〜2.
サイボーグとは何だ。目の前にいる少年が浮かべた表情は、驚愕したときのそれとは違って見える。状況、単語、経緯に対する疑問等で埋められたものに違いないであろう。説明が必要なのは、承知している。
「お父さん。この子、何を言ってるの……?」
「……ミカン。今まで黙っててすまなかった」
「何で謝るの!? サイボーグって一体何なんだよ!?」
少年が取り乱すことも予測していた。信じ難い事実を受け入れることは、16歳の少年の心には厳しいものがあるだろう。しかし、私にも果たすべき任務というものがある。私が今日ここに来た理由を忘れてはいけない。
「サイボーグとは、サイバネティック・オーガニズムの意。臓器を含む身体に機械等の人工物を埋め込むことで、その肉体や身体能力を強化された人間のことを指す」
「機械……?」
「その技術は元々医療目的に用いられていたものだが、次第に健常者の能力強化に使用されるようになり、取り付ける物や箇所も大幅に変化してきた。現在ではスポーツ選手や警察官等が低下した身体能力を回復する為に利用されることが多い」
「そう言えば聞いたことがあるような……。でも僕は自分の体に異変を感じたことなんてない!」
「それもそうだろう。貴様の体を改造したのは世界最高峰の優秀な技術者だからな」
しかし、その優秀な技術を持つにはあまりに器の足りない人間だった。人として踏み入れてはならない、禁断の領域を犯した哀れな技術者の最高傑作であり、失敗作。
「お父さん! どういうこと? 説明してよ……」
「……わかった。いつかこういうときが来るかもしれないと思っていた。全て話すから、心して聞いてくれ……」
「お父さん……?」
そう。全てを話す。キクオ殿の父親としての責任、私が与えられた任務。
「お父さんは昔、ミカンが3歳の頃までロボットの開発研究所で勤務していたんだ」
「……知らなかった……」
「隠していたからな。国内でも有名で、凄い技術を持った研究者や開発者がたくさんいた研究所だ。小さい頃から憧れていた場所に勤めることになったお父さんは、そこでお母さんと知り合った」
「……」
「ナズナちゃんのお父さんは、お父さんの直属の上司だった。いずれは研究所の所長になるであろう才能の持ち主で、尊敬できる人望の持ち主でもあった」
「……」
「でも、そんな凄い人がたくさんいる研究所は、最悪の研究所でもあったんだ」
「……最悪?」
「あぁ、最悪だ。国や国民の為に使うはずの技術を、己の欲望の為に利用しようとした奴らがたくさんいたんだ」
正義ある場所に、悪もまた存在する。人の為になる技術というものは、用途が違えば人を苦しめる技術にもなる。それを防ぐ為の法律ですら掻い潜ろうとする悪者がいるという可能性を、示唆しておくべきだったのだ。
「でも、ロボットを悪用できないようにって法律があるんでしょ? どうして……?」
「ロボットの開発は、国の許可が無くてはできない。それを監視するロボットも国から派遣されているし、その監視を抜けることは不可能に近い。だが、それはロボットに限られた話だ」
「……どういう……こと?」
「人間を改造するということに関しては、国の監視が行き届いていない。ましてやそれを軍事利用するなんてこと、普通じゃ考えられないだろう」
「軍事利用……」
「研究所にいた技術者の数名は、裏で人間の改造、すなわちサイボーグの開発を行っていたのさ」
「……」
「ミカンが3歳になったとき、お父さんはその事実を知ったんだ。それを知らされると同時に、ミカンを改造する計画を知らされたんだ……」
「……僕を……サイボーグに……?」
「最愛の息子を改造する計画なんて了承するわけもない。その上軍事利用だなんて、天地がひっくり返っても認めない!」
その時のキクオ殿の気持ちは今の私には到底理解できないものだと思うが、まともな価値観を持っている者であれば首を縦に振るなんてことはあるまい。
「……じゃあどうして?」
「命を、大切な命を一つ奪われた」
「……もしかして……お母さん?」
「……守り切れなった。何も知らずに5年近くそこにいて、憧れていた場所で大切な人を失った。ためらいもなく人を殺す連中がいるなんて、考えてもいなかった!」
「お母さんは……殺された……?」
「了承しなければ息子の命もお前の命も奪う、そう言われて頷くしかできなかった……」
「そんな……嘘だよ……」
「嘘なんかではない。キクオ殿の顔が見えぬか」
私がミカンの立場であったとしたら、真実を聞かされたとしてもすぐに受け止めることはできまい。しかし、受け止めてもらわなくてはいけないのだ。もう、時間がない。
「ミカンが改造されている間、お父さんは監禁されて何もできなかった。自分の息子に得体の知れない物が埋め込まれていくというのに、何もできなかった……」
「……お父さん」
「そんな腐った研究所から逃げだせたのは、ミカン、お前のおかげなんだ」
「僕の……?」
「ミカンの改造が終わり、その戦闘能力を試す実験が行われたんだ。でも、まったくもって実験にならなかったのさ」
「……どうして?」
「ミカンの力は、開発者の想定を大きく上回る強力なものだったんだ」
「……」
「3歳児のサイボーグは暴れまわり、開発装置やコンピュータを次々に破壊した。開発した本人達の手にも負えず、研究所は崩れ去って行った。数多くの研究者たちも……」
「僕が……研究所を?」
「何も知らなかった研究者達は大きな音を聞いて避難したから助かったが、ミカンの改造に立ち会った連中は、殆どこの世から消えた。そのときに青木先生も真実を知り、この件を秘めておくことに決めたんだ」
改造された人間が研究所を破壊したとなれば国が黙っているはずがない。改造した人間の処罰に、改造された人間の処置。兵器として改造を施されたミカンが処分された可能性もあったわけだ。
「僕は……人を殺したの……?」
「違う! 人を殺したのは能力であって、ミカンじゃない!」
「でも! 改造された僕が……たくさんの人を……」
「ミカン! お父さんは、お前に助けられたんだぞ!」
崩れゆく悪の家城と、散りゆく負の野望。ただ暴走しただけに見えたそのサイボーグ少年は、器用に己の父をそこに残した。肉親を傷つけぬよう、自らの力から守った。
「全てを壊した後のミカンは、奴らに改造される前と同じ、無邪気な笑顔でお父さんに抱き付いてきた……」
「……」
「そのとき決めたんだ。もう研究者なんか辞めて、普通の会社員になって、ミカンを普通の子に育てるって。この子だけは何があっても絶対に失いたくないと、本気で思ったんだ……」
「……お父さん」
「お父さんはミカンを連れて青木先生のところに行き、改造された体を元に戻せないかと相談した。だけど青木先生自身もその裏の計画を知らなかったからか、ミカンの体を完全に元に戻すことができなかった」
屈指の技術を持った私の父ですらその技術を超えられなかった。ミカンの体内に埋め込まれた装置の解析は出来ても、失った臓器等の行方は不明であり、迂闊に取り外すこともままならなかった。
父は、時間がない中で全ての知識と知恵と技術を振り絞って1つの答えを見つけた。
「でも、ミカンがいつまた暴走するかわからない。これ以上解析に時間をかけられないという状況で、青木先生が見つけた1つの手段が『外部からの制御装置を取り付けること』だった」
「制御装置……?」
「そうだ。普通の人間が送る日常生活ではその驚異的能力が発動しないように制御し、かつ身体や知能に影響を与えないように取り付ける。それが青木先生に唯一できることだった」
「それで僕は今まで何とも感じなかったの……?」
「そうだよ。たった1つの小さなチップを埋め込むことで、ミカンはここまで人間らしく育つことができたんだ」
「……そうだったんだ」
「でも。青木先生はお父さんにこう言った。『来る日の為に、能力は完全には制御しない』と」
「来る日って……」
「研究所の残党による復讐。あの研究所の裏側にいた人間、つまりミカンの改造計画を進めていた研究者達はまだ完全に消えてはいない。ミカンを改造する前に開発されたサイボーグもいるだろう」
「……まさか……この子のお父さんを殺したっていうのは?」
「そう。まさにその連中の仕業だろう。そうだろナズナちゃん」
「ご名答。逃げるようにこの地に引っ越してきたキクオ殿が平和ボケしていなくて何よりだ」
私の父が殺された。それだけで私にとってはあまりにも大きな事件なのに、奴らはこれ以上の惨劇を生み出そうとしている。
「そ、それで僕に何しろっていうんだよ……?」
「決まっているだろう。その能力を開花させ、敵を迎え撃つのだ」
「僕が迎え撃つ!? 冗談じゃない!」
「貴様しかできないのだ」
「無理だよ! 今日まで普通の人間として育てられてきた僕に何ができるんだよ!」
「今日からサイボーグとして生きてもらう。それだけだ」
「無茶苦茶だよ! 急にそんなことできるわけない!」
「できるできないではない。やらねばならんのだ」
「そんな……」
キクオ殿は随分とこの少年を甘やかして育ててきたのだろう。いくら急な展開とはいえ、自分の実の母親が殺されているということがどれだけのことか理解できていないのだろうか。
「ミカン、青木先生が昔言っていたことをそのままお前に伝えるから、よく聞いてくれ」
「え……?」
「大切なものを守る為の力を、お前に授けた」
「……守る……?」
「情けないが、お父さんがミカンを守れるのは今日でおしまいのようだね。青木先生が襲われたのは、間違いなくミカンの居場所を突き止める為だろう。敵が武力を持っている以上、お父さんは何の役にも立たない」
今更だが、随分心が痛いな。哀れな人間の欲望によって壊された幸せがやっとの思いで復元されようとしていたのに、それをまた破壊しにくる者がいる。この親子が、人生を狂わされるようなことをしたのだろうか。私の父は、殺されるまでのことをしたのだろうか……。
「キクオ殿」
「あぁ、なんだい?」
「私の父が書いたミカンの制御装置の設計書を持っているか?」
「一応持ってはいるが……」
「一応、とは?」
「うん。書いてあることがさっぱりでね……」
「とりあえずここに持って来てはいただけないだろうか?」
「ちょっと待っててね」
キクオ殿が冷静になっている。覚悟を決めたということなのか。いや、ミカンの持つ能力の強靭さを理解しているからこその落ち着きか。
対してミカンはまだ現実を受け入れきれていないというところだな。無理もない。だが無理にでも受け入れてもらわねばならんのだ。国がこの一大事に気付かない以上、戦える者はこやつしかおらん。
「ナズナちゃんってさ……」
「ナズナでよい。どうした?」
「どうしてお父さんが殺されたのに、そんな平気な顔していられるの?」
「平気な訳がなかろう。はらわたは煮え繰り返り、握り締めた拳で地を割りたい思いだ」
「でも、そんな風には見えない……」
「当然だろう。ここで私が冷静さを失えば、国どころか貴様ら親子を救うこともできん。愛した父の死を無駄にする必要がどこにある」
「……」
――館山ミカン。今貴様がするべきは動揺でも逃避でもない。母の死、父の愛を感じろ。その心に勇気を灯せ。
ミカンが再び黙り込んですぐ、階段から降りてくるキクオ殿の足音が聞こえた。
「お待たせ。一応これが設計書だ」
キクオ殿が差し出した紙。内容うんぬん以前に、度肝を抜かれた。
「な……1枚……?」
「そうなんだ。内容はミカンの体内構造と、曖昧に記された能力の発動条件に、合言葉のような単語だけ」
「馬鹿な! 父はこのような紙切れ1枚しか残さなかったと……?」
「そうだ。これは僕にミカンの能力の発動条件を知られないようにとした工夫だろう」
「何故だ!?」
「普通の人間として育てる。それが俺の夢だったからかな」
父の意図が理解できない。いざと言うときの為に残しておいた能力、その発動条件の記載をぼかすなんて……。
「俺がそれを知ることによって、ミカンの能力やミカン自身にマイナス要素があるということも考えられる。青木先生なりの考えが表わされているのだろうね」
「……人工知能が組み込まれた脳、強化筋力に包まれた肉体。基本的な改造部分がこれか……」
戦闘能力としては、畜放電可能の爪、空気中の酸素の吸収、他未知数……。なんだ……これは。とてつもない力を持っているとは聞いていたが、一体この少年にはどれだけの改造が施されているのだ!
「……これが、僕の体?」
「そう。この設計書だけ見ればロボットにしか思えないかもしれないけど、ミカンはどう見ても生身の人間そのものだ」
「目に見える箇所に改造の痕跡が残っていないからな。そして、私の父が最後に埋め込んだチップ……」
そのチップの説明は最後に記されている。
いついかなる場合においても、特定の条件を満たさなければ戦闘能力が解除されないよう制御するチップ。各機能状態良好にしてその足進めしとき力が解き放たれる……? なんだこれは。設計書にあるまじき抽象的な表現。
館山ミカン。能力装置名を『77MPT』と称する……?
――父上。一体何をお考えですか?