第二十一夜 ①
学園祭三日目、一日目といい二日目といい、純粋に楽しむ時間はあまりないままに、なんとも言えないものだったから、学園祭最期のこの日も似たようなものだと思いつつ、それでもとりあえず、出るだけ寮から出てみた。
昨日、現状を把握する時間があったが、正直に言うと気力はごっそり削られたので、この最期の日こそは何事もなく終わって欲しい、くらいの気持ちだった。そのはずなのだけれど。
「ーッ!!待ってください!リチア様!!」
校内の廊下を走る靴音がふたつほど重なったりズレたように遅れて鳴ったりと忙しなく響く。
「ほら!エラも!こっちに来て!みんな待ってるわ!!」
そう言って少し強引に手を引いてくるのはリチア。昨日一昨日と忙しくしていた彼女は、学園祭最期であるこの日は、原作でもあったイベントの日ということもあってか行動が自由にできるようだった。そしてこの日のイベントというと…、
「みんなおまたせ!エラも用意できたわよ」
手を引かれて、エラが昨日も入り浸っていた校舎裏に足を踏み入れる。そこには、イオニコフ、エミール、イドラ、それにキースにアイザックと勢揃いしていて、こうして並んでいる姿を見ると、錚々たるメンバーだなと思う。さすが乙女ゲーの攻略対象、顔面偏差値が高すぎる…、とリチアに手を引かれながら、感心するように眺めていたら、イオニコフと目が合う。その瞬間、彼は花が咲くような笑顔を浮かべ、
「…ああ、その衣装、とてもよく似合っているよ、エラ。まるで花の精みたいだね」
と言った。今、エラが着ているのは普段の制服ではなく、学園祭イベントで主人公が着る衣装と同じものである。
赤青黄といった色とりどりの花が咲き誇る花冠を頭の上に飾り、種類も色も様々な造花が至るところにあしらわれた“聖女フレイシアの礼服”と呼ばれるワンピースドレスだ。ふんだんにあしらわれた花飾りも特徴的だが、何よりたくさんのリボンと繊細な刺繍も特徴的なドレスで、この学園祭イベントで発生する主人公イベント用の特殊衣装となる。
このイベントでは、女子は特徴衣装を着ることが伝統的だという設定があり、また、意中の相手に刺繍の入ったリボンを渡し、それを受けとった相手が身につけてくれれば、二人は結ばれる、というジンクスが存在する。
故に、作中では好感度が最も高いキャラからリボンを渡されるイベントが自然発生し、プレイヤーは身につけるか否かの選択をすることが出来た。
「ね、エラも可愛いですよね!エラってば自分には分不相応だって言ってなかなか着てくれなかったんです」
「だ、だって、こういうのは、主人公が……着るもので、あって……」
花が咲くような笑顔が似合うリチアと灰かぶりのエラでは、雲泥の差がありすぎる。
この世界でも、元の世界でも、こんな可愛らしい華やかな服を着たことはないし、ましてや、ツインテールという髪型にしたこともない―ツインテールは聖女フレイシアの髪型だった―それなのに、本来原作のエラも着なかった衣装を着ることになるなんて。
自信がなくて、ただリチアと比べられて終わりなんじゃないかと、あの夏の日のような扱いになるんじゃないかと俯いてしまうエラの手を、リチアではなくイオニコフが握り、そのまま抱き寄せた。
「え!?あの、イオ様……!?」
急にイオニコフの腕の中に捕まり、エラは訳がわからず彼の顔を見上げる。すると、イオニコフの手が、そっとエラの頬に触れ、
「本当に可愛いよ、エラ」
と、彼の手の次には、その唇がエラの頬に触れる。
その瞬間、どこかでボンッ、と何かがショートする音がした、とはいえ、ここでショートするとしたらひとつしかない。エラの心臓である。
「な、なななな、何を……?!」
真っ赤なりんごのように顔を真っ赤に染めながら、しどろもどろになりながら自分を抱き寄せ、頬にキスをしてきた彼を見上げる。心臓がバクバクと今に破裂しそうなくらい早鐘を打ち、手も足も顔も全身から蒸気が出そうなくらいの恥ずかしさと、全身にじんわりと広がる嬉しさ。半分くらいパニックになっているエラを見て、イオニコフはさらに嬉しそうに抱きしめる、と、真横から、二人を引き剥がす手が現れた。
「せーんぱーいー?まだ付き合ってもいない女性に、口づけするのはダメなんじゃないですかねー?」
引き剥がされたエラは、今度は、エミーユの腕の中にいた。
イオニコフをじとーっとした目で睨み、彼が口づけしたエラの頬をハンカチで軽く拭いている。消毒のつもりらしい、エミーユが牽制すると、イオニコフはキョトンとした顔から、イタズラな、不敵な笑みを浮かべ「キミに言われる筋合いはないと思うけど?」と言い返した。
「キミだって、人の事言えないだろう?」
「な、なんの話ですか?」
「とぼけようったって無駄だよ。見てたんだからさ、キミが、海で、エラの頬にー……」
イオニコフが言いかけると、大慌ててでエミーユは彼の口を塞ぎに走る。
「わー!!それは言わないでください!!!」
顔を真っ赤にしてイオニコフの口を塞ぐエミーユと、そんな彼を見て面白おかしそうにニヤニヤするとイオニコフ。傍から見れば、無邪気に絡んでいるようにしか見えない光景で、リチアはそんな彼らを見て嬉しそうに微笑む。
「嬉しそうだな、リチア」
「キース、ええ、とっても嬉しいわ。だって、エラがあんなにころころと表情変えてるんだもの」
エミーユとイオニコフ、二人の間に挟まれて狼狽えるエラは恥ずかしさからか顔がずっと赤いが、どことなく楽しそうでもある。
そんな姿を見れて嬉しいというリチアを見て、つられて嬉しそうに微笑むキース、の横で、アイザックはげんなりした顔をしている。
「どうした?何かまずいものでも見た顔だな」
隣で腕を組み、仁王立ちしていたイドラがアイザックにそう話しかける。彼の目にも、アイザックの様子が異様に見えたようだ。
「ああん?当たり前だろ。あんなイチャイチャ見せられて気分良いわけないだろ」
「なんだ、嫉妬か?」
「んなわけあるか。俺とあいつはそんなんじゃねーよ。けど、当て馬みたいなこのポジションが納得し難いだけだわ」
やさぐれたようなアイザックの様子に、イドラは少し笑ってしまった。
「当て馬……、ふっ、確かにな。色々と相談持ちかけられてるんだろ?だが、結果はこれだからな」
「ほんとにな。まぁ、実ってくれなきゃ意味ねぇんだし、これはこれでいいんだけどな。けど、なーんか、納得いかねぇ」
つーんと口を尖らせるアイザックを横目に、イドラもまた、少し複雑そうな顔をしている。そんなイドラと、取り合う二人から逃げ出してきたエラとの視線がぶつかり、イドラは少し驚いたような顔をし、その頬をほんのりと赤く染めた。
今のエラの格好が、花束のような可憐な姿に、イドラは何か心に感じるものがあった。
「ハンニバル様、アイザック、あの二人を止めてくださいませんか?」
縋るように助けを求められて、満更でもない二人はエラを囲むように話を聞く仕草を見せる。そんな、そんな平和な光景に、リチアも混ざるように近寄っていく。キースも、二人で言い争っていたイオニコフとエミーユも、みんなのいる場所へと合流する。
実に平和で、原作ゲームの本編からはおよそ想像出来ない幸せとも言える瞬間。
だが、その幸せな瞬間を、校舎の中から睨む人影が存在し、その影は、
「もうすぐだ。もうすぐであなたを救い出せるよ、待っててくれ」
そう、言葉を紡いで、窓の外の彼らが気づくよりも前に、その場から、姿を消した。