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バイト先の毒舌後輩ちゃんの先輩改善計画。  作者: 神無桂花
真面目な後輩は少し不器用です。
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センパイならできるよね?

 車に揺られ三十分。訪れたのは山の中にひっそりと建っている洋館とでも言うべき建物だ。

 結構大きく、広い。別館や体育館らしき建物もある。

 理事長の経営している施設と聞いているが。どういう施設なのだろう。

 ぼんやりと眺めながら歩く。女の子たちがすまし顔で歩いているか佇んでいる光景が目立つ。


「朝野さん、ここの出身、なんですか?」

「はい。中学を卒業するまでここで過ごしました」


 恵理も興味深げに眺めまわしている。その様子はさながら新しい家に来た猫のようで。


「ほら、こっちにいろ」

「えっ」

「近くにいろ。迷子になるだろ」

「は、はい」


 口数が少ない。いつもは場を賑やかしてくれる。そのことが如何にありがたいかを、しみじみと感じる。

 なんというか、余計なマイナス思考を飛ばしてくれていたんだなって。変にシリアスにならなくて済む。


「ここにいるんですか? 現役のプロピアニスト」

「いえ、ただ、有坂君の妹さんである有坂美玖さん、全国レベルのピアノコンクールで入賞した際、先生っていたはずですよね」

「えぇ。いました」

「その先生は今も現役で活躍されているのは調べがついているのですが」

「えぇ。それは俺もわかっています。ただ……」

「動画活動ですね。拝見しております」

「耳が早い」

「情報は鮮度が命ですよ。そう教えてくれる友人がいたので。動画活動に対して理解を示してくれるか。心配はそこにあると」

「その通りです」

「ふむ……確かに、楽譜通りの正確さを要求する、コンクールにおいては非常に評価されやすい演奏を目指す指導方針をする方らしいですね。非常に厳しい指導をなさるとは聞いております。確かに、動画活動を認めていただけるとは考えづらいかもしれません」

「そうですね」

「ですが、美玖さんが目指すと決めたことを実現するにおいて、もっとも適任と言える方とも考えます」

「そう、ですね」


 目元を抑えた。


「何かを得るために何かを捨てる。全てを拾おうとするのは、存外、覚悟の足りない決意なのかもしれません」

「俺は、何かを捨てることが正しいとも思いません」

「それは、どういう心境の変化ですか?」

「どういうことですか」

「あなたは捨て駒を許容できる冷酷さも持てていたはずです」

「……誰かにとっては捨て石にできるものでも、別の誰かにとってはかけがえのないもの」


 俺はそれを、知ったんだ。


「俺はもう、何かを簡単にあきらめたりは、できません」

「いばらの道ですよ、それは」

「俺は、同じ失敗を、もうしたくありません」


 まっすぐな瞳が見上げてくる。澄んだ湖のように、見つめる俺を鏡のように映してこちらに見せてくる。


「コーセイ君なら、きっとできるよ」

「恵理」


 後ろから、押し黙っていた恵理がそう言ってぎゅっと俺の手を握った。


「朝野、さん」

「何でしょう? 恵理さん」

「コーセイ先輩を、信じてみてほしいです」

「えぇ。彼はきっと大成すると思っていますよ」

「それだけじゃなくて、今の彼を。今の彼だって、凄いんです。考えて考えて、ここまでの状況を作ったんです」

「そうですね」

「だから……!」

「大丈夫ですよ」


 朝野さんはそう言って微笑む。恵理の目を真っ直ぐに見て。


「大丈夫です。だから、私を信じてほしいです。恵理さん、有坂君。あなたたちのこれまでを考えれば大人を信用できない。私も信用できないかもしれません。すぐに信じろと言いません。私は私の言葉を証明しますから、見ていてほしいです」


 それは違う。朝野さんはこれまで見た大人の中でも尊敬に値する。でも。それは俺から見た姿で。恵理はまだ、警戒を拭えきれていない。そして多分。俺も無意識のうちに……。それは朝野さんもわかっている。


「なのでとりあえず。見つけて見せましょう、美玖さんの師匠となるピアニストを」

「……理事長に頼まれたからって、そこまでしますか?」

「しますよ。大人ですから。子どもの未来を明るくする。当然でしょう」

「どういう義理で」

「納得はいただけませんか。この理屈では」


 肩を竦めて朝野さんは。


「ではそうですね……あなたは将来有望なので、今のうちに恩を売っておきたい。という理由なら納得できますか?」

「……あなたの性格上考えにくいですが、まだ理解できます」

「懐いてくださいとは言いませんが」


 着いたのは客間と思われる部屋。朝野さんに促されたソファーに腰を下ろす。


「誰しもいずれは、大人のふりをしなければいけません。時に二人は、大人になることの定義をどのように考えていますか?」

「それは……」


 答えようとして、うまく言葉が出てこなかった。恵理も同じようで。


「えと、その」

「問いを投げておいて申し訳ありませんが、私自身も答えを持てているわけではありません。勉強中ですよ。仕事柄、様々な人の様々なトラブルに遭遇するもので。時折、どうしたものかと考えさせられるものです。そして、私自身、まだ大人になれていないと思う時もあります」

「だから、大人のふり」

「はい。私が思う理想の大人なら、どう行動するのだろうかと考えるのです。二人が思う理想の大人、どんなものですか?」

「俺が思う理想の大人」

「私が思う理想の大人」 


 そう話しながらも朝野さんは書類に次々と何か記入していく。


「さて、では大人としての提案をいたしましょう」

「はい」

「現状、両方のコンクールで結果を残すのはあまり現実的ではありません。どちらも日本最高峰のコンクールです。簡単に入賞できるものでもありません」


 それはわかっているとうなずくと、朝野さんは一つ息を吐き。


「それでもやるというのであれば、それこそ他の出場者の倍以上の練習の質と量を確保する必要があります。動画での演奏のクオリティを維持しつつ、コンクールに向けてブラッシュアップをし、しかしながらまだ中学生、学校にも行かなければいけません。プロのように毎日一日のほぼ全てを練習に使うのは現実的では無い状態でこれをこなさなければなりません」

「……っ」


 問題点。わかり切っていたこと。それを改めて指摘されて、息を飲んでしまう自分がいる。

 この俺が、現実から目を逸らしていたというのか。


「それをわかった上でこの契約を飲みますか?」

「これは……」

「契約です。私が一流の先生を見繕い、動画活動の件も納得してもらえるように話をつけましょう。レッスン代はどうされますか?」

「……俺が持ちます。そこまで面倒を見てもらうわけにはいきません」 


 これが俺にない力。人脈。


「では少し知り合いに連絡してアポを取ってみます。それはそうと、電子ピアノを買われたそうですね」

「はい」

「アップライトピアノ、できればグランドピアノを用意した方が良いかもしれません。今後のために。今後、音楽で生きていくというのであれば」

「……そうですね」


 実際、考えた。グランドピアノ。だが、それを用意するとしたら引っ越す必要があった。置く場所もない。

 安価なもので百万。用意できない値段ではない。それにこれからも俺は必要な経費は用意し続けるつもりだ。俺は負けない。負けないことこそが俺の存在証明。

 そうだ、何を甘えているんだ。

 俺が新しく部屋を借りる場合、保護者の同意が必要になる。だが、取りに行くしかないだろ。できないとは言わせない。


「まぁ、とりあえずこれを読んでください」

「そうですね」


 そうだ、何をしている。契約内容もわからずに。ったく。


「……これは」


 朝野さんが提示した契約書。朝野さんから差し出すもの、それはこの施設からグランドピアノを一つ譲渡してもらうこと。美玖の先生を見つけること。


「有坂君」

「はい」

「引っ越しを考えているんじゃないですか?」

「そうですね」

「ご存じだと思いますが、保護者の同意が必要です」

「わかっています」

「とってきてください。私にあなたが本気であることを示してください。人生には必ず何かを差し出さなければいけない時というものがあります。あなたのプライド、感情を押し殺してでも、頭を下げなければいけない時があります」

「……はい」

「負けて勝つ。戦略について天賦の才があるあなたなら、この理屈がわからないわけがありませんよね」

「はい」

「住居もこちらで見つけておきましょう。予算については後で教えてください」

「……わかり、ました」

「期待しています。では、ピアノの方を見に行きましょう」

「はい」


 立ち上がる。

 逃げ場はない。

 いや、言っている暇ではない。

 ここまでお膳立てされて正直悔しい。でも。それでも俺は。


「コーセイ君」

「ん?」

「コーセイ君なら、きっとできるよね?」

「あぁ」


 俺は、天才だから。


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