センパイ、目を背けないでよ
「やはー、どうもー、恵理が来ましたー! えーりーいーつでーす」
賑やかな声が玄関から響いてきた。そしてそのまま作業部屋まで足音が突撃してくる。
家に帰って日課をこなしていた。日課と言ってもニュースを見て情報を頭に入れて次を予測するだけ。一つのニュースでも関わっている人は多くいる。
表向きで一番目立っている人、でもその裏で重要な役割を果たすのは誰か。それをちゃんと考える。そこがまず大事だ。
例えば新しい通販のシステムが発表されたとして、表向きはそれを発表した会社が儲かるだろうと考えるだろうが、運送会社もチェックすべきだろう。場合によっては倉庫の方も調べる。
あとは今夜の経済界の要人が発言する予定を確認していったん終わり。
まぁそんな話は今は良い。
扉を開くとやはり恵理がいた。
「今日も来たか。バイトは?」
「終わりですよー。忙しい時間の補助程度なので」
「あぁ、そう。どうだ、やっていけそうか?」
「えぇ。気の良い人たちばかりで。お客さんも高校生ばかり、なんならうちの高校の人たちしかいないので」
「そうか」
「えへへ、看板娘ですよ。今度先輩も来てください」
「気が向いたらな」
「それ来ないやつじゃないですかぁ」
「行くさ、約束は守る」
「これ、約束認定しちゃって良いんですね」
「あぁ」
「えへへ。じゃああたしの部屋にも」
「あぁ。良いぞ……ん? 待て」
「やったー、約束ですよー」
「おぉい」
「ふふん。言質は取りました。録音済みです」
「なんだと。いつの間に」
「ショートカットボタン、録音アプリにしておいて良かったですよー」
「俺と同じようなことを……」
「してるんですか……引きますよ」
「ブーメラン投げが趣味か」
ニッと笑みを作り、先導するように階段を下りて。
「美玖ちゃんに声かけてきますので、テーブルの準備していてください」
「あぁ」
「夕飯はそこにあります」
と、玄関横に何やら風呂敷で包まれたものが置いてある。
「作ったもの持ってきちゃいました。レンチンすればすぐです」
「いつも悪いな」
「いえいえ」
「バイトの日は良いんだぞ、別に。わざわざ」
「こうでもしないと、てっきとーに済ませるのが目に見えてるので」
恵理はひらひらと手を振って、一階の奥、ピアノのおいてある部屋に足を向ける。わざわざ防音壁に工事してもらった部屋だ。ここ最近で一番大きな出費だ。
「まぁ、気にせず。あたしの好きでやってることですから。食費もらってますし」
「それは当然のこと。ただ、まぁ」
「良いですよ。今晩も送ってください、心配なら」
「それも当然する」
「それだけでいいんです。センパイ。あたしの楽しみなんですから、止めないでくださいな」
「……わかったよ」
恵理はひまわりも咲かせそうな笑みを見せて、今度こそ美玖の練習部屋に歩いていく。
「……おぉ、唐揚げか」
まだ温かい。まったく……。
「コーセイ君、唐揚げ好きって言ってなかったけ?」
「そんな前の話、よく覚えてたな」
「ふふーん。えっりさーんを、あっがめっなさーい」
小学校の時、春に書いて夏休みまで廊下に掲示する自己紹介カードのようなもの。そこに書いてあったもの。
今はどうだろ、俺の好物。そう言われて浮かんでくるもの……思いつかないな。
それに、今はもっと考えるべきことがある。
「お兄様、お待たせしました」
「あぁ、美玖。お疲れ」
考えながらも手は動いていた。テーブルはいつでも食事を始められる状態。
食べながらも俺は考える。
俺の戦う相手である新垣。その尋常ではない様子を。
なにがあっても、負けない、か。
手段をちゃんと選ぶような様子ではなかった。底冷えするような勝利への執念があった。
正直、そういうやつが一番厄介だ。
周り全てを駒とみなし、それ故に必要とあらば切り捨てることに躊躇が無い。昔の自分を見ているようで。
俺が、そうしたんだ。
ある意味、昔の自分と対戦するようなものか。
倒すことにためらいはない。でも。
どう倒す。
勝ち方を選ばなければ、俺はまた繰り返す。
「コーセイ君。美味しくない?」
「いや。うまいぞ」
「ウソ。わかるよ。上の空だもん、食べながら」
「え?」
「わかる。コーセイ君。ほら聞かせてよ、吐き出せば楽になることもあるからさ」
「……いや。大丈夫だ」
夜道、俺はいつも通り恵理をマンションまで送る。二人で夜道を歩く。
「ねぇ、コーセイ君」
「ん?」
「選挙、勝てる自信、あるの?」
「今考えてる。どう勝つか」
「そか」
「俺は、同じ失敗はしない」
「うん。あの、さ」
「ん?」
「コーセイ君、疲れないの?」
「何が」
「もっと自由に好き勝手になればさ。もっと楽しく楽に生きられるじゃん。なんで自分をそんなに縛るの、って」
「正しく自分の力を振るうのが、責任だから」
「誰への?」
「今までの自分への。間違えた自分、失敗した自分」
「コーセイ君は、恋人作らないの?」
「作っても長続きしないよ。俺は」
「そう?」
「それに、俺は今」
「美玖ちゃんのことで、コーセイ君ができること、いまある?」
「ん?」
「ピアノを用意した。用意したピアノのために引っ越した。先生も見つけた。コンクールのための費用も用意してるでしょ。先生へのレッスン料も用意してある。ねぇ、コーセイ君」
「ん?」
「美玖ちゃんを言い訳にして目を背けないでよ……あたし、コーセイ君に言ったよ。大好きだよって。それに、カスミちゃんのこと、気づかないふりはもうやめなよ。うすうす、わかってるでしょ」
その声は、いつもの恵理とは違った。
鋭く、冷ややかに、胸の内を穿つように届いた。
「早く、あたしを振ってよ、コーセイ君」
そして、縋るような声が、囁くように、耳の奥をくすぐるんだ。