〜4.
「何か1つでも変化を感じたら警戒しろ。いいな」
「はいはい、わかったよ」
「なんだか急に偉そうになったな」
「2人称に平気で『貴様』を使う人が言うセリフ?」
「……。そういえば貴様、国語の成績はどうなんだ?」
「え? 成績なんか全部最低クラスだけど」
「ふむ」
昨日の夜に突然知らされた嘘のような事実。ショック自体はもう既に和らぎつつある。深く考えながら寝て、それでも起きたらいつもの日常が始まるんだから。いや、いつものって言ったら語弊があるな。少なくとも昨日までとは違うことがひとつ。
「で、なんでナズナまで制服着てるわけ?」
「今日から私は貴様の監視兼特訓係だ。学校にもついていく」
「え? だって3つ上だったらもう大学生でしょ?」
「気にすることではない。偽装の書類で編入手続きも済ませてある」
「偽装って……。捕まっちゃうよ?」
「平和ボケしている日本だからこそ起こった事件の当事者は貴様だろう。現状をしっかり把握したらどうだ」
僕が小さい時に破壊したという研究所も、実験の失敗という理由で事故として片づけられたらしい。当時に研究所で勤務していた人間も真実を知る者は少ないそうだから、裏で色々大変なことが起こっているだなんてことも当然知らない。
なんだかなぁ。実感はないんだよ。体には何も変化を感じないし、違和感もない。あの設計書が偽物でしたって言われても何も疑わないと思う。
「ねぇ。僕、何をやっても人並み以下の駄目人間なんだけどどうして?」
「貴様が努力しなかったからだろう」
「いや、そういうことじゃなくてさ……。人工知能とか強化筋力だとか、その辺は制限されていないんでしょ? それでも僕、こんなんなんだけど」
「小判の価値も用途も知らぬ猫がそれを抱きかかえたまま時が経ち、小判は錆びて使い物にならなくなった。それだけのことだ」
「……なるほど」
「貴様、ある程度の理解力はあるようだな」
「まぁ毎日本ばっかり読んでたときもあったしね」
そう。勉強という面においてはさっぱりな面だらけなのだけど、日常会話や読書などで困ったことは一度もない。辞書を引いて覚えた言葉はちゃんと使えるし、言いたいことがこんがらがることもない。
「それと貴様、体育の成績は?」
「てんで駄目。そもそもやる気が起きないんだよね」
「ふむ。どうやら貴様の人工知能と強化筋力は相当錆びついているようだな」
「そうだろうねぇ。こんな駄目人間がサイボーグってなんかの間違いなんじゃない?」
「間違いではない。今日から特訓を行って開花させるまでだ」
特訓だとか人工知能だとか、そんなことを言われてもイマイチしっくりこない。昨日の話が事実だということは理解しているつもりで、僕のお母さんが殺されたということも事実であると理解しているつもりだけど、なんかこうピンとこないんだよね。
目に見える変化、目に見える敵、目に見える非現実的な出来事がない限り、いきなりあんな話に体がついていけるはずがない。
「ナズナ、クラスはどこになるの?」
「貴様と同じクラスだ」
この子が同じクラスに編入してくるということだけでも十分おかしなことなのだけど、元々の知り合いが自分の学校に転校してくるくらいの感覚にしか捉えられない。
そもそもサイボーグがどうとか言っている辺りからよくわからないんだよ。そんなものは漫画やゲームの世界でしか聞いたこともないし、今までただの人間以下だと思っていた自分がサイボーグだとか聞かされてもねぇ。あぁ、早く帰ってゲームがしたい。
「今日は転校生が来ています」
朝のホームルームで担任の先生が言うこんな言葉も、普通の高校なら普通にあり得る話なわけで。あぁ、知ってる知ってる。本当はもう19歳なのに見た目は幼くて、人のことを貴様呼ばわりするとんでもなく礼儀知らずな上に無愛想な女の子でしょ。昨日から知ってますとも。
「じゃあ2人とも、入ってきて」
聞き間違いであるような気もした。今日の転校生についてはほぼ全てを把握しているつもりだった。しかし黒板の前に呼び出されたのは紛れもなく1組の男女で、僕の耳に異常がないことが確認できた。
「青木ナズナ。よろしく」
「武内スイレンです。よろしくお願いします」
転校生が2人。珍しいこともあるもんだな。高校生活が始まって2ヵ月弱にして転校とは、よっぽどの事情があったに違いない。親の転勤とか、サイボーグの特訓とか?
「青木は廊下側の1番前の席に、武内は館山の前に座ってくれ」
転入直後から名簿順で座らせるとは結構細かいところ気にしてるんだな、この学校。中学のときなんかは、転校生はとりあえず1番後ろの席に座らされていたものだけど。
「前、失礼するぜ」
「あ、うん」
「今日からよろしくな」
「よ、よろしく」
無愛想なナズナに比べ、この男の子は随分と爽やかというかにこやかというか、なんとなくバスケをやっていそうな印象だ。
少し茶色い短髪に白い歯。背が高くて足が長い。まぁ、どうであれ友達になることはないんだろうな。いじめられっこの僕とはタイプがあまりに違いすぎる。
もしかしたらこの転校生にもいじめられるかもしれないんだ。敵がまた1人増えたんじゃないかと考えると憂鬱で仕方ない。
その後すぐに1時間目の地理が始まり、ぼーっとしているうちに授業終了のチャイムが鳴った。一応ノートはとっているのだけど、ところどころ抜けているし、先生の話も全然聞いていないから全く理解できない。まぁ別にいいんだけど。
転校生と言えば、休み時間が来る度にクラスの皆から質問攻めに遭うのが基本。もちろんナズナも例外ではなく、近くの席のクラスメイトから何か話しかけられているように見えた。前の席の武内君も同じ。
休み時間はいつも机に突っ伏して寝ている僕は、こんな日でも変わらずに短い眠りに就こうとしていたのだけど……。
「ミカン、少しいいか」
無愛想な方の転校生に呼び出され、渋々廊下へと足を運ぶことになってしまった。
「さっき話してた子たちはもういいの?」
「あぁ。また後にしてくれと言っておいた」
「可哀相に。で、どうしたの?」
「いや、早速変化が表れたと思ってな」
「変化?」
「貴様の前に座っている転校生だ。おかしいと思わなかったか?」
「ううん……まぁ少しは」
「こんな時期にやってくる転校生など普通じゃ考えられん。タイミングが合い過ぎている」
「確かにそうだけど、普通の男の子にしか見えないよ」
「それは貴様とて同じ。警戒しておけ。死んでからでは遅い」
またこれだ。死ぬとか死なないとか、僕はまだその言葉が身近に感じられないんだよ。しかも警戒って言われたって何すればいいのかわからないし。
朝から頭がもやもやする。たまたま転校生が来ただけで死ぬだとか警戒だとか、なんでもかんでもそうやって考えていいものなのだろうか。
「館山ミカンっていうのか」
「え、あ、僕?」
席に戻った直後に、前の席の爽やか少年が振り返って声をかけてきた。不意打ちのように突然の言葉に戸惑う僕の姿はおそらく挙動不審そのものだったと思う。
「ミカンって呼ぶぜ。問題ないよな?」
「うん……ミカンでいいよ」
「俺もスイレンでいいからよ! ちょっと学校の案内とかお願いしてもいいか?」
「僕でよければ」
「よし、じゃあ決まりだな! よろしくぅ!」
馴れ馴れしい、と言ってはいけないな。なんというか、明るくて人懐っこい人だ。転校初日とは思えないこの元気は一体どこから湧いてくるんだろう。ていうか本当に僕なんかが案内していいのだろうか。スイレン君と似たようなタイプの人が他にいるのに。
根暗で、弱虫で、頭も悪くて運動神経も悪い。もしスイレン君が見た目通りのスポーツマンだったら、いつしか僕とは会話もしなくなるんだろうな。類は友を呼ぶって言うけど、僕みたいなタイプの人間は類がないから。サイボーグだし。
昼休みになると、ナズナはクラスの女子に誘われたらしく、何人かで机を囲んでお弁当を食べていた。その風景を見ているとナズナが3つも年上だということが嘘のように思える。
「ミカン! 飯一緒に食おうぜ!」
「うん……」
「なんだよテンション低いなぁ。どうかしたのか?」
「いや、ちょっとね……」
そう、昼休みといえば不本意ながらも日課になってしまった『アレ』があるのだ。
「おい館山。昨日と同じの頼むわ」
クラスのヤンキーのパシリ。昨日と同じってことはまたあの組み合わせか。売り切れてなければいいんだけど。
ヤンキーは当たり前のように僕にお金を渡し、携帯をいじりながら席へと戻っていった。
「え? 何? お金もらったの?」
「いやぁ、ちょっとコンビニに行かなくちゃいけなくて、すぐ戻ってくるからさ」
「……そうか。じゃあ待ってるぜ」
「うん……」
渡されたお金をポケットにしまったとき、スイレン君は自分の机を向き直して僕の机にぴたりとつけた。
――今、気付いた。
僕、高校に入ってから誰かと一緒にお昼食べるの、初めてだ。いや、中学のときから数えても初めてじゃないか? なんとなく普通に受け答えしてみたけど、やっぱり初めてだよ。
「スイレン君!」
「おう、どうした?」
「すぐ戻ってくるよ! すぐ!」
教室を出て、階段を降りる。走ってはいけない廊下を、走る。
――足が、軽い!
そりゃ軽くもなるさ! 嬉しいんだよ! 友達とか友達じゃないとかはおいといてもさ! クラスメイトと一緒に、他愛もない話をしながらお昼を食べるんだよ!
コンビニはいつもより何メートルも近く感じて、カレーパンはいつもより安く感じて、店員の挨拶もいつもよりしっかりしていた気がする!
でもそんなことはどうだっていい! 早く戻ろう! 早くお弁当を食べよう!
気付けばもう校舎の前まで戻って来ていた僕は、文字通り足早に教室に向かい、教室の扉を開けた。
「はい! 買ってきたよ!」
「……お前……いくらなんでも早くないか?」
「走ったから!」
「あ、あぁ……そうか」
そりゃ走るに決まってるさ。せっかくの楽しい昼休みなんだから、1秒だって無駄にしたくないんだ。今日ぐらい全力で走ったってもいいだろう。
「お待たせ!」
「ミカン……本当にコンビニまで行ったのか?」
「うん! 学校前のとこね! ちなみにこれレシート!」
「……お前すげぇ!!」
「え?」
「だってあそこまで行って帰ってくるのに2分掛からないって、めちゃくちゃすげぇよ!!」
「そ、そうかなぁ……」
ただ気分が高揚して思わず全力で駆け抜けただけなんだよなぁ。別にすごくもなんともないと思うんだけど。まぁとりあえずご飯だよご飯。
「へぇ、神宮高校ってミカンみたいなスプリンターがいたのかぁ」
「スプリンター?」
「短距離走選手! やってるんだろ? 陸上!」
「いやぁ、全然……」
「うっそだろ!? え、じゃあ何かスポーツは?」
「まったく」
「とんだ才能の無駄遣いじゃんか!」
「いやでも僕、足も遅いし運動音痴だし、スポーツなんかできないよ」
「えぇ? おかしな奴だなぁ!」
「はは……」
運動神経が悪いことがそんなにおかしなことなのだろうか。それにしてもなんかスイレン君、楽しそうだなぁ。顔が活き活きとしてるよ。
もし、こんな人と友達になれたらさ、パシリなんかしなくても済むようになるんだろうか。毎日毎日、学校では死んだような顔をしていた僕が、こんな風に笑えるのだろうか。
いないも同然である僕の存在が、この学校という場で意味あるものになるのだろうか。