先輩、私、少し怒ります。
「やっ、有坂君、調子はどう?」
放課後、帰ろうとしていた俺に声をかけてきたのは担任の布良夏樹先生だ。様子を見るに、授業が終わった後、さっさと教室を出た俺を慌てて追いかけてきた感じのようだが。
「調子、ですか。最悪ですよ」
「だよね、頼んだの先生だからね、ちょっとした聞き取りをする義務あるから、付き合ってもらえる?」
「えぇ、まぁ、そういうことでしたら」
感情から拒否して大人を困らせる趣味は無い。別に時間が無いわけじゃない、先生に連れられ俺は生徒指導室に。
勧められた椅子に座ると、早速と言わんばかりに布良先生は。
「今回のことは、先生にも責任がある。もうちょっとちゃんと様子を見るべきだった」
「いえ、これは全面的に俺のミスです」
「君はまだ子どもだよ。子どもの失敗は、大人も背負わなきゃいけないんだよ」
「それでも、丸投げしても良いものじゃないでしょう」
「あは、本当、考え方ばかり育ってるなぁ、君は」
からかうような目で、先生はクスッと笑って。
「まぁ、今回は幸い、大事に至らなかったし。反省会、しよっか。さて、双葉さんとあんまり噛み合ってない、って感じ?」
「まぁ、そうですね」
「ふふっ、連携って難しいでしょ」
「まぁ」
布良先生はクスッと微かに笑って。
「今まで君が直面してきた課題は、スタンドプレイでもどうにかなった」
「そうですね」
「最善手が正しくないって初めてじゃない? 機械的に処理した場合間違いのない方法が最適解じゃないって初めてじゃない? 君にとって」
「急になんですか。本題が見えません」
「君に知って欲しいんだよ。最適解でも正解じゃないことがあるって」
最適解が、正解じゃないことが、ある?
「どういう、意味ですか」
「人との関りって、難しいんだよね。近道があっても敢えて無視しなきゃいけない時もあるのさ。遠回りの方が正しいことだってある」
「遠回り?」
「そっ。君は、正しさに強く拘るようだけど。授業中、先生にも容赦しないし。数学の小田先生に結構お小言貰っちゃってるし」
「それは、すいません」
「ううん。それは良いんだけど、いやまぁ、波風立てないように気をつけては欲しいけど」
それまでしっかりと背筋を伸ばして座っていた布良先生は急に姿勢を崩し、頬杖をついて急に緩い口調で。
「まっ、難しいよねぇ。だってさ、一応プロな先生たちですら上手くいかない時はどこまでも空回るんだよ。なんなら、同年代の生徒同士の教え合いの方がすぐに理解しちゃう生徒もいるくらいなんだから。南さん、小テストの点数、上がっちゃってるし。君たちに預けてから」
「えっ……」
「有坂君は失敗したって言うけど、無駄にはなってないよ。成果は出てる」
「そ、そうですか」
「だからさ、まぁ、なに、そんなこう、自分を責めるなと言わないし、落ち込むなとも言わない。双葉さんと喧嘩するなとも言わないよ」
「落ち込み方すらわかってないんですけどね、俺」
「そっか。まぁそれでも良いよ。悪いことじゃないよ、それも。とりあえずさ」
布良先生はどこか気だるげな緩い笑みを浮かべて。
「失敗ばかり見つめないで、自分が出してる成果も、ちゃんと見て欲しいな」
「……はい」
「さて、質問はあるかな?」
「……泥臭く頑張るって、どうしたら良いですか?」
「ふふっ。んー。そうだね。プライドとかそういうの全部捨てて、ただ目的のためだけに手段を選ばなければ、泥臭いと思うよ」
「ありがとうございます。後は大丈夫です」
「そか、じゃあ、終わり。さようなら。また明日ね」
「はい、ありがとうございました」
なんて先生と面談をしたのは良いが、正直、どうしたら良いか見えていなかった。
だけど、俺はいい加減反省しなければいけないのはわかる。色々と。
お総菜コーナーでいつも通り値引き。今日、双葉さんも出勤しているが、話せていない。思えば一人の下校、久しぶりだったな。……そういえば弁当箱、返せてない。洗ったけど。
悩みながらも仕事をする手は休むことなくしっかりと働いてくれる。我ながら、公私を切り分けられる能力があって、正直助かるな、なんて。
落ち込み方すらわからないから、結局いつも通りになってしまう。布良先生はそれでも良いと言っていたけど。不思議な説得力があったな、布良先生の言葉。
「おい、お前、なんで半額にならねぇんだ」
なんて声が後ろから。多分、俺に言っているんだろうな思いながら振り返ると立っていたのはご老人。白髪の方が割合多いが黒髪交じりの男性。結構恰幅が良い。
「この時間はまだですね」
と、一応定型文的な返しをしておく。
「前はなってただろうが」
「前、とはいつのことですか?」
「一年前くらいだ」
「一年も経てば変化もありましょうよ」
結構な常連、ほぼ毎日来る人だが、値引きされた品しか買って行かないなら、二度と来るかと思わせても問題無いだろ。
こんな客に謝罪するのも馬鹿らしい。
「おめぇじゃ話にならねぇから責任者呼べ」
「ただいま不在でございます」
「足元見やがって、お前、俺がいる時絶対しないだろうが、えっ? 馬鹿にしやがってよ」
被害妄想か。面倒だな。
被害妄想は否定しても悪化するだけだ。否定せずに方向を変えなければならないと何かで読んだことがある。
「閉店までのあらゆる時間帯のお客様に商品がいきわたるよう、店内にいらっしゃるお客様の人数、商品の残数を見て、総合的に判断させていただいております」
「良いから半額にしろっての」
……面倒だな、頑として値引きするまで動かないつもりだ。
「あと一時間ほど待っていただければなる予定でございますので」
「今やれ」
そう言いながらその客はカゴに入っているトンカツ弁当を指差す。マジかよ、値引き前キープか。半額になったら交換、交換する前になくなったら俺にシールを要求するつもりだったのか。
「こいつがいたらやらない、いなくなったら値引きとかしてるんだろ、どうせ。その根性叩き直してやるからやれ」
「ふざけないでください」
そんな、普段俺に向けてくる冷たい声よりも圧倒的に容赦のない声が聞こえた。
やれやれ。とため息を吐きながら、どう追い払おうか考えていたところに鋭く飛び込んできた声は、そのご老人の後ろ。だから俺は、すぐに声の主が誰だかわかった。
「先輩はそんなことで仕事のやり方を変えたりしません。言いがかりです!」
双葉さんだ。双葉さんが肩を怒らせながらつかつかと歩いてくる。
「なんだお前、俺はこいつと話してるんだ」
「有坂晃成先輩の後輩、レジ担当の双葉香澄です。先輩に不当な言いがかりをしないでください。有坂先輩は対応に問題こそあれど、仕事に対しては非常に誠実です。余計な私情を挟まず、常に俯瞰して合理的で論理的な判断を下します。言われた仕事は確実に果たします。私の尊敬する先輩にそのような言いがかりは許しません」
「おい、落ち着け」
「先輩が店内にいるお客様の好き嫌いで値引きのタイミングを決める? 馬鹿なことを言わないでください。そんな人が社員の方から値引きの腕を評価されますか? されるわけがないじゃないですか! 何か反論はありますか?」
「な、きゃ、客に対して、の」
「先にこちらの人格を攻撃したのはあなたの方でしょう。私はあなたの人格に対して攻撃を加えましたか? あなたが口の利き方とか言える義理は無いと考えます」
「双葉さん!」
「な、何ですか、先輩」
「落ち着け。うちの双葉が申し訳ありませんでした。後できつく言っておきますので、ここが一旦ご容赦ください」
「けっ。二度と来るか」
そう言って商品の入ったかごを床に投げてその客は店を出て行こうとするが。
「お待ちください。いま、かご、投げましたね?」
と声をかける。
「なんだよ。拾えよ。店員」
「お客様は今、故意に商品の入ったかごを投げて商品を破損させましたね」
当然、トンカツ弁当の中身は散乱し、とても売り物にはならない。そして俺は上を指差す。そこにあるのは防犯カメラで。そこまですれば、顔を真っ赤にしていたお客さんも状況を理解する。自分で自分を詰ませたと。
「とりあえず、続きは事務所でお話ししましょうか」