第百二十二話
人間の体には魔力が流れている。
魔力は体力と同じ物だと考えてもらえばいい。使えば疲れるし、休めばきちんと元に戻る。というか体力の量が多ければ肉体に宿る魔力の量も多い事は、既に証明されている。
『自分の筋肉を壊すぐらいの気持ちでやりたまえ、肺が破れる寸前まで走り続けろ』
故に、僕は走り続けている。体力を上げるためにはやはり肺に負荷をかける運動が一番なのだ。言われた通り筋肉の感覚がおかしくなるまで走っている。今走り始めた気もするし、もうずっと走っている気もする……肺への負担は確実に蓄積してはいるが、そろそろ休まなければ倒れてしまう。
走るのを止め、減速を始める。いきなり走る事を止めるのは体に悪い。徐々にスピードを緩め、最後には歩きながらゆっくりと息を吸い始めた。
「やぁ、怠けることなく頑張っていて感心だ」
音も無く、隣から乾いた声が聞こえた。『獺』だ。
「魔法」も使わず、気配を消しながら一瞬でその場に現れるなど不可能……そう思っていたが、考え得る一つの結論に至った瞬間、全ては納得の方向へと向かって行った。
「丁度いい、休憩にしよう。話したいこともあるしね……」
「あんた、アーサー王だろ」
僕の言葉に対し、『獺』の反応は迅速かつ正確だった。
「ああ、良く気づいたねクロウリー」
「……ずいぶんあっさりと認めるんだな、てっきり口封じに殺しに来るんじゃないかと思った」
『獺』は鼻で笑った。
「アーサー王の魂は死後、この世で最も美しく娯楽に溢れた楽園で眠ったとされている。遠い未来に来るであろうブリテンの危機に立ち向かうべく、聞こえの言い「アヴァロン」という名前の牢獄に閉じ込めたのさ」
『獺』の薄い笑みには、燻った何かを感じた。触れてはならない逆鱗が、その場の空気を支配していた。
「だが、私はとても疲れた!」
投げやりな声を上げ、突然『獺』は走り出した。
「同じ円卓を囲んだ仲間二人に裏切られ、気遣っても気遣っても人任せな国の王様だ!
国が滅んでようやく休めるかと思えば、今度は今ではない未来の尻拭いだ!」
やってられるか! まるで別人のように声を荒げ、冷静さを欠いた『獺』が僕を見る。
「そこで君だクロウリー、私は君を後継者として育てることにした。私の代わりに世界を救う、第二のアーサー王としてね」
「いきなり何を言い出すかと思えば……お前は何を言っているんだ? あんたが噂に聞くアーサー王だと言う事はよくわかった。だが第二のアーサー王ってのは何だ? お前の尻拭いの尻拭いをさせられる俺の気持ちにもなれ」
怒りが抑えられなかった。こいつは僕に教える気なんてない、自分の替え玉として相応しい人間を探していただけなのだ。
「勘違いしているようだが私は君の望む条件を踏み倒した覚えはないし、君の目的の為に遠回りをさせている訳でもないぞ?」
「じゃあなんだ、その危機ってやつを倒すことが僕の目的に必要なことなのか?」
「勿論だとも」
即答した『獺』。そろそろ本気で正気かどうかを考え始めた僕の思考を、次の一言が打ち砕いた。
「来るべき驚異の名は『無面』。……名を、パラケルスス・ホーエンハイムという」




