第二百二十八話
風が。
風が、彼女をさらっていくような気がした。
「……なんでだよ」
もう動かない、冷めて逝く細い体を必死に抱きしめながら、泣いて尋ねる事しかできなかった。
「どうして、殺した? 殺す必要があったのか? なぁ……答えろよクロウリー! 生き甲斐だったんだ、僕の! 大嫌いな『魔法』を使ったのも、全部彼女の為だった! 僕には分かってたんだよ……パーシヴァルさんはもう長くないって。『現身』の加護を受けた人間は、例外なく十三年以内に殺される? ――違う、死ぬんだ。『魔法』の信者共に、『魔法』の権現に呪い殺されるんだ! だから僕は未来を用意してあげたよ、僕が『現身』を引き継いで、ココアさんみたいに長生きする未来。パーシヴァルさんを呪い殺す奴らを全員ぶっ殺して、寿命が来るまで精一杯生きることができる未来!」
抱きしめても、抱きしめても。聖剣を担ったこいつを殴り殺しても、彼女はもう戻ってこない。賢い頭が何度も何度も真実を告げている……世界の前に、自分を殺そうかと思った。黙れ、黙れ、そんなこと……そんなこととっくに分かってたんだよクソッタレッッッ!
「……例え、『現身』が途中で誰かに移ったとしても」
分かっているけど、諦めたくなかったんだよ。
「……彼女はもう、呪われてた」
何故、クロウリーがこの人を殺したのか。
答えなんて、すぐに出ていたんだ。
「パーシヴァルは、僕が殺した」
「そうだね」
どうしようもない未来に、彼女も僕も絶望していたんだと思う。僕は心中でもしてやろうと『現身』を引き継いだ。でも……多分、彼女はそんなこと望まなかったんだと思う。だからクロウリーに頼んだんだ、「自分を殺してくれって」。泣いて謝っていたんじゃないかな、多分。僕の生きる原動力として復讐を置き、それの対象に、自分以外の人間を選ぶことに……とても躊躇っていたに違いない。――現実、僕は今すぐにでもクロウリーを殺してやりたい。八つ当たりだと言えない……きちんとした大義名分を以て、僕は拳を振るえるのだろう。
「『私』は、お前に殺されるつもりはない。でも、お前を殺すつもりはもっとない」
彼女は、そんな事を分かっていながらも。
「『私』はお前に生きていてほしいから、お前を殺す気で助ける。お前は『私』を殺したら満足して、パーシヴァルの所に行ってしまう……それだけは、嫌だから」
僕に向かって、笑った。嬉しそうではあるが、何処か申し訳なさそうな……負けた人間、いいや、負けた「女」の顔だった。なんだよ、やめろよそんな顔。これ以上くしゃくしゃにしても……何の面白みも無いじゃないか。
「お前が、これからどんな思いで生きるか……そんな事はお前の自由だ。だが、お前のくだらない心中を止めるために、残り少ない命と乙女の唇を犠牲にした、お前をこの世で一番思いやってくれていた女がいる事を忘れるな。復讐にしろ、彼女の分まで生きるにしろ……それだけは、忘れないでやってくれ」
瞬きをすると、クロウリーはもうそこにはいなかった。
「……ひどいよ、パーシヴァルさん」
二人だけの時間なんて。そう思った時、守れなかった約束がひどく悲しく、申し訳なく……もう二度と言葉を交わせないという事実を告げていた。残酷に、それでいて完璧に。
湿り切った唇と、やけに甘い唾液が混ざった口の中を飲み込んだ。穏やかな彼女の顔、無防備な彼女の顔……熱はまだある。
お別れの、時間だ。
(さようなら、僕の初恋)
それを境に、彼女から熱は消えた。僕の体は何時までも燃えていた、火照って、火照って。怒りと性欲、ぶつけようのない感情の渦が垂れていくのを止めもせず、色気のない殺風景の中、彼女を抱きしめて立ち上がった。
何処へ行く? どこへでも行ける。
何をする? 何でもできる?
何を願う? 何でも願うだけなら自由だ。
僕は自由を心底感じていた。この世界で、「魔法」が溢れる世界で、彼女が死んだことで活気づいていく。クソッタレで、クソッタレで、どうしようもなく――。
「――雪だ」
綺麗な、「魔法」だけが価値観の世界で。僕は再び自由で、空っぽになってしまった。




