せ、先輩。これが、罪の味。
わからないけど、嬉しかった。
賞味期限が今日だった豚バラを炒めながら、考える。とても取りやすい位置に調味料とか油が大体揃ってるな、と思いながら考える。
さらっと言われた、美味しいという言葉が、お腹のそこからぶわっと熱を持って広がって。
「……変だな」
ふわふわした気分だけど、手はしっかりと動いてくれる。
「はぁ」
頬が熱い。火の近くにいるからではない。自分の内から溢れる熱だ。
先輩の好み、そういえば、ちゃんと聞けてないな。
先輩の好物って何だろ。嫌いな食べ物は許しません。容赦なく食べてもらいます。
「よし、あとは余熱で」
炒飯と、青椒肉絲。で良いでしょう。さて、二人の様子は、と。
「センパイ、シャーペンとか持ってないんですか?」
「シャーペンを持つこと自体が隙だからな。ほら、それより続きだ」
リビングに入ると、先輩が何やら参考書をペンで指しながら何やら教えているようで。でも、声だけはかけよう。
「できましたよ」
「わーい」
「おっ、運ぶのくらいは手伝わせてくれ」
なんて、すぐに立ち上がって言うんだ。そんな一言に、心臓はあっさりと跳ねる。
「あっ、いえ、私、やるので。キリの良いところまでどうぞ。終わったら片付けてください」
熱くなった顔を見られないように背けて。そそくさと台所に戻る。
……仲良さ気だったな。
「う、羨ましくなんかない!」
そう、今は、やるべきことをやる。箸と、取り皿。
「って……」
割り箸、こんなに。えっと、皿は……あれが良いかな、しばらく使って無さそうだけど、大きいし。
「んっ」
届かない。自分の背の低さが、恨めしい。
「だから、手伝うって言ったろうが」
後ろから伸びて来た手は高い位置にすんなりと届いて。私が取ろうとしていた皿をひょいと取り出して見せた。
「はい、これだろ」
「あ、ありがとうございます」
……先輩、背、高いなぁ。百七十は余裕で越えてるだろうな。
「どうした?」
「いえ、すいません。盛り付けるので」
「あぁ。持ってく……おぉ、美味しそうだな」
「はぅっ」
「どうした、変な声出して」
「あ、あ、あ、ありがとう、ございます」
「おう。こちらこそ、お疲れ様」
「や、やっぱり、先輩はリビングにいてください。私がやります」
「えぇ……」
「その、あんまり、顔、見ないでください」
大皿で良かった。顔が隠れる。
「……わかったよ。じゃ、頼む」
「はい、ありがとうございます」
あっさりと引き下がってくれた先輩に感謝しつつ、料理は冷めないうちに、顔の熱を冷ましながら、手早く盛り付けるんだ。
それから夕方までしっかりと勉強した。
「それじゃあ、二人とも。また明後日学校で―」
「あぁ。今日は休んで良いからな。明日は何かあったら電話してくれ」
「はーい」
夕方の六時を回っても明るい。空は茜色。恵理が予想以上に俺と双葉さんで作った模試で点が取れていたということで、明日は自主勉強になった。
「なんつーか」
「はい」
「双葉さんとこんな風に過ごすことがあることに驚いてる」
「それは、私もです」
「昼飯、美味しかった」
「ほわ」
「ん?」
「い、いえ。ありがとうございます」
頬を掻く。これは正直な気持ちだ。ほんの少し前まで料理殆どしたこと無いと言っていた筈だが、学習能力が本当に高いんだなと。
「先輩、今日の夕食のご予定は」
「適当に駅前のラーメン屋」
「駅前で、ラーメン」
双葉さんは少しだけ目を輝かせる。
「……一緒に行くか?」
「は、はい。すいません。松江さんにその旨を連絡します」
「あぁ、それは大事だな」
しかしながら改めて考える。俺、この子を変な道に引きずり込んでないよな、と。
「これが、ラーメンですか」
「あぁ。お気に入りだ」
「先輩の赤いですね」
「見た目ほど辛くはないぞ」
テーブル席で向かいあって座る。双葉さんのは普通の醤油ラーメンだ。普通のとは言っても、ここの当たりは醤油ラーメンと辛味噌ラーメンだと思っている。
手を合わせて箸を取る。双葉さんは控えめに啜る。
「あっ、美味しです」
「だろ」
細いちぢれ麺は、スープによく絡んで、鰹出汁の効いたスープが口の中に一気に広がるのだ。
「凄い、チャーシューが蕩けました。スープも美味しいです。あの、先輩、そちらは」
「あぁ、気になるか?」
レンゲの中にスープと麺と小さいチャーシューの切れ端を配置して差し出す。
「はい、お食べ」
所謂ミニラーメンだ。
「ありがとうございます。いただきます」
目の前の双葉さんは目を閉じて咀嚼して、飲み込んで。……あれ、これ、所謂間接……?
「あっ、美味しいですね。確かに、見た目ほど辛くないです。旨辛って奴ですね」
「だ、だろ」
太めのちぢれ麺は辛みその程よい辛さと味噌の香り、旨味。それらを一気に啜らせてくれる。
「あっ、じゃあ、先輩も」
「ん、あ」
双葉さんはひょいひょいとレンゲの中にミニラーメンを作り上げて。
「どうぞ、お食べください」
「あ、あぁ。ありがとう」
優しい味と程よくコシのある麺が、口の中に一気に入ってくる。
「うん、美味しいな」
「ですね!」
それから黙々と二人でラーメンを啜っていく。
「あ。あ」
双葉さんが変な声を上げたのでちらりと見ると。スープを飲む手が止まらなくて罪悪感に悶えていた。
気持ちはわかる。俺もたまに全部飲む。美味しい店だと、つい、気がついたら飲んでる。
「いえ、ここは堪えます。我慢です。我慢。明日の自分のため……これが、罪の味」
そんな健気な様子を見ると、悪魔の囁きってやつをしたくなるのが、人の性だと思うが。
「ふふっ。美味しかったです」
こんな無邪気に楽しそうにされるとな。お店の人もどこか微笑ましそうに見てるし。
ふと、俺は双葉さんにミニラーメンを食べさせてから使っていないレンゲを眺める。
……うん。何だろう。なんか、恥ずかしい。いや、気にするのは子どもか。双葉さんもなんとも思ってなさそうだし。なんならさっきまで普通に使ってたし。だけど……。
箸を置いて手を合わせる。
「ごちそうさま。じゃあ、行くか」
「はい。ごちそうさまでした」