〜7.
昨日の特訓の間、何度も死ぬような思いをした。もしかしたら気付いていないだけで僕はもうすでに死んでいるのかもしれない。
「おいミカン。顔が死んでるぞ」
「そりゃ死にもするさ! この状況何なの!?」
昨日、僕がナズナに一発パンチを浴びせてしまった後のことだ。特訓とはいえ殴られたのが悔しかったのだろうか、しばらくして彼女から出た一言が『そろそろ本気出す』だった。
僕が意識的に攻撃をするという内容の特訓だったはずなのに、気付いたときにはナズナは木刀とか三節棍とかで応戦してた。武器とかありなの?
「いくらなんでもアレは避けられないでしょ! 普通に喰らったし!」
「仕方ないだろう、特訓なのだから。殺す気で打ち込んでる訳でもなかろうに」
「いやいや、途中で『死ねぇえ!』とか『くたばれぇ!』とか聞こえたんだけど!」
「……そういう掛け声もある」
「嘘だ!」
そんな感じでナズナの攻撃を受けたり避けたりしながら昨日の特訓は終わったけど、これがまたすごい効果が出たもので、昨日の特訓が終わる頃には『防御』に関してかなりスキルが上がってしまった。正直あまり嬉しくない。
攻撃に関してはあまり効果が見られず、時々無意識に出てしまうカウンター以外はへなちょこなパンチ程度しか出なかった。
「防御というものは生物の本能。身の危険を感じればとっさに反応する。しかし攻撃とは意思があってのものだ。貴様の格闘用人工知能もそこは同じということらしい」
「ていうかこの知能さ、もっと他のことに使えないの? 戦闘の為に頭が悪くなったとか嫌なんだけど」
「本能とリンクしている防御に関しては意思に関係なく発動したかもしれんが、他のことに関しては少なからず鍛錬が必要なのだろう。貴様もゲームをするときは頭が働いているだろう?」
「あ、たしかに。落ちゲーとかも強いんだよね、僕」
そうか。本人の意思によって引き出さなきゃいけない箇所のほうが多いのか。集中すればできるけど、やる気がなければ人並み以下、ってことか。確かに、習慣化してた読書に関しては読む早さも理解力も他人には劣っていない。努力次第でなんとかなると……。
「あとさ、すごく聞きたいことがあるんだけど」
「何だ」
「なんで朝4時から特訓なの?」
「時間がないのだから仕方がないだろう」
「それにしても早すぎるでしょ」
まったく。感覚的には早朝でなく深夜に近い時間帯に叩き起されてるんだからそりゃ死んだような顔にもなるって。
しかも、携帯で連絡して僕を起こしてから始めるとかあっただろうに、あろうことか普通に窓から入ってきたらしい。いや僕の部屋2階なんですけど。本人曰く『鍵が開いていたから』ということらしいのだけど、この人なら鍵が閉まっていようが窓をぶち破ってきたんじゃないかと思う。
「さて、昨日は防御に徹する結果になってしまったのだが、今日こそ攻撃を覚えてもらおう」
「え、1日で?」
「当たり前だ。時間がないと何度言ったらわかる」
時間がない時間がないというのはわかるけど、こっちは実感がないんだって。締め切りに迫られた作家みたいに言われても僕にはまだ伝わらないんですよ本当に。
「おそらくだが、貴様の体に昨日の特訓の傷はひとつも残っていない」
「……あ、本当だ。あれだけナズナの容赦ない攻撃受けたのに」
「やはりな。ミカン、それが強化筋力だ」
「ダメージを受けないってこと?」
「正確には『弱い攻撃は効かない』といったところだろう。攻撃を受ける際、人工知能と脳から送られる信号を受けた部分の筋肉が衝撃を吸収し、ダメージを消滅する。意識をおけば硬化させることも可能だろう」
ということは、僕が攻撃を受けるとわかっていれば、体が勝手に防御の態勢に入るだけでなく、筋肉も完全なる防御態勢に入るということか。だからかわし切れないときに腕で攻撃を受けたりしてもダメージが残っていないんだ。
意識して硬化、とはどういうことだろう。相手の攻撃を浴びることによって相手にダメージを負わせたり、カウンターを入れやすくする為の手段なのだろうか。
……ということはだ。これはおそらく攻撃の際にも同じことが言えるのでは? 僕がしっかりとパンチを出すという意識を持ってパンチを繰り出せば、パンチを出すときに使われる筋肉が強まり、威力が増す。逆に、右パンチのフェイントを素早くかけようと意識しながら右拳を突き出せば、拳を速く出すための筋肉が強化されスピードが増す。
「おい」
「……」
「おい、ミカン!」
「え、あ、うん何?」
「どうした。考え事か?」
「いや、なんていうかさ……ゲームみたいだなって」
「ゲーム?」
「格闘ゲーム。右と左、キックとパンチどっちを出すかとか、フェイントをかけるとか、防御とかさ」
「……ほう」
なんでだろうな。いつもやってる格闘ゲームのキャラクターが目に浮かぶ。いや、RPGもそうだ。戦士の一太刀を浴びせる前に攻撃力の低い盗賊なんかに一回攻撃させといて、相手に回復魔法をあえて使わせる。そのターンの行動を終えた敵に、攻撃力の高い戦士がキツい一発をお見舞いする。こういった駆け引きと、考え方が少し似てる。
「……ミカン」
「うん?」
「そのまま、頭の中で格闘ゲームのことを思い浮かべろ」
「う、うん」
「フットワークの軽い、ボクシング系のキャラクターだ」
「うん」
「そのキャラクターがパンチを出すようにパンチを出してみろ」
「わかった」
そうか。ゲームと同じように考えてみればいい。フットワークの軽い……あぁ、あのキャラだな。あいつと同じように動いてみろってことだよな。
軽くステップを踏んで、そのステップに合わせてタイミングよく綺麗なフォームでパンチを繰り出すんだ。ワンツーっていうんだっけな、あれ。そうだ、打つ前にファイティングポーズみたいなのをとってる。こんな感じかな……。
「いいぞミカン! そのままシャドウボクシングだ!」
シャドウボクシング。あれか、見えない敵と戦う奴だ。ステップを踏んだまま、打ちこむときに足元を固定。ゲームだとワンツーは『左、右』の順番だったな。
――よし! 打つ!
「シュッシュッ!」
「そうだ! その調子だ!」
拳が、軽い! 体も軽い! ただゲームの真似をしているだけなのに……。
「よし! そのまま向こうの木に向かってコンボを決めるのだ!!」
コンボ。3連くらいでいいのか? いや、僕はこのキャラじゃ決まって即死コンボを使うから、即死コンボでいい! 間に一度キックの入った20連コンボ!!
――あの木だな。あの木が対戦相手! 体力ゲージを一気にゼロに!!
現在、朝6時。特訓はもうとっくに終わった。というか終らざるを得ない状況になった。
「ミカン、いくらなんでもやりすぎだぞ。木が可哀相で仕方がなかった」
「あの木に打てって言ったのはナズナじゃないか」
「根元からへし折れとは言っておらん」
家から割と近い場所にある大きな大きな木。まあ軽く10メートルはあったかなぁ。多分樹齢は60歳以上。小さい頃に木登りをして怒られたあの大きな木を、僕はゲーム感覚でコンボを決めてなぎ倒してしまいました。地響き、やばかったなぁ。
「あぁ……大丈夫かなぁ……」
「心配することはなかろう。あんな大きな木が折られていれば誰かしら気付く」
「そんな変な心配してないよ!」
一体僕は誰に怒られるんだろう……。いやバレること自体ないと思うんだけど。
「おはようミカン! あ、ナズナちゃんもおはよう!」
朝から元気なお父さんの笑顔を見ると、まだ長く生きられたであろう大樹の命を摘み取った、いや、なぎ倒したことへの罪悪感が倍増する……。
「おはようさん、キクオ殿。ところでその大きな荷物は?」
「あぁ、今日からアメリカ行くんだ」
……アメリカ?
「ちょっとお父さん! 急にどうしたの!?」
「いや、そろそろお父さんも本場のヒップホップを見ないといけないだろ?」
「何言ってんの!? 38のおっさんが今更ヒップホップ学んで何するの!?」
「仕事に使えるかもしれないしな」
「お父さんただの公務員じゃん! 韻とか踏む必要ないじゃん!」
まずい。お父さんがおかしくなった。
「そんなに心配なのか? お父さんの英語力が」
「そんな変な心配してないよ!」
「とりあえずさ、一度してみたかったんだ。渡米」
「そんな理由なら飛行機乗らないで! 他にも乗りたい人いっぱいいるから!」
何なんだ一体……。何か裏があるっていうのか……? 急にそんなしょうもない理由で渡米とかヒップホップとか言い出す人じゃないって、僕はわかってる!
ナズナにも止めてもらわなきゃ!!
「キクオ殿もついに、か」
「ああ。まずはアメリカの中でも有名なイギリスに行こうと思う」
「なるほど。じゃあ土産は『草津まんじゅう』で頼む」
「わかった。冷たい方でいいね?」
「もちろん」
ダメだ。意気投合してる。しかもどこからツッこめばいいかわからないし……。
「じゃあミカン。飛行機遅れちゃうからもう出るぞ」
「ちょっと待ってよ! いつ帰ってくるの!?」
「えっと、53日後かな」
「何その溜まった有給ぴったりみたいな日数!」
せめて本当の理由だけでも、と思ってお父さんを引きとめようとする僕の腕を、ナズナがギュッと掴み、静かに首を横に振った。何その『察してあげてください』みたいな動作。あとこういうときだけ可愛らしい表情しないで。
「じゃあなミカン。また54日後な」
「待って……」
ナズナの意味不明な『引きとめるのを引きとめる行為』により、お父さんをみすみすと渡米させてしまうことになった。もう意味わかんないよ。しかも1日増えてたし。
僕が面倒な存在だとわかって見捨てたのだろうか。本当に54日後に帰ってくるのだろうか。これから命を賭けた戦いがあるってのに……。
僕の父、館山キクオは息子の命よりもヒップホップが大事だった。