独裁者達が勝利する日
題名でいきなりセンセーショナルなことを書いてしまいましたが、〇先生の講義を聞き終わった時に最初に感じたことはこれでした。中国共産党の最終目標が「中国共産党の中国共産党による中国共産党のための政治(統治)」を人類社会の隅々にまで行き渡らせること。俗に言う世界征服だということを確信することが出来ました。
〇先生の講座を受講してみようと思ったそもそもの切っ掛けは、中国という国(正確にいうと中国共産党)が起こす様々な社会的、政治的問題の数々の果てに世界がどうなっていくのかを私なりにシミュレートしてみたかったからです。
私が初めて中国の危険性に気が付いたのは今から15年前の2004年、高校生の時に初めてインターネットに触れた時のことです。それまで情報源といえば新聞とテレビ、つまりマスコミのみでした。その時の私は中国人や韓国人が日本に対して反日感情を持っているなんて知りもしませんでした。特に中国は父がよく出張で訪中しており、その発展ぶりを聞かされていましたし、当時日本の企業も次々と中国に進出していたためその裏で反日感情があるなんて思いもしませんでした。
インターネットで本当に偶然、中国や韓国のことを調べていたらどうもこの2か国は日本に対して良い感情を持っていないらしいということを初めて知って衝撃を受け、マスコミが報じない2か国の反日の実態を次々と知ることになりました。
丁度そのころ日本と中国との間に尖閣諸島問題が表面化し、中国の原子力潜水艦が日本の領海を侵犯する事件が発生しました。その時、人民解放軍海軍の第一列島線、第二列島線といった軍事における作戦区域と、なにより中国が王朝は違えどかつて中国だった地域(主に清国)は朝貢を行っていた地域も含めて自身の領土と見なしていることを知り、私の中では中国は完全に日本の敵対国と認識して問題ないという結論にいたりました。
しかし、当時の日本にそこまで中国を大事に思っている人は本当にごく少数でした。私自身交友関係が広いわけでもなく、また友人知人に国際情勢の話なんてしたところで面白いわけでもなんでもないので、わざわざ中国の危険性について話すこともありませんでした。
大学生になったばかりの2005年4月。中国で反日暴動が起こった時、被害に遭われた方には申し訳なさを感じつつも私は思わず心の中でヤッターと歓声を上げていました。
「愛国無罪!!」を叫びながら日系企業の店舗を破壊して一部は商品を略奪していく様を見た時は、これで日本人の多くが中国の異常性に気が付いて対決姿勢に移行するだろう、最低限距離を置こうとするだろうと期待しました。
しかし現実は私の予想を裏切り、紆余曲折をえながらも日本と中国の関係は続いています。それどころか15年前とは比べものにならないくらい密接になってきています。中国からの観光客は2004年時は61万6千人ほどだったのが2018年には838万人と10倍以上に激増。爆買いが社会現象としてテレビでも紹介され、日本企業にとって訪日中国人と中国市場はなくてはならないドル箱みたいになっています。
政治体制が違い、思想や言論の自由もなければ法律もあってないようなもので、天安門事件を初めとした数々の人権弾圧が毎日のように国内のどこかで起こり、民間は苦労して開発した技術を盗まれ、領土的野心を隠そうともせず、実際に海底資源を奪われている状況で、です。
なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。
2019年6月9日にHNKが天安門事件を21時からのスペシャルで取り上げました。その内容を見てはっきり言って唖然としました。端的に言えば中国共産党を生き永らえさせ、今日の状況を作ったのは他ならぬ日本とアメリカだったからです。1989年当時、既に11億人もの人口を有した中国を新たな開拓市場として期待していたアメリカは経済的観念から口では厳しく非難しても裏で友好的な接触を図り、
「親愛なる友、鄧小平殿。サミットの共同宣言の草案に中国を過度に非難する文言がありましたが、アメリカと日本が取り除きました。今は厳しい時期かもしれませんが、米中の明るい未来に向け、ともに前進しましょう」
自国民を銃と戦車で弾圧する国家に対して当時のブッシュ大統領が送った書簡。これが建前とは言え自由と民主主義の盟主の言葉かと思いました。
日本は日本で西側諸国と共に行っていた対中制裁を一番先に解除。平成天皇を訪中させて制裁解除の流れを作り、サミットでは「中国を孤立させない」と主張して(具体的な意図や理由は不明)日米以外の西側諸国と距離をとったことにより、中国共産党という今日において世界最大の言論・人権弾圧組織を正常化させる最大のチャンスを摘み取ってしまいました。
番組では当時米国の在中外交官が「経済発展さえすれば発展によって生まれた中産階級が政治的自由を求め、それにより民主化が進むと考えていた」と証言していました。
その判断を未来の私が一概に否定、批判することは出来ません。未来の知識を元に当時の人達の判断を評価することはフェアではないからです。ゲームのようセーブ&ロードが出来ない以上、今も昔も私達は現状知りえる情報から未来を想定し、判断を下さねばならないことに変わりはありません。ですが、もし今日の状況を当時の日米の政治家たちが知れたならば、対応は全く違ったものになったことは確実でしょう。
中国共産党が今日の情報化社会において他の国とは違う、類を見ない情報統制と国民監視社会を実現出来たのは何故か。それは時期も共産党に味方したと私は考えています。
90年代にインターネットが民間にも普及し始めてから約10年後の2007年に革新的なスマートフォンであるiPhoneがアップルのスティーブ・ジョブズ氏によって販売されました。このiPhoneによって人々は家や職場以外の場所でもインターネットに繋がることが可能になりました。PCを持っていない人でも何時でも何処にいても世界と繋がることが出来るようになりました。本来ならこの時点であらゆる情報に触れることが出来るようになり、自身の意見を多くの人々に発信し共有できるようになった中国の一般国民は統治権力に対して大きな武器を持ったはずでした。現に中東では2010年に始まったアラブの春と呼ばれた民主化運動が勃興し、幾つかの国では独裁者がその地位から追い落とされました。その時に人々が手にしていたのは武器ではなくスマートフォンでした(一部の国を除く)。
アラブの春自体はその後の混乱から賛否が分かれていますが中国でもその影響を受けて多くの都市で一党独裁体制打倒のためのデモが計画されました。しかし、結果は治安当局に徹底的に鎮圧されて失敗してしまいました。
何故、中東では成功して中国では上手くいかなかったのか。それは〇先生の説明してくれた中国独特の超巨大検問システム、金盾があったからに他ならないと思います。
アラブの春の発端であるチュニジアでは、治安部隊の動きを民衆がSNSを通じて共有しあったため弾圧から逃れることが出来ました。治安部隊の動きが人々に筒抜けになっていたためです。中東ではインターネットは一般大衆側の力になりました。
ところが、中国ではインターネットを取り入れたその瞬間からネット空間把握のためのシステムを公安が構築し始めていました。2003年には自国内の個人情報やアクセス情報のほとんどを手中に収めていたというから驚きです。検問対象は年々拡大し、電子メールはもとより、個人のブログやインターネット掲示板への書き込みすら監視出来るようになりました。このことが前述の大規模なデモ計画を事前に察知、迅速な治安部隊の展開に繋がりました。中国ではインターネットは統治権力側の力になったのです。
さらに、今日では位置情報が重要な要素になっています。自由主義諸国では位置情報サービスは利用者にとって便利なサービスに他なりません。目的地への道案内、道迷った時の自身の居場所が瞬時にわかります。さらに、それを利用したアプリゲームは世界中で大ヒットしました。企業側も商機を掴もうと日々サービスの利便性向上に余念がありません。
完全な余談ですが、5年ほど前まで私はヤマト運輸で集配のアシストをやっていました。そのヤマトでも位置情報を利用してデパードなどで買い物を楽しんでいる人の所に集荷に訪れ、その人が家に着くまでに配達を完了するというサービスを2~3年以内に始める構想をしていました。今だ実現はしていないようですが。。。(恐らくですが平面である地上ならともかく、建物内だった場合の階数差に対応出来なかったのではないかと思っています)
このように、民主主義を根底とした自由主義国家では位置情報はストーカー被害などの一部を除いてあくまでも人々の生活を便利にするツールに他なりません。
しかし、これが独裁的統治権力によって支配された国では全く違う使われ方に変貌します。すなわち、その人が何時何処にいるのかが全て統治権力側に筒抜けになってしまうのです。当然、誰と出会っていたのかを把握することも容易でしょう。統治権力にとって都合の悪い人を公安が複数人で尾行する。なんてことをせずともモニター越しに監視できるのです。
さらに間の悪いことに、中国では現在キャッシュレス決済が急速に広まって一般化しています。現金を持たずに手軽に行えるという利点がありますが(個人的意見ですが銀行のATMから偽札が出てくる国だからこそ人々の現金への信用度が低く、それがキャッシュレス普及の最大の要因のような気がします)それはすなわち、その人の生活が全て統治権力に筒抜けになっていることを意味します。何処に行っていたのか、何を買ったかによってその人の思想まで読み取り、知らない間に要注意人物に指定されていた。そんなことも起こりえてしまいます。
極めつけは数年前から飛躍的にその性能を高めたディープラーニング(深層学習)によって検問の精度が格段に向上してしまいました。人々が隠語をいくら考えてもあっという間に機械が学習して禁止用語に指定してしまい、正しい情報を伝えたくても伝えられない状況に陥っています。
スティーブ・ジョブズ氏にその気は断じてなかったと思いますが、結果的にiPhoneはインターネットを一般大衆側の力から統治権力側の力に変貌させてしまったのです。
そんな恐るべき社会を築き上げた中国共産党を羨望の目で見ている者たちがいます。世界各地の独裁者達です。ロシアのプーチン、トルコのエルドアン、シリアのアサド、ベネズエラのマドゥロ、サウジアラビアのムハンマド、もちろん北朝鮮の金正恩も(トルコやロシアには選挙制度がありますがその透明性、公正性には疑問符が付くので敢えて載せます)。彼らに限らず、権力を維持したい欲望を持つ者たちにとって中国共産党はむしろ希望の星に違いありません。なにせ国内からでは体制転覆がほぼ不可能な状況を作れるのですから。
良い悪いを別として武器の主力が剣、弓、槍だったころは民衆が権力に反乱を起こすことはそう難しいことではありませんでした。例えば農民が使っている鋤や鍬が十分な武器になりましたし、最悪木の棒の先端を尖らせただけでも武器になりました。
しかし、武器が高度化して自動小銃や装甲車、戦車、戦闘機になるとそれを扱うのに高度な訓練が必要になり、とても一般市民がすぐに使用できるようなものではなくなりました。軍ではない治安部隊の装備はもう少し劣りますがそれでも身を守る為の盾やヘルメットにボディアーマー、攻撃用のゴム弾を市民が大量に手に入れるにはハードルが高すぎます。
その結果、独裁者は軍人と警察関係の人々だけは特権を与えて優遇することで確実にその地位を守れるようになりました。現にアラブの春で倒れた独裁者の条件は軍に離反されて仕方がなくというパターンが多くみられました。逆に軍が離反しなかったシリアのアサド大統領やベネズエラのマドゥロ大統領はその命脈を保っています。
すなわち、現代において革命あるいは体制転換が起こる条件は戦争で敗れるか民衆が立ち上がった時に軍、もしくは治安部隊が民衆側に付くかの2パターンしかほぼありえなくなりました。碌な武器もない民衆を外国が中途半端に支援してもシリアのような泥沼にしかなりません。そのことを中国共産党を初めとした各国の独裁者達が学習しないはずがありません。
独裁者達は中国共産党の監視システムを自国にも導入したいと考えるでしょう。中国共産党は米国に対抗しうる世界的影響力を得るためにもそうした独裁者達に接近していくでしょう。中国式の統治システムに組み込まれることを不愉快に思う独裁者もいるかもしれませんが自分が死ぬまで、場合によっては自分の親族や取り巻きが権力を掌握し続けることにより死んだ後も自身の地位と評価が保証され、批判が一切出ない(出来ない)世界が完成することはむしろ本望と言えるでしょう。彼らは欧米の人権を理由にした批判や介入を自身の地位を脅かすものと捉えている以上、中国に接近して自身の権力を絶対化したいと思うのは自明の理だと思います。
さらに、各国の独裁者達以上に厄介なことに世界の経済家達に中国共産党に対する危機意識が無さすぎます。その筆頭に我が日本がいます。情けないことに日本の経団連を初めとする日本の経済家達は14億人というマーケットに釣られて共産党の問題に目を瞑っています。儲けることが出来れば良い彼らにとっては米国の経済制裁、もしくは軍事衝突によって中国共産党が潰れて大陸が混乱に陥り、商売が出来なくなることはまかり間違ってもあってはならないことなのです。中国を富ませれば富ませるだけ体制が強固になり、それが自分に向かってくる可能性を全く考慮していないのです。共産党が気付いているかはわかりませんが、彼らの体制保障の一翼をあろうことか自由主義社会の経済界が担っているのです。
そして今、最悪の事態が進行しています。それは〇先生のおっしゃられた政治に無関心な若者が増えているということです。中国に限らず日本の若年層の投票率はその低さが問題になっています。理由は様々考えられますが私が思う理由の一つに、両国の若者がその状況に慣れてしまったからにあると思います。
つまり、日本では民主主義が当たり前になりすぎてそれが失われることを想定できず、中国では逆に政治的不自由が当たり前になってしまい、それが普通の状況になってしまっている。これは極めて危険な状況です。
権力者からすれば民衆が何も言わない、言えない状況が長く続くことにより最終的に政治的情報弱者、政治的白痴に陥ることは極めて都合がいいことです。何せ民衆は自分たちの置かれている状況に疑問を持つことすら出来ない、あるいはしなくなるからです。
中国共産党は今日ではまだ人々に対して経済成長による生活の豊かさを恩威として与えています。人々も政治的活動によって今の豊かになった生活を手放したくないがために何も言わない状況が続いています(安定した、豊かな生活を捨ててでも政治的に活動することは心情的に難しい面があるのは承知しています)。しかし、将来において人々が全く共産党支配に一切抵抗出来なくなったと確信した場合、それすら与えずに一方的な搾取に移行してもなんら不思議ではありません。
残念なことに、こうした流れに対抗すべき自由主義諸国の状況はお寒い限りです。欧州は移民(難民)問題で動くに動けず(アラブの春の時にきちんとした対応をしなかった欧州諸国の自業自得的側面があるとは思っています)、米国では前任のオバマ大統領が何もしなかったために独裁者達が好き勝手に動けました。トランプ大統領になって少しだけマシになったかもしれませんが、基本お金の計算にしか興味がないトランプ大統領ではとことん本気で彼らと対決することは期待できそうにありません(戦争はお金かかりますし、支持率も下がるので)。国際平和と諸国間の友好促進、並びに国際的な基本的自由と人権の助力(第二次世界大戦時の戦勝国が立ち上げた機関ですので建前ではあると思っています)を目的として設立された国際連合は現状何の存在感もありません。
日本は言うに及ばすご覧のあり様です。
さらに状況を悪くしている理由に世界的な富の偏在があります。
2014年にNGOのオックスファムが発表したところによると世界的最上級富裕層85人の資産総額が下層の35億人と同等だったというものがあります。100人に満たない人の資産価値が人類の総人口半分に相当する。ここまで極端ではなくとも2000年代から始まった新自由主義、グローバリゼーションによって富める人と富めない人の差が世界中で広がっています。問題は富むことに成功した彼らがその莫大な資金を政治に投入し、自分達に都合の良いルールを法という形で合法的に固定化してしまうことです。
選挙には莫大なお金がかかりますので、資金に乏しい政党や政治家の中には彼らに接近する者も現れるでしょう(そうでなくとも接近する者はいるでしょう)。そうして当選し、権力を握ったら見返りとして彼らの要望を実現する。富める者は自身の要求を受け入れてくれた政治家、政党にさらに多くの資金を援助する。
こうした癒着が本人達だけでは終わらずに子供に受け継がれた場合。その子孫達は生まれた瞬間から経済的、人脈的有利を持って人生をスタートさせることが出来るようになります。政治家側は親、もしくは先祖代々受け継いできた資金、知名度、支持基盤、人脈、さらには政治的ノウハウを受け継ぐことが出来ます。現に今の日本では世襲議員が増えてきています。富裕層側は親から受け継いだ政治家達との人脈をさらに密にして繋がりを深め、結果的に富をさらに自分の元に集めることが出来るようになる。
これはゲームで言うなら開始時で既に最高の装備とスキルと仲間を引き連れているようなものです。普通にゲームを始めた人では全く太刀打ち出来ません。民主主義の国で合法的に一部の人が独裁的権力を握ることが可能になってしまうのです。最終的には民主主義の皮を被った全く別の何かが出現し、親が一定以上の階層にいないとその子供は政治家にも中間層にもなれず、一生を最下層で終わる。そんな人が大量に生まれる階層固定社会になるかもしれません。
そして、そんな状況になった場合。政治家や富裕層が自身の富と権力を失うことを恐れて治安向上を理由に監視社会の実現に向けて動き出したとしても何ら不思議はありません。その時、参考にするのが中国共産党の支配体制です。まともな方法では絶対に状況をひっくり返すことが出来ない体制は、富や権力そのものに価値を見出す人にとって極めて魅力的に映るはずです。持たざる人々が追い詰められて非合法手段に手を出せば権力者側の思うつぼ。テロリストと認定して自慢の監視システムと治安部隊で事が起きる前か大きくなる前に拘束。そして犯罪やテロを未然に防ぐために監視システムがいかに有効かを大々的に宣伝しつつ、今の支配体制が盤石で批判も抵抗も無意味であることを人々に知らしめる。
こうして一般大衆は政治的自由を失い、人類の人口比で言えば極極一握りの権力者達に隷属を強いられ、ひたすら搾取されるだけの存在に陥れられる。その状況が長く続けば続くほど人々の心を諦めが支配し、少しでも良い生活を得るためには権力に媚びるしかなくなり、やがては政治的自由が何だったのかすら忘却してしまう。
独裁者達の完全なる勝利です。
私が上記で書いたことを誇大妄想と断じて笑うか、危ない人認定する人は多いでしょう。
こんなことは起こるはずがないと鼻で笑われることは承知の上です。
しかし、現実ではGAFAと呼ばれる巨大IT企業により人々の生活、行動、思考までもがビックデータという形で集積され、それを資本として独占的な地位を確立することに成功して問題になり始めています。
中国本土では政治的発言が余りにも危険を伴うため口を閉ざさざるをえない状況が続いたために今の若者が政治に関心を持たなくなってきています。
ITというテクノロジーが人々に便利なサービスを提供して生活を豊かにする裏で、一部の権力者たちによる政治的、資本的独裁体制を力強く後押しする事態になってきています。
IT技術が後退することはありえないでしょう。スマートフォンはもはや生活必需品です。持っていなければ現代社会を生きられません。都市のど真ん中にいても文明から切り離されるも同然です。人々は嫌でもスマートフォンを持ち、インターネットにアクセスし、自身のデータを巨大企業や統治権力に提供し続けなければならないのです。
2019年7月時点で香港を始めアフリカや中東、中南米など世界各地で独裁的体制に抗議の声を上げている人々が存在します。しかし、残念なことにここ数年上手くいっていません。アラブの春で独裁者が倒れた国の中にはリビアのように内戦に陥ったケースもあれば、スーダンのように独裁者(バシル大統領)が倒れたと思ったら新しい独裁者(軍)が誕生した。そんなケースすらあります。
これはあくまでも個人的な意見ですがこんなことが起こる理由の一つに、「人は他者が特権階級として自身の上に君臨することには憤慨するが自身が特権階級として他者達の上に君臨することは容易に肯定する」そんな性質があるとは思っています。
今日、国であれ個人であれ道理も筋も過去との整合性も無視して今この瞬間、自分に都合の良いことが正義。そんな人が増えていると思うのは私だけでしょうか。
私は選挙権を与えられた20歳から行ける選挙には全て参加してきました。区長選挙、区議会議員のような地方選挙から国政選挙まで全てです。それは学校で教えられた投票は国民の権利だから、という理由ではありません。
私は民主政治は独裁政治に必ずしも優る政治制度ではないと思っています。ユーゴスラビア連邦を率いたチトーように、優秀で自身への批判すら容認する独裁者が率いた場合。意思決定が民主国家より格段に速い独裁国家は著しく発展する可能性があることは歴史が証明しています。皮肉にも天安門事件を指揮した鄧小平により、中国が経済的には豊かさを実現したように。
民主政治が独裁政治に勝る点はトップを変えるその瞬間にあります。アラブの春や中国を見ればわかるように、独裁政治が行われている国家では民衆がトップを変えたいと願ったらデモや暴動、時には武器を持って反乱を起こすなどの非合法手段に訴える以外に方法がありません。
しかし、民主政治では投票所に行って投票するだけで済みます。民主政治は血を流すことなく自分たちのトップを、統治権力を変更し、それによって国家の在り方や行く末までも変えることが出来るのです。正にこれこそが民主政治が独裁政治に勝る点です。
中東では体制変更のために人々は自身の命と人生を賭けなくてはなりませんでした。中国では現在進行形で心ある人々が命と人生を賭けています。日本で2009年に自民党から民主党に政権が移った時、逆に2012年に自民党に政権が戻った時、命の危険を感じながら投票所を訪れた人は日本全国探しても一人もいないと断言できます。
民主政治には問題が数多くあります。上げたらキリがないほどです。それゆえ、若者が投票に行かない理由の一つに「誰がやっても一緒、何も変わらない」があります。しかし、これは間違いだと私は断言できます。想像してみてください。ある人がその場でずっと棒立ちのまま、もしくは足踏みしているだけなのに「いつまで経っても見える景色が変わらない」そう呟いたとしたら・・・。足を前に出していないのに目に映る景色が変わるわけがありません。しかし足を一歩前に踏み出せば僅かではありますが目に映る景色は変わります。目の真横にあった物は後ろに移動し、はるか遠くに存在する景色は一歩分だけ近づきます。それを何十歩何百歩何千歩も繰り返して初めて、これまで見えなかった景色が見えてくるはずです。それが美しい花畑なのか断崖絶壁なのかはわかりません。しかし、目に映る景色が動くと信じて、変わると信じて足を一歩前に踏み出さなければ本当に何も変わりません。何も変わらない、変わるわけないと信じている何十万何百万人の集団よりも、変わると信じて動く一人のほうが物事が変化するのは自明の理です。
投票制度とは正にその一歩を踏み出す制度だと私は信じています。確かに私の一票だけだったなら何の影響もないでしょう。しかし、多くの人が投票することでそれは形となって現れるはずです。民主政治において変化を起こすことは実は難しいことではないのです。しかも、その方法はただ投票所に行って投票用紙に名前を書き、投票箱に入れるだけでいいのです。
あえて政治家の立場に立つなら自分の票にもならず、相手の票にもならない。そんな人達のために政治家が汗を流す必要がどこにあるのでしょうか?
自分に票を入れてくれる、もしくは相手に票が流れてしまうと思えばこそ政治家はその人達の声に耳を傾け、真面目に公約の実現に向けて動くのではないでしょうか?
投票に行かない若者達が時に「政治は年寄りの方ばかり向いている」と言いますが、その理由が自分たちが投票に行かず、票にならないことがそもそもの原因だとなぜ気づかないのか不思議でなりません。
若者の投票率を上げるために政治の方が若者に向けたメッセージや政策をもっと充実させよ、との意見もありますがむしろ逆でしょう。若者の方が政治に関心を持ち投票に行くことによって初めてそうした政策が出始め、やがて実現する。それがあるべき民主政治のあり方ではないでしょうか?自分たちの方を向いてほしければなおさら選挙に行くべきです。
民主主義という政治形態において最大の悪とは何か。それは自分の意見を持たずに周りに流されて特定の政党、議員に投票することでもなければアイドル議員に投票することでもありません。民主政治における最大の悪、それは諦めて無関心でいるとだと私は確信しています。だからこそ投票にだけは必ず参加しました。逆に投票以外の政治活動は一切行っていません。
最後に、前述の天安門事件を扱ったNHKスペシャルにおいて当時の共産党の最高幹部の一人だった趙紫陽氏の元秘書がインタビューに答えていました。その人はインタビューにこう答えました。
「中国共産党という組織において人間はたった一人、国家主席のみです。それ以外の人は全て国家主席の道具です。あの日、天安門広場で起こったことを境に民衆は権力に服従するしかなくなりました。」
世界中の人々がいつの間にか、極一部の人達のみが有する絶対的権力に服従する以外の道が失われている。そんな未来がこないことを願っています。
そのためにはどんな政治体制の下で暮らしていようと、人々が政治への関心を持ち続けることが重要だと考えます。
私は、独裁による安定よりも自由を求めるがゆえの、もしくは自由になったがゆえの混乱の方が救いとがあると信じています。