第無話
あれから、ずっと同じ夢を見るようになっていた。
大好きな人と一緒に居る、ただそれだけ。内容はいたってシンプルである、一緒に手を繋いだり、一緒に笑ったり、一緒に食べたり、一緒に寝たり抱かれあったり。したかったことを夢の中で全部やりきったあと、やっぱり朝が来てしまって――。
「……」
泣きながら、こうやって目覚めてしまうんだ。あれは夢だったんだ、自分が思い描いていた夢であり、叶えられないと決まっていた夢だった。そう思わなければ、どうしても起き上がる事なんてできない。目覚める度に思い出す、土に体を埋められ、眠っているような彼女の顔を。
「……朝、だよね」
こうして、今日も僕はベッドから起き上がる。彼女のいない世界を生きるために、彼女に会えるその時まで、忌々しい命を燃やしきるために。雪景色が、僕の全てを凍てつかせるように広がっていた。
あれから、もう三年経った。
僕は二十歳になった、酒も飲めるようになった。飲めやしないが、死にたくなる衝動を抑えるには丁度よい代物だった。母は死んだ、眠るように死んでいた。僕はあの家で一人、誰にも迷惑をかける心配も無く泣くことができるようになっていた。
この三年間は色々あった。「魔法」を使えていた人間が、突然「魔法」が使えなくなっていき、ただの人間……「無の魔術師」に成り下がっていく現象が起こっていた。原因不明、喰いとめる方法などもってのほか。不安視される世界に、僕はざまぁ見ろと泣きながら嗤っていたっけか、彼女は世界の為なんかに死んだんじゃない、馬鹿で間抜けで無能な、僕なんかの為に死んでしまったんだ、と。
――だから、僕は新しい「魔法」を広めた。
電球という光の「魔法」、車という移動の「魔法」、銃という殺しの「魔法」……救いと変革を求めていたあいつらは、掌を返して僕に感謝してきた。ここら辺はもうすっかり「魔法」の痕跡が無かった、僕は宣言通り、クソッタレの世界をぶっ壊すことに成功したのだろう。彼女のように誰かが死ぬ必要のない世界を、彼女を殺すことを完全肯定していた世界を。――まぁ、それで彼女が帰ってくるわけではない。虚しさを隠すために僕はいろいろやっているだけだ、感謝されてもされなくても、やる事に変化はない。
――うなじの部分が急に冷える。水が垂れて来た、雪が投げられた。
「無様だなー。ホーエンハイム」
「……」
振り返ると、そこにはスタイルの良い女がいた。肩まである金髪、青い目、暖かそうな茶色いコートに、白いロングスカートと黒いストッキング。膨らんだ胸は隠されてはおらず、ふっくらとした肉付きからは暴力ともいえる色気があった。これでも僕と同い年のはずだが、精神的な差を感じる。――クロウリーだ。
「いきなり雪玉を投げてくるの、そろそろやめてくれない? 寒いし、冷たい」
「嫌だね、私は決めたんだ、お前に嫌がらせをし続けるって」
「どんな決意だよ」
適当に会話を終えて、僕は再び背を向けた。背後から雪を踏む音が聞こえてきて、彼女は俺の隣に着いた。並走し、隙だらけの体を晒してしまっている。いいや、そうしてくれているのだろう。
「悪いけど、僕はもう人を殴らないって決めたんだ」
「私が、何をしたのか忘れたのか? お前の愛するパーシヴァルを殺した、しかも私的な理由で、だ。敵討ちをする大義名分もあるのに、何故殺さない? なぜ殺さなかった?」
「そのパーシヴァルさんが悲しむからやらなかった。あんなに優しい女の子が、君みたいなめんどくさいけど哀れな人間に、そんな業を躊躇いもせずに押し付けると思う?」
クロウリーは、そのまま黙り込んでしまった。これ以上の指摘や図星はやめようと思った、曲がりなりにもこいつは彼女に頼まれたんだろう。それを今でも実行しないのは、多分……遠慮してるから。
「だから僕は、お前を恨まないことにしたよ。感謝はしないけどね」
「……」
そんな顔をしないでくれ、とは言わない。恨まないとは言ったが、僕も人間だ、様々な事情があったとしても手を下したのはこいつだし、それが瞼を閉じれば鮮明に思い返せる限りは、僕はモヤモヤしたまま接するだろう。
『よぉ、久しぶりだな「無の魔術師」』
『幽霊車』から顔を覗かせて来たその顔が、ひどく懐かしいように思えた。同時に、この人と会うのが、これで最後だと思うと少しせつなくて、懐かしい思い出と共に溢れ出そうにもなっていた。
「――お久しぶりです、フロッツさん」
『身だしなみを気にするようになったな、小便臭さがちっとは引いたな。……お前も、綺麗になったな』
フロッツさんは僕の隣を見ていた。クロウリーは何も言わなかった、僕も、それに関しては踏み込まなかった。――無論、フロッツさんが顔を合わせるであろう彼女のことは、何も聞かないと決めていた。
『営業終了最後のお客様だ、タダで乗せてやるよ。どうせ行き先はあそこだろ? 罪な男だなーお前も、別の女連れて行くだなんて』
「……」
僕は、頭を下げてさっさと『幽霊車』の座席に乗った。懐かしく、古ぼけていて、ほんの十分間の間、彼女の隣で笑っていた自分が思い返せる。だから僕は、敢えて座ったことのない座席に座ろうとしたが。
『そこじゃねぇだろ』
フロッツさんの重たい声に、止められた。いいや、僕がそうしたかったのだろう……心の中の言い訳に無視をしながら、僕は思い出の詰まった席に座って目元を押さえた。
「……」
響く音で、クロウリーが離れた席に座ったのが分かった。察してくれたのだろうか、話しかけたりはしてこなかった。
『幽霊車』が走り始める。現実と乖離した景色が広がり、指と指の隙間から独特の暗い光が差し込んでくる。何度も死にかけて、何度も戦って、何度もそれを繰り返したと思う。誰が死んでも誰が生き残っても、ここの景色は変わらず、等しく虚しかった。
『到着~。ほら、降りろ降りろ。こちとらさっさと帰りてぇんだよ』
「……はいはい、分かりましたよっと」
拭った目元が見られないように猫背になる。丸まった背中、懐かしい卑屈な自分、エゴと衝動性だけで生きていたどうしようもない自分に戻った気がして。
『おらっ!』
「ったっ!?」
背中を、思いっきり叩かれた。丸まっていた背中が仰け反り、雲に遮られた光が瞳の奥を焼いた。目がくらんで、倒れそうになる。
『シャキッとしろ! クソガキ!』
クロウリーに支えられながら、僕はフロッツさんを睨んだ。でも次には頭をちゃんと下げて、また消えていく『幽霊車』を見届けていた。しばらく下げっぱなしだった頭を上げた時には、僕の目の前には大きな正門が聳え立っていた。――旧キャメロット大学跡地、僕の人生で色濃い体験を過ごした場所であり、彼女の眠る安息の地でもあった。
「自分の土地なんだろう? そんなに緊張することないさ」
「……そうだね」
僕は、僕を支えていたクロウリーの肩から手を離し、正門の奥へと歩いて行った。背後には、黙ってついてくる足音がある。どんなに聞き耳を立てても、それ以外の足音は聞こえてこなかった。
「久しぶりだね、パーシヴァルさん」
――ああ、これが、人が死ぬという事なのか。返事をするわけも無い石碑に話しかけた僕は途端に崩れ落ち、そのまま聳え立つ十字架に抱き着き、泣き付いた。
自分がその後になにを言ったのかは覚えていない、でも、それでも分かる事は一つだけあった。彼女はもうここにはいない。彼女だった骨や肉は全て朽ち果てた、彼女は死んだんだ、何を期待していた? 目の前で、死んだじゃないか。最後に、別れよう、なんて言って。
「ひぃっ……ふぅ、ふぅ……うん、ごめんね。うん。久しぶり」
涙は止まらなかったから、そのまま口を開いた。直面することがこんなに怖いだなんて、思ってもみなかった。三年間も会いに来なかったからなのか、吹いてくる風が刺すように冷たかった。僕は立ち上がって、ようやく涙の止まった顔で、精一杯笑った。
「会えてよかった、本当に。そっちはどう? 今さっきフロッツさんに会ったよ、元気だった。幽霊だけど。リュウとアキレスは結婚してた、子供も凄く元気で……アリウスっていうんだって、女の子!」
何を興奮しているんだ、押さえろ。もっと他に言うべきことがあるだろう。
「もっ、勿論僕も元気だよ! うん、凄い元気。食べてるし、毎朝起きてるし、寝れるんだ……それで、君の夢を見て、それが幸せそうで、子供も、いて、結婚もしてて、それで、それで――」
立つことだけで、精一杯だ。
「……僕も、そっちに……」
握りしめた拳が、体の隅々が悟っていた。言えば、今すぐにでも楽にしてやる、と。僕はそれに準じたかった、彼女が僕に平手打ちをしたとしても、僕はどうせ彼女に会って話がしたいだけなんだろう。何も変わっていない、この三年間、僕は変わったふりしかしていなかった。
「……また来るね、バイバイ」
踵を返し、一歩一歩を踏み出す。走り出したくはなかった、まだ、ここに居たい。できれば、その向こうにも行きたかった。――シャキッとしろ、クソガキ。その言葉が、僕をそうさせなかった。彼女自身は、そんなこと望んでいない。
「行こう、クロウリー」
「ああ」
背を向け、そのまま歩き出す。振り返れば彼女がいるかもしれないという幻想を殺すだけで、また泣きそうになる。これまで自信を持っていた精神や肉体がとても無駄に思えた、僕は丸裸になってしまっているのだろう、文字通り、何にも持っていない「無の魔術師」なのだろう。――正門の前で、足が動かなくなった。
「どうした? 行くぞ?」
頭を上げることも、一歩踏み出すことも叶わない。今、クロウリーがどんな顔をしているのかも、分からない、どうでもいい。
「……最初で最後の、一生に一度のお願いでもしてやろうかね」
正門の外から、歩いてくる。僕の目の前に立ち、握りしめた拳をさらりと触れ、掴んで……ゆっくりと、解いていく。
「私には夢があってなぁ。好きな男に、私自身を好きになってもらう事だ。他の誰よりも、女よりも男よりも、全てをかなぐり捨ててでも好きになってほしかった……死ぬまでそいつと一緒に暮らして、そいつが死ぬまで生きる。一緒に死んで一緒の墓に入る。互いの人生を互いで埋め尽くして……まぁ、何が言いたいかというとだな」
解かれた手を強く握られる。引っ張られ、そのまま腰に手を回されて抱きしめられた。
「私と結婚しろ、パラケルスス・ホーエンハイム。昔の女なんて私が忘れさせてやる、お前の全てを私が肯定してやる。――だから私を独占して、私に独占されろ」
抵抗しようと、体に力を込めた。……つもりだった、つもりだった、けど。どうしても体が動かなかった、それどころか、始めて感じる何とも言えない暖かさを、両手を腰に回して求めていた。裏切りだという事は分かっていた、一生、誰にも癒されないまま傷ついていようと思っていた。
「……誰よりも愛することなんて、できない」
「お前がそうしなくても、私が勝手にそうする。そこからお前がどうするかはお前次第だ」
「こんなの浮気だ! パーシヴァルさんに顔向けできない!」
「じゃあ今すぐ暴れるなり殴るなり抵抗したらどうだ。私はそのパーシヴァルの仇だぞ」
声だけが、冷たい。密着した体だけが温かく、冷えていた体の芯までもが熱くなっていく……何年も凍えていた、これからも凍え続けて、それで、それで。
「パーシヴァルが、お前になにを願ったのか。お前自身が、何を願っているのか……優先したいことは、お前自身が決めろ」
「……僕は」
宙で凍える手が、柔らかい背中に触れようとして、離れて……また近づいていく。どうして今更こんな気持ちになる? そういう事だったのか? 僕は、自分が一途な少年だと勘違いしてしまっていたのか?
「…………僕は」
それなら、初めから裏切っていたじゃないか。誰でもよかったんじゃないか? いいや、そうじゃないだろう。彼女は何のために死んだ? そうだ、これは、これは彼女も望んだことだろう。たとえそれが裏切りだったとしても……彼女は分かっていた、分かっていたうえでそれを望んだ。望んでくれた。
「………………僕は」
でも、これも全部言い訳で、裏切りを肯定するための口実でしかない。ああ、なら認めるしかないだろう。僕は、僕は、今の僕は、本当は――。
「…………幸せに、なりたいです………ッッ!」
強く、握り潰すぐらい強く抱きしめる。骨を覆う肉、柔らかい優しさに飲み込まれていくように、僕は顔中を涙と鼻水、口端から溢れる涎を止められなかった。後ろを振り返る事なんてできない、もう二度とここには来る事ができない……来てはいけない。でも、もう後には戻れない。
「……私もだ」
ただ、僕は抱きしめられていた。裏切り、嘯き、卑屈、周りの人間を巻き込み、人生を狂わせながら……結果的に、温かくどうしようもなく胸の痛む思いに苛まれていた。
ああ、これが幸せなのか。
これが、幸せになるという選択なのか。
ああ、これが自分自身なのか。
これが、パラケルスス・ホーエンハイムという男の選択なのか。
少なくとも、僕は経った今全てを失った。かなぐり捨てて、何も無い状態から始まろうとしていた。
此処から、何をしようか、何を始めようか?
なんだってできる、だって僕は「無の魔術師」。ゼロからイチを作り、やがて何かを成せると信じていた人間なのだから。
こんにちは、本小説「無の魔術師」を連載させていただきました、作者のキリンです。
今回の「第無話」を以て、本作品は完結となります。ここまでお読みいただいた皆様には本当に頭が上がりません、今まで、本当にありがとうございました。
この作品はまだ投稿してから一年も経っていませんが……私にとっては三年四年は連載していたんじゃないかと思うほど長い時間に感じられていました。
というと、実は私、受験期真っ只中の人間なのです(笑)
今こうしてあとがきを書いている間も、一刻も早く提出物やラ定期テストに備えなければいけないのです。何をやってるんだとお思いでしょうが、もう少しだけお付き合いください。
此処では少しだけ、この作品の登場人物一人について語りたいと思います。そう、ホーエンハイム君です。
正直言って、彼は僕のコピーというイメージを持ちながらキャラ作りをしていきました。その結果まぁ……あんなキャラクターになってしまったわけで、かなりの賛否両論が否定多めで来たんですよね、僕もあいつ嫌いです(笑)
でも、個人的には好きな所もあるんですよね。
アイツはがむしゃらに頑張って、目の前の壁をどうにかして打ち破ろうと頑張って……他人に認められるため、自分が嫌いだと思った相手を見下してやるために、滅茶苦茶な努力をしているんですよね。
友人からも「美化はされているけど大体似てる」との評価を頂きました(笑)
彼がこれからどうなっていくのか、彼がこれからどんな困難に倒れ、立ち上がり、いつか倒れてしまうのか……それはモチーフとなった私と、私を知る人物だけが知る未来です。
皆様が思う「人生」とは、「自分」とは何ですか?
私は常にそれを問いかけ続け、この作品を今日まで書いてきました。
長くなってしまいましたが、最後にこれだけ。
一年間弱の間、この作品をご覧いただいた皆様、改めて本当にありがとうございます。
「無の魔術師」は、皆様の応援のおかげで、今日、完結です!
お読みいただき、ありがとうございました!
機会があれば、また次回作で会いましょう!
本当にありがとうございました!




