通して国やら会社やらを見ているだけ。

 誰だってやる。眼の前の人間の値踏みくらい。関わるに値する人か測るくらい。


「俺達と君たちの関わりと何ら変わらないものの規模が、やたらデカくなっただけだ」


 じゃあ、何が言いたいって? 君たちは俺達と関わる資格が無いって。違うんだよ。


「それを踏まえて、知識とは物事を見る角度を増やすためのものだ。先人が身をもって確かめてくれたものが風景に情報として加わる。目の前に広がる森。例えば足元に落ちてるかさの開いている松ぼっくりや、乾いてる枯れ枝は焚火する時に使える。そのキノコは食べたら腹を壊すとかな。その場に立つには必要な知識量があるというのは、どんな場所においても変わらない。知識が少なければ視野が狭くなる。視野が狭まれば、その場においての敗北の可能性は高くなる」


 そこで一呼吸を置く。俺に答えを聞いてきただけあって、ちゃんと聞いているようだ。それは感心だ。だから。


「知識が増えれば、検討できる角度が増える。その場その場で様々な可能性を検討するんだ。そしてそれを繰り返せば、その場における最適解というものを導き出せる可能性が高くなる。知識を増やし、思考する習慣を身に付ける。それが学ぶ意味だ。君達は今回、思考を怠り、ただの我がままで俺達や他のメンバーに迷惑をかけた。今頃他のみんなは風呂に入れずに待っている。想像したか? そういう可能性を」

「っ……だから」

「ほっとけば良い? ってか。アホが。俺達は仕事で来てるんだ。どうして見捨てることができると思った。俺達は君達の面倒を見る責任がある。好き嫌いで仕事してない」

「でも……」

「甘えるな。弱さに甘んじるな。歯を食いしばれ、君たちは弱い。弱いからそういうことしかできない。強くなれ。強くなりたい。その意志を持つことから始めろ。可能性はいつだって、そこから生まれる。悔しいと思うなら、自分の弱さを悔いる気持ちがあるのなら。誰の助けもいらない存在になりたいのなら。そうなれるに相応しい強さを身に付けろ」


 はっきりと先輩は告げる。人によっては、冷たいとも取れる言葉を。でも。


「俺達は教えるという責任を全うするつもりだが、結局のところ学ぶ意欲が無い人間に何を言ったところで無駄だ。もしもこの失敗を悔しいと思うのなら、今日君たちが得た教訓は、目の前の先生の脳髄を啜り尽くすつもりで学べ、といったところか」


 そして先輩は、足を挫いた子を背中に背負い。


「まぁ、頑張れ。俺だって最初から、出来たわけじゃないんだ。ただ、学んで、出来ることが増えると、楽しかった。それだけなんだ」


 そう言って、ポンと頭に手を乗せる。叫び引き裂かれた心をあやすように。


「良い処置だ。持っている道具とこの場でできる応急処置としては及第点だ」

 それから先輩は歩き出す。

「あ、足元照らします」

「ありがとう」


 夜の闇の中、先輩の中の学ぶ理由。強くなりたい。先輩の根底にあるものを見られた。そんな気がした。


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