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バイト先の毒舌後輩ちゃんの先輩改善計画。  作者: 神無桂花
真面目な後輩は少し不器用です。
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先輩から学ばせてください。

 俺はいつだって正しかった。俺はいつだって間違えない。俺はいつだって、どんな相手にだって最後には勝利してきた。

 大人に一泡吹かせたことも一度や二度でもない。でも今になって思う。あれは、俺が所詮は子どもだと甘く見られていた結果なんじゃないかって。

 むろん、そこに付け込んで容赦なく攻め込むこと。それ自体に疑問はない。でも、もし向こうが俺に油断しなかったら?

 俺は、今の俺であれたのだろうか。

 どうだろう、それはそれで、俺はそれなりに上手くやっていただろうか。

 降り立った場所は俺の実家のある町。

 損切は、美玖のために用意した資産を作る過程で経験してきた。全部手のひらの上で動かすのは無理だとはその時知っていたはずだ。

 あらゆる人の意思を、考えを支配できる。手の内に収められるなんて傲慢にもほどがある。でも、それが勝利する上での最適解。

 負けて勝つ、か。

 歩きながら考えをまとめる。

 今から俺は俺の未熟さを認めなければいけない。ひとつの敗北宣言。

 勝つことこそが俺の存在証明。

 じゃあ、負けることは俺の存在否定なのか? 

 否。最後に勝つ。目の前の勝利に固執する。なんて愚かなことか。目的を達成することこそが戦略であり、その過程の上で必要な負けがあるのなら。

 ほくそ笑みながら泥を被る。

 自分の誇りだって、心だって、捨て駒にしてやろうじゃないか。

 最後に欲しいものを手に入れたやつが、勝者なんだ。



 


 「ただいま」


 家に帰ると、なにやら香ばしいような懐かしいような香りがして、リビングに入ると美玖が座って楽譜を読んでいて、香澄が台所で忙しそうにしていた。


「お兄様、遅かったですね」

「先輩、あれ、恵理は?」

「色々あってな。今は朝野さんといる。急で悪いが美玖、今月中に引っ越すぞ」

「え?」

「本格的にコンクールを目指すなら、必要なことだ」

「は、はい!」


 部屋に入り朝野さん宛てのメールを送る。ついでに先ほど母親と交わした契約書も写真で添付する。割り印までしたんだ。知らないとは言わせないぞということで送ってしまう。


『思ったよりも早かったですね。ここが新居の候補です』


 返事はすぐに来た。文章の最後に添付されたURL、クリックすると地図が開かれて。


「え、ここって」

 



 引っ越し自体はスムーズに進んだ。なんでも母親が本家に話したらしく、業者がすぐに手配されて、そもそも俺自身荷物をそんなに持っているわけでなく、その日のうちに荷物が移動となった。

 新居、それは恵理が追い出された家。朝野さんが手配したグランドピアノも運び込まれ、今調律師の人が見ている。


「……なぁ、恵理」

「はい」

「良いのか?」


 荷ほどきの手伝いに来てくれた香澄と恵理も、流石に驚いたみたいで。


「良いですよ、思い入れがあるわけでもありませんし」

「そうか……なんなら、一緒に住むか?」

「んー、それは迷いますね」


 何というか、横取りした気分だった。

 いや、俺が選んだわけでもない、たまたまこうなっただけ。いや、違う。提案されてそれに乗ったのは間違いなく俺だ。


「寮よりも、良いとは思うぞ」

「んー」


 恵理が振り返った先、そこはキッチンで新聞紙で包んで保護した皿を開いて棚に並べている香澄。


「遠慮しますよ」

「でも……」

「なんですかー。せんぱーい、恵理ちゃんと同棲したいよー。ですか?」

「そういうわけじゃないが」

「なら、良いじゃないですか。気にせず使ってくださいよ。元々あたしのものってわけじゃありませんし、余計な気遣いは無用です」

「そ、そうか」

「はい!」




 「先輩」

「ん?」


 新しい作業部屋にて、扉が叩かれ顔を覗かせたのは香澄。


「何してるんですか?」

「帳簿とにらめっこ。さすがに出費がかさんだなと」

「あぁ、まぁ、そうですよね」

「この時のために用意していたとは言えな。格式高いコンクールともなれば、ちゃんとした衣装も用意しなければなるまい」


 バイトも続けて安定収入を確保しつつ、それを上手く運用して増やさなければ。


「……お母様と仲直り、できましたか?」

「できてない。正直」


 溝は深いままだ。でも。


「定期的に帰ること、一年に一回は本家の集まりに参加する。という契約はした」


 人は得よりも損で動くという。だから。


「俺は言ったんだ。俺が集まりに現れないことで色々あるんじゃないか? って」


 当然、食いつく。名前を貸すことにも、首を縦に振りやすくなる。

 結局、俺は、香澄の理想とするやり方には、たどり着けていない。

 俯いた香澄は、ゆっくりと口を開いて。


「私、先輩のようにできませんでした。いえ、それどころか、何もできませんでした」

「そんなことはないさ。そうだったら、理事長は認めない。そういう人だ」

「情熱だけで、何ができるんですか」

「その情熱が伝えられることが重要なんだよ」


 相手に自分の情熱を伝えられる。これが如何に素晴らしいか。


「俺にない、香澄が持ってる確かなものだよ」


 だから。


「無理に俺のやり方を追うな」

「先輩のやり方をそのまんま真似をしようとは思いません。けれど」


 今一度、はっきりと言おう。

 先輩は優しい言葉をくれるけど、それでも今の私は、悔しいんだ。


「先輩から、まだまだ学ばせてください。私の知らない景色が、きっとまだある。そんな気がしますから」

「……そうか」


 香澄の瞳に宿る輝き。俺は今、直視できるのだろうか。

 メールが届いた。朝野さんから。ピアノの講師の件だ。来月から、朝野さんの友人の知り合いの音楽大学の教授らしい。


「美玖に言われたんだ。美玖の件解決したらやりたいことはあるか」

「何かあるんですか?」

「無いんだよね」

「……じゃあ、先輩」

「ん?」

「夏休み明け、一緒に、探しましょう」

「良いのかよ、そんな、俺なんかのためによ」

「私自身も、考えなければいけないことですから」


 カレンダーを見た。もう、そんな時期か。

 自分がまだ、所詮は少し頭の良いだけの子どもだと知った夏休みだった。


「やりたいこと、ね」


 耳を澄ますとピアノの音がした。夜の闇と一緒に街を包んでくれる、そんな音色。


「センパーイ、夕飯食べませんかー? ピザ頼みたいんですけどー」

「あぁ、すぐ行く。行くぞ」

「はい!」


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