先輩、何ですかこの感じ
残り三人はあっさりと埋まった。飯田に書けと言ったら。
「おー、出るんだな。おーい、お前らー、名前貸してくれー」
なんて言って、飯田が残り集めてきた。
話したことも無いクラスメイトだったが、三人は快く書いてくれた。同じサッカー部らしい。
「良いのか、これで」
「良いだろ、どんな形であれ、名前が集まった。それが重要だろ。ふっ、そうか、責任者は双葉ちゃんか。カカカっ」
なんて、飯田は楽し気に笑う。
「なんだよ」
「いーや。頑張れよ」
「あぁ」
「当選したらサッカー部に良い感じにしてくれ」
「保証はしかねる」
「かかっ、そりゃそうだ」
気持ちの良い奴だ。相変わらず。
そんな風に思える余裕を持っている。その事実に少しだけ驚き。それから。
「やれるだけやるさ」
少しだけ、前向きになっている自分がいるのが、意外でしょうがない。
昼休み、選挙管理委員の臨時本部、化学実験室に向かうと。
「やぁ、有坂君。どうやらやる気になってくれたようでうれしいよ」
扉の前、生徒会長がもたれかかり腕を組んで待っていた。
「健闘を祈る」
「祈られたところでな」
「ふっ、それはそうだ。僕は前生徒会長として、どちらかに肩入れはできない。彼女もまた、優秀な生徒会役員だ。君も知っていると思うぞ」
「は?」
「出身校が同じだったはずだ。名前は、新垣沙月」
「なっ……」
俺は、その名前をよく知っていた。
放課後、各階の一番奥にある、やたら広い特別教室にて。一番前の席、隣から注がれる視線に込められた感情を俺は知っている。憎しみと、怒り。それと歓び。
長い髪をハーフアップで結んでいる、あか抜けた印象のある。記憶にあるより鋭い目をしている。いや、俺に対してだけだろう。
「また、あんたと戦うことになるなんてね」
「俺も驚いてるよ」
「今度は負けないから……逃げないから」
「そうか」
新垣は俺のやったことを知らない。そりゃそうだ。知っていたら俺は今、こうしてこの学校にいられるわけがない。
責任者と候補者の顔合わせ。それが今日の要件。それと選挙の流れの説明だ。公示は明日の朝、選挙活動は昼休みから許可される。ポスターは二枚まで。選挙管理委員の押印が無ければ掲示不可。タスキも指定の物のみ。
十分程度の簡単な説明が終わり、教室を出る。向こうの責任者は知らない子だった。
「松浦ひなみです。よろしくです。新垣さんと同じB組です。」
「双葉香澄です。一年A組です」
「一年生って……ん? 双葉……ふぅん。学年一位同士で組んだか。今度は人脈あるんだ。中学の時は策を弄さないと推薦人すら集まらなかったあなたが。ははっ」
とっさに動いた右手は、次の一瞬には新垣の右手を掴んでいた。俺の首を狙っていた手。少しでも気を抜いたら振りほどかれ再び狙われるだろう。
「ふふっ、ははっ、それでも負けないよ。絶対負けない。何があっても、負けない。勝つ」
「そうか」
俺に、この手を止める資格はあったのかわからない。でも。
新垣、松浦のペアを見送る。
「心配するな、香澄」
「え?」
「俺は負けない……行こうぜ、ケーキ屋。美玖が腹空かせて待ってるから」
「は、はい!」
そのケーキ屋は駅前から少し外れて住宅街の中にある。実のところ近所だ。新しい家の。
恵理に話したら。
「あぁ、知ってますよ。たまに行ってましたから」
なんて言っていた。
「今度連れてってくださいよ、あたしも」
と、悪戯を思いついた子どものような瞳を向けてきたのは、昼休みの話。
「わかったよ」
「やったー。二人きりですよー」
「は?」
軽やかに笑いながら恵理は廊下を駆けていった。
そんなわけで今、香澄と美玖を連れてそこに来たのだが。
「なるほどぉ、生徒会、ですか」
と、美玖は渋い顔をしていた。
「お兄様、大丈夫なんですか?」
「あぁ、大丈夫だ」
ふむ、とうなずいて、美玖はプリンを口に運び。
「ほうですか。ひもうととひまひては」
「プリンくらい飲み込んでから話せ」
「……んくっ。すいません。妹としましては、……また辛そうなお兄様を見るのは、少しばかり、はい」
「それも込みで大丈夫だ。それに今は、ほら、なんだっけ、香澄。美味しいものの前で難しい顔はご法度、だっけ」
「あ、あぁ……忘れてくださいと言った覚えありますよ」
「記憶力は良いんだ。というか、忘れるまでもなく君はちょくちょく恍惚としてるぞ」
「うっ」
しかしながらこのプリン、評判になるだけのことはある。とにかく濃厚なのだ。それもしつこい甘さは無く、口の中でしっとりと、それでいてしっかりとあっさりと溶けてなくなることなく味わうことができる。一口、口いっぱいに頬張ったわけでもないのにこれだ。それがカップ一つ分。食べ終わるとすごい満足感がある。
そしてコーヒー。アイスコーヒーを頼んだ。水出しコーヒーだ。
どんな工夫をしたのか、変な渋みが無く、コーヒーの苦みを純粋に楽しむことができる。爽やかな味わいだ。
メインがケーキ屋だからこそ、こういうコーヒーなのだろう。
「お兄様……良かった」
「何が」
「最近、思い詰めてばかりだったので、少しは息抜きになったらなと」
「……まさか、そのために」
「あ、いえ、プリンは、食べたかったです。プリンは」
「そうか。……家で食べる分も持ち帰るか」
「いいですね」
会計と持ち帰りのプリンを注文している先輩を残して、私と美玖さんは店を出る。
「あの、美玖さん」
「はい」
「あの、家での先輩って、どんな様子ですか?」
「と、言いますと」
私たちは夏休み、色んな問題に挑んだ。それらは解決とは言い切れないまでも、一応の着地は見られたと思っている。
でも、戦いは終わっていない。先輩が今なおまだ、日々戦っているのなら。
「そうですねぇ、夕飯の時間になっても美玖か恵理先輩が声をかけないと、作業部屋から出てきませんね。結構な時間、新聞やニュースサイト見てます」
「……そうですか」
目的のために必要な資金の用意に注力しているのがすぐにわかる。その上、生徒会長にまでなろうというのだ。
負けない。口にすれば短い言葉。たったの一言。でも、先輩の言う負けないという言葉は、重い。
「心配かけないよう振舞っているのは、わかっていますけど。気づかないふりをしてます」
「えっ」
美玖さんの言葉に顔を上げた。……今、私、顔、伏せていたんだ。
「本当に心配して欲しいわけじゃないの、わかりますから。心配して欲しいけど素直になれない様子との違いくらい、わかりますから」
「そ、そうですか」
「でも」
「え」
「香澄さん。お願いです。見逃さないでくださいね、お兄様のヘルプサイン。きっと美玖よりもちゃんとわかると思います。香澄さんなら」
「は、はい……それよりも、気になったのですが」
「なんでしょう」
「恵理さん、よく家に来るのですか?」
「はい。お夕飯のお世話になってます」
「は、はぁ……」
何だろう。なんかこう、お腹の奥底からふつふつと熱いものがこみ上げてくるこの感じ。
本当、なんだろう、胸の奥から何か飛び出してきそうなこの感じ。