先輩、難しい顔はご法度です。
香澄に連れられて来られたのは、キラキラした感じではなく、落ち着いた雰囲気のお洒落さがあった。
「ここのパンケーキ、分厚くて美味しいらしいんですよ」
そう言った香澄の顔は、ホクホク顔。しれっとその分厚いというパンケーキ二枚乗せを二皿頼んでいた。一人二枚だ。……躊躇いもなく大盛りをベーシックとして選ぶとは。恐ろしい子。
「コーヒーも付けてくれ」
「わかりました」
……気に食わない。今の先輩、気に食わない。ムカつく。腹立つ。むかっ腹立つ。
なんで急に、なんで急に私を突き放すの……やっぱり嫌われてるのかな。……頭まで撫でといて? あんな夢中になってさ。本当にわからない。
だからムカつく。わからせてやる。
全く。何をビビってるだ。この先輩は!
「先輩」
「ん?」
「美味しいものは偉大なのです」
「そうだな」
「美味しいものの前で難しい顔は、ご法度です」
「いつだったかも聞いたな。そんな顔してたか?」
「してますよ。何を悩んでるのですか?」
「いや別に。そんな深刻なことを考えていたわけではない」
考えをまとめてから話すと言っていたこと。先輩にしては随分と悩むじゃないか。何を悩んでいるというのだ、この人は。
でも、今は。
「いただきましょう」
「あぁ。いただきます」
……あ、これは。
分厚いわりに柔らかく、でも表面の生地は微かにサックとしていて。でも、中はしっかりとふわふわしていて。香ばしい香りが口の中に一気に解けるように広がった。
あぁ、生地って、甘いんだ。だから添えられているイチゴもブルーベリーも酸味があって甘さが控えめで。
「? 先輩、何ですか?」
「いや。美味しそうに食べるなって」
「実際美味しいですし。先輩はお口に合いませんでしたか?」
「いや、美味しいよ」
「なら、人の顔じろじろ見てないで、食べましょうよ。何と言いますか、圧が凄いです」
「あぁ、そう」
じーっと注がれる観察するような視線。先輩、考えてるんだなぁ。
先輩の考える時の癖、前髪を指で挟んで引っ張って。指でクルクルと弄るそれ。最近気づいた、先輩の考え込む時の癖。だから。
一瞬開いた口、そこを狙って。
「むぐっ。むぎゅ、ん。何をする」
「言いましたよ。難しい顔はご法度だと」
「あ、あぁ」
自分から突き出し押し込んだフォーク。それを見て。一瞬頬が熱くなったけど、これで戸惑うのは負けた気がする。だから。
「美味しいですねぇ」
なんて言いながら私はまた一口、パンケーキを口に運んだ。
「……よく水も飲まずにパクパク食えるな」
「そうですか? 美味しいじゃないですか」
「あぁ、美味しいのだが、俺は一枚で十分だったぜ」
「先輩、少食なんですね。意外と。育ち盛りの男子高校生、もっとしっかり食べないと栄養足りなくなりますよ」
「これ以上縦にも横にもデカくなりたくないよ」
「まぁ、確かに先輩は、高身長の部類に入るでしょうけど。細いとは思いますが。筋肉とか欲しくないですか?」
「必要以上には求めてないよ」
「……まぁ私も、ゴリゴリの巌みたいな先輩を見たいとは思いませんが」
「そういうもんか?」
「そういうものですね。線が細い人が好みなので」
「ふぅん」
……私、好みとかあったんだ。そりゃあるか。人間だもの。
私が食べ終わる頃、先輩は最後の一口を飲み込んでコーヒータイムに入る。ゆっくりとマグカップを口に運んでいる。
「……ごちそうさまでした」
「うん。ごちそうさまでした」
問い詰めるんだ。先輩を。有耶無耶になんかさせない。
お店を出て。私はそのまま先輩について行く、先輩は私を家まで送るつもりみたいで。だから。その手を……。
「えっ」
「私、着替え、持って来てます。先輩の家、行きます」
「いや……その」
「先輩、聞かせてください。先輩は、何を悩んでるですか。何を迷ってるんですか」
先輩は、私に意見を求めてくれた。なら、今回も。今回だって、良いじゃないですか。
「先輩、聞かせてください。私も考えます。一人より、二人です。先輩だって、学んだことじゃないですか」
「……これはまた、別の話だ」
「それでもです一人で悩んでいても答えがでないのであれば、別のアプローチをすべきです。いつもの先輩なら、そうしているはずです」
「……あぁ」
勝てない。俺はこの子に、勝てない。
夏のうだるような太陽よりも眩しく、真っ直ぐな瞳が、熱を持って俺を貫く。
「本当は、明日からの理事長からの仕事の後、話そうと思っていたんだ。行こう。暑いし」
ちゃんと話すとは、誓っていた。俺の考えを、俺の意思を。でも、まとまっていないんだ。
まだ、まとまっていないんだ。
香澄の言うことに納得する自分と、それでも意固地になっている自分がいた。柔軟な考えなんて無い。ただ、どうすべきか一人静かに向き合っている。
気づいてしまったら、考えずにいられないこと。
俺の中で、決着を付けなければいけないこと。それを。
「……香澄」
名前を呼んで、少しだけ嬉しくなる自分を、どうしなければいけないのか。
楽しいなんて、個人の感情に、委ねて良いのか。
俺は、一人でやってきたんだ。だから、出来る筈なのに。なんで躊躇うんだ。
考えれば考えれば深みに嵌まる思考の沼。気軽に考えていた筈のことなのに。少しずつ、少しずつ。こんがらがっていく。
複雑に絡み合ったことを解いていくという基本と逆行していく思考に俺は。
今この子に、示せるのだろうか。俺は。




