先輩の考察、聞かせてください。
学校まで二人で行くけど、全くの無言というほどでもないけど。どこか探り探りな感じは否めない。失敗したのかもしれない、俺は、さりげなくって奴が必要だったのだろうか。今となっては結果論だけど。
冷房の効いた電車の、普段より空いている車内。気まずさを埋めるべく言葉を並べる。
「せ、先輩は、三国志とか、読みますか?」
「あぁ、読んだな」
「じゃ、じゃあ、あー……」
振り絞るように提示された話題に俺は飛びつくことを選んだ。
「じゃ、あの、諸葛亮孔明の策略、石兵八陣は、ご存じですか?」
「うん」
……何で私、こんな話題振ってるんだろ。意味が分からない。もっとセンスのある雑談があったと思うんだけど。
石兵八陣、石で作られた、一度入ると抜け出すことのできない、孔明必殺の陣。
「まぁ、あれ自体は作り話だろうけどさ」
「で、ですよね」
「できなくはなさそうだけど」
「へ?」
「どういう陣か知らんし、奇門遁甲がどんなものなのかわからないけど、石兵八陣自体は不可能ではないかもしれない」
な、なんですと。
相手が先輩だから成立した話題だなーとか思ってたけど、予想外の方向に話が吹っ飛んだぞ。
……雑談って、難しい。いや。それよりも。
「つまり先輩は、石兵八陣が作り話かどうかはともかくとして、不可能ではないとお考えなのですね」
「あぁ。人間の感覚ってのは、存外簡単に騙されるものだからな。あの話自体は、三国志演義において、諸葛亮の英雄性を高め、劉備の失策による大敗から目を逸らすための話として用意されたものだという説が主流で、三国志正史のほうでは、陸遜は、劉備の敗北を予見した魏の曹丕による呉への急襲を読んで、敗走する劉備を追って白帝城攻めを孫権に上奏する徐盛達の意見に反対して、主力を呉の守りに回してる」
うんうん。でも、それよりも。
「なるほど。して、石兵八陣が可能かどうかという点について詳しく聞きたいです」
あそこはご都合主義だなと私は思っていた。先輩の解釈が聞けるなら、聞きたいところだ。
「あぁ。とりあえず白帝城に敗走する劉備を追って進軍すると仮定する。敗走する敵を追うんだから全員馬で、恐らく足の速さ優先の少数精鋭だろう」
「前提条件はOKです」
「見える景色は一見すると無造作に並べられた、見上げるほどの高さの巨石達だ。これで、間違いなく視界が狭まる。そんでもって時間帯は朝方、夜闇に紛れて逃げる敵を追っているうちに夜が明けて来た。気象条件は曇りで濃霧と想定すると、俺の中ではある程度完成する」
「すると、どうなるのですか?」
「あぁ。ただでさえ狭い視界に霧でさらに悪くなる。視界が狭く、高さのある存在に囲まれるというのは、心理的不安を煽る、凄まじい殺気を陣から感じたという描写があるが、俺はこれに起因すると考えている」
「あぁ」
小柄な香澄には思い当たる節があったようで、納得したように頷いた。
「真っ直ぐ走れば抜けられると考えるだろうが、それでも配置された石がそれを許さない。真っ直ぐ走っているつもりでも、石柱を避けることを強いられる」
言葉を切ってちらりと見ると、香澄は頷いて続きを促す。冷静に考えてこんな長ったらしい考察、よく聞いていられるな。この子。
「どれだけ進んでも景色は大きく変わらない。そうなれば方向感覚だって狂う。自分が真っ直ぐ陣の外に向かって進んでいるのかわからなくなる。俺だったら陣の中央に行くにつれて、石柱と石柱の間の間隔を少し広くするな。景色が開けている方が外だと判断するだろうからな」
ごくりと香澄が息を飲んだのが聞こえた。……意外と好きなのか、こういう話。もしかして。
「平原を吹き抜ける風が巨大な石柱に向かって吹けばビル風と似たような現象が起きるだろう。馬だって落ち着かなくなる」
電車が減速を始める。そろそろ着くか。話しをまとめよう。
「出口の方かと思ったら出口ではないという落胆。戦場特有の精神的、肉体的疲労。もう少しで勝てる筈という高揚感。それに反する、謎の石の陣がどうしてか抜けられない焦り。そうなれば判断力だって鈍る」
香澄はふむふむと興味深そうに頷く。
「人間は焦ると平時ではやらないような行動をするものだ」
「あっ……」
「ん?」
「いえ、続けてください」
「あぁ。例えば石柱から石柱へ、左側面に触れながら進んで、方向感覚を物理的な方法で保ちながら真っ直ぐに進めば良いとか、そういう簡単な対処法、それができにくくなる状態に陥らせる。冷静に考えれば簡単、だが、その冷静さを失わせるのが策略。ということかな。俺の中での石兵八陣は」
三国志演義の諸葛亮には憧れたものだ。地形、気象、人間の心理、それらを読み、操り、鮮やかに勝利を収める様は小学生ながらこうなりたいと思わされた。
電車の扉が開く。吐き出される人の流れに合わせて移動する。
「好きなのか? 三国志」
「はい……劉備のように、人徳に富んだ人になりたいなと」
「そっか」
その割に、劉備が大敗した戦についての話、熱心に聞いていたな。それとこれとは別か。
「どれ、さっさと行くぞ」
「はい」
お互い、気まずくならないように努力する。あの時とは……春、俺と香澄がよく一緒に行動するようになったきっかけとも言えるあの時とは、違うんだ。
だから俺は、言うべきことを、ちゃんと、言うんだ。




