先輩、少し悪いこと、します!
休日の街はどこかゆったりしているようで賑やかだ。いつもは足早にすれ違うばかりだが、お互い少しずつ譲り合いながら足取りは緩やかに。けれど楽し気に、少し跳ねるように歩く。
駅前の繁華街から外れ、静かな住宅街、聞こえるのは子どもたちの声、それはまさに目の前に見えてきた公園から。
「ここです!」
そして恵理の家はその向かい側。
「立派な家ですね」
双葉さんの感想の通り。白を基調とした、落ち着いた雰囲気を漂わせる二階建ての家だ。アーチ形のドアや窓、レンガ色の屋根。地中海の辺りで見られそうな家だ。
駐車場らしきスペースに車は無い。親御さんは外出中か。
「ではでは、自分の家だと思ってくつろいでくださいな」
「あぁ、ありがとう」
リビングに通される。片付いてるな。掃除も行き届いてるし、整理もされている。
「飲み物、何が良いです? コーラ、オレンジジュース。紅茶に緑茶、取り揃えておりますよ」
「あー……コーラ」
「オレンジジュースで。私も手伝います」
「あはは、良いよー。飲み物持ってくるくらい」
という言葉の数秒後、ドンと三本のペットボトルがテーブルに並んだ。
「どうぞ!」
と言いつつ、恵理は平然と自分の分のコーラを豪快にペットボトルを鷲掴みにして、ごくごくと流し込んでいく。
なんとなく目が合ったのは双葉さんとだ。いや、だって、誰が予想する。誰かの家に招待されて、ウェルカムドリンクとして二リットルペットボトルのコーラが目の前に置かれることを。
「……恵理さん、グラスってありますか?」
「グラス?」
「グラス、コップ。……カップでも構いません」
「いる?」
「あると、ありがたいです」
「そか」
キッチンの方に消えていく恵理の背中を目で追いつつ、改めてリビングを観察する。
ゴミ屋敷ではない。むしろ綺麗だ、やはり。匂いもなんか甘い香りするし。
テレビは薄型のそこそこ大き目な奴。テーブルの端の方にはリモコンが置かれている。
俺達が座るテーブルには、塩コショウ、ごま塩、ラー油、スティックシュガー、ミルクと言った調味料の類が銀のトレイに並べて置かれている。やけに恵理の座る席に近いが。それから丁度、その席から振り返ればすぐ、やけに近くに電子レンジとオーブントースターがある。
「はいはい、お待ちどーさまー。センパイのも一応持って来ましたよ」
「あぁ、ありがとう」
なんだろう、この感じ、
なんかこう、そう、他人事じゃないというか、心当りがあるというか。
人目を気にしなければ素晴らしい配置というか。
グラス、洗ってくれたようで少しだけ水滴が付いている。しばらく使っていなかったのだろうか。
「なぁ、恵理ってもしかして、一人暮らしか……? 親御さんって」
「今はいないですよ。単身赴任中って奴ですね」
「あぁ」
やっぱり。
「えっ、じゃ、あのお弁当……」
「自分で作ってるよ」
「えっ、弁当を、自分で……」
俺は恵理の弁当を見たことはないが、双葉さんの口ぶりからすると結構豪華なのだろう。
「好きな物詰め放題なので楽しいよ。しかし凄いですねセンパイ、なんで気づいたのですか?」
「物の配置がな。例えばあのリモコン、あれに関しては偶々かもしれないが、ソファーに寝そべって手を伸ばすと丁度届く位置にある。調味料の類も、自分がいつも座る席の近くに置いておくの当然だし。レンジやトースターだって、冷食とか温める時、座ったままレンジからテーブルに運べるようにだろ」
「あら、お恥ずかし」
「あと、一人暮らしなら直飲みくらい普通にする」
「えっ」
「ですよね!」
正反対の反応が同時に聞こえた。そして一応はっきりと言っておかねばならない。
「直飲みはするが、そのまま客には出さないな」
「いやー、一日ここにいるのなら、一人一本の方が良いかなと。ストック大解放しました」
まぁ、理屈としてはわかる。
ふと見ると、双葉さんはジッと、自分の分として出されたオレンジジュースを眺めている。
大型ペットボトルの直飲みって、小型と比べると妙に罪悪感があるというか、変な抵抗があるのは理解できる。
グラスとオレンジジュースを見比べ、それから、双葉さんはおもむろにキャップを開ける。カチカチっと未開封であることを示す音ともにキャップが外されて。
「んっ、んっ、んっ」
「えっ、双葉さん?」
「か、香澄ちゃん?」
ゆっくりと、ペットボトルにそのまま口を付けて中身を流し込むように飲み始める。ごくごくと控えめながらも、豪快に。そして。
「ぷはっ……け、結構良いですね、この飲み方、なんだか美味しく感じます。ま、マナー的には正直、如何なものかとは思いますが」
一口で三分の一程飲み干した双葉さんはどこか満足気で。
「なんか、楽しいです」
「だよね!」
「とりあえず、飲み物はありがとうございます。このままいただきます。早速ですが、始めましょう、勉強を」
「そうだな。今日はとりあえず、今週やった部分で不安なところの解消をしようと思う。だからまぁ、基本的には自主勉強方式だが、質問はいつでもしてくれ」
「わかりました」
「では、始め」
というわけで、各々勉強道具を広げる。
静かな家にペンを走らせる音だけが響いた。
恵理の様子を窺うが、今やっているのは英語か。特に悩む様子もなく解いていく。見張るようなことはしなくて良いと判断して、自分の手元に目を落とす。と言っても、いつだったに双葉さんと恵理に宣言した通り、今回も問題無く満点を取れるだろう。
開いている参考書の問題を目で追えば、問題文の終わりに辿り着く頃には解けている。
ならなぜ勉強するか。不安になるからだ。ちゃんと努力したという記憶が無いと。事実が無いと。
なんの苦労もせず手に入れた結果ばかりを持っていると、どこか足元が覚束なくなる。自分が立っている土台が不安定な気がしてくるんだ。だから俺は、勉強はするんだ。
やり込んだゲーム、かなり強化した主人公を使って、序盤の村で無双するような行為でも。
「……どうした、双葉さん」
「えっ」
「ボーっとしているようだったから」
「あっ、いえ……その」
ちらりと時計を見ると、あぁ、もう二時間やっていたのか。なんかあっという間だったな。
「お腹空いたんだね、香澄ちゃん」
「えっ、あっ、まぁ……はい」
「あぁ、そっか。食べてなかったな。昼食」
「何か作りましょう」
真っ先に立ち上がった恵理の頭を掴んで座らせる。
「お前は勉強しろ。休憩がてら単語帳でも読め。俺が適当に何か買ってくるから」
「せ、先輩にそんな、買い出し頼むようなこと。私が作ります」
「あー。まぁ、美味いからな、双葉さんの料理。食べられるなら、食べたい。たまには、出来立て」
「! ……お任せください!」
「うおっと」
予想外に大きな声。双葉さんは迷うことなく冷蔵庫に突撃し。
「よし。これなら。あっ、恵理さん」
「好きに使って良いよー」
「ありがとうございます」
まぁ、あの様子なら大丈夫だろう。
「乗せ上手ですねぇ、センパイ」
「あ?」
「なんでもありませんよー」
「ん。おう」
乗せ上手……俺は今、双葉さんを乗せたのか? まぁ、そうなるのか、客観的に見ると。だが、俺が褒めたくらいで双葉さんがやる気だすか……やる気、出してたな。
わからない。
どうにも、俺と双葉さんの関係性と双葉さんがやる気だすこと、論理的に繋げられない。
「うーむ」




