第二十夜 ②
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魔王軍が光の世界領域内に攻め込んできた。
それが、天地戦争ーこの大陸の端にある魔王城率いる闇の世界に住む魔王軍と人間側の光の世界に住む連合軍に分かれて繰り広げられた戦争ーだった。
休み時間になればとりとめもない雑談をしていた、代わり映えのしない日常は一変し、世界は戦場と化した。魔法を使える者達は皆、戦場のその最前線、つまりは魔王軍と連合軍がぶつかり合っている闇の世界と光の世界の境界線付近で命を懸けて戦っている。それはクリスタル学園の生徒も例外ではなく、また、光の世界を好む種族や魔族達もまた、人間に協力する形で魔王軍と衝突する。そんな戦争の中、魔王軍側の中で最も脅威だったのが、そう『魔女軍団』であった。
この時代の魔女は、最も最多を誇っており、ゆうに二十人は超えていたはずで-たったの一人でも一師団くらいの戦闘力は有していた-、それは同時に、それだけの人数の赤ん坊が、勝手な都合で産み落とされ、勝手な都合で捨てられたという事でもある。
人間側は、そんな自分達の業すらも彼女達に押し付けていた。それ故、彼女達魔女が怒りを顕に、魔軍を引き連れて襲って来ることは当然の帰結と言える。
この天地戦争の最前線には、ボク、イオニコフ・メルエム=オーデルセンだけでなく、この時代に名を残した、当代の聖女・フレイシアもいた。
百年後の現代において、彼女の名は、広くは知られてはいないのだが、この時代では有名な、最大の聖力を誇る稀代の聖女だった。たった一度の祈りで数千から数万の命を癒すことが出来たからである。
彼女の存在は戦況を大きく左右し、さらに合わせて、たった一人で千の軍団を率いるに匹敵するほどの大魔導士が光の連合軍側にいたこと、これが勝敗を大きく分けた理由だった。
聖女の力は味方を癒し、敵の魔族は消滅させ、大魔導士は目の前の一団を大魔法で薙ぎ払い、殲滅させた。
自身の魔力が尽きるまで、聖女は味方を回復し、魔王軍の魔物を消滅させることで敵の戦力を限界まで削ぎ、大魔導士は圧倒的な力をもって敵の戦力を再起不能にしていく。
けれど、それほどに力を持っていても、手こずったのは魔王軍が最大の戦力として誇る「魔女軍団」。
最前線で戦うイオニコフの前に立ちはだかったのは、魔女軍団だった。
彼女達が進軍した跡は、ひと目でわかるほど凄惨で、血の海が出来上がっている程だ。
向かい合い、お互いの出方を窺うように睨みを利かせあう大魔導士と魔女は、冷静にお互いの周囲にも視線を向ける。魔女の周囲には、大魔導士イオニコフが駆けつけるまでに殺されただろう連合軍側の仲間達のおびただしい量の血が、周囲を赤く染め上げていて、魔女達自身も赤く染まるほど流れていた。
魔女に慈悲はない。
その言葉通りの光景が、イオニコフの目に映りこんだ。
「…よく、ここまでの事が出来るもんだね」
無惨な姿で転がる仲間の死体を眺めながらイオニコフがそう口にすれば、魔女は「お前達も同じことをしてるわ」と言った。
「人間はいつもそう。散々動物も魔物も殺しておいて、邪魔な人間をも簡単に殺すくせに、いざ自分達がとなれば、騒ぐのよ」
魔女のひとりがそう言葉を投げた。
黒い衣装に身を包んでいるはずの彼女達は赤く、艶やかに染まっていて、それがまた、荒地に咲く彼岸花のようで。
「私達を身勝手に捨てたのはあんたたち人間でしょう!殺そうとしたんだから、殺されて当然だわ!」
「そうよ、お前だってここに来るまでに魔物達を殺して来たんでしょう!?私達の家族を殺しておいてなんて身勝手!……私達を悪だと言うならお前だって同罪だわ、お前達だって悪そのものだ!!」
「やられたら、やり返す。弱い者が淘汰される。それが自然の摂理なのでしょう?私達に殺されたということは、弱く淘汰されるべき存在だった、それだけのことよね」
魔女達が口々に言葉を放つ。怒りに満ちた魔女の叫びと、返り血に染まった姿と赤く染った大地、おびただしい数の人間や魔物の死体が転がり、その周囲を囲うように燃える炎とが、まるで地獄に来てしまったかのような、この世のものとは思い難い光景を作り出している。
イオニコフが、その光景をどこか虚ろに眺めていた時、連合軍側の応援がその場に到着した。けれどそれは戦況を優位にするものであるどころか、新たな悲劇を生むだけだった。
「ようやく見つけたぞ!魔女共!!この人殺しどもめ……仲間の仇、討たせてもらうぞ!!」
援軍のひとりがそう叫ぶと、それを聞いた魔女は激昂する。
そしてそれは、ほんの一瞬のことであった。
イオニコフが、冷静に、ただ眺めていたのは、魔女が瞬きの間に、連合軍側の援軍達の首を狩る瞬間だ。むせ返るような血の匂いと燃えて焦げた匂いに酔いかけていたイオニコフは、一瞬の判断が遅れてしまった、そしてそれが、多くの命を失う瞬間でもあった。
笑いながら、魔女は命を狩っていく、その身を返り血で染め上げながら。
本当は、魔女だって人間だ、どこか分かり合えるんじゃないかと考えていたし、その心を救えれば、被害は最小限に抑えられると、そう思っていた。この瞬間までは。
けれど、悲鳴が上がるその戦場で、血塗られた魔女の姿を改めて目の当たりにした時に、それはありえないことだと悟った。
魔女が愛に満たされれば、彼女達は救われる、だが、現実の魔女を知った今、それは、不可能だと思う他なかった。だって、彼女達は笑いながら多くの命を奪ったのだ、しかも目の前で。
だから、魔女を愛せない。
救うことなんて、初めから無理だった。
それまで、どこか躊躇っていたイオニコフは、魔女を救うことへの希望が絶たれたその瞬間から、迷うことなく、魔王軍側の全てを奪うことにした、魔女の命も、魔物達の全てをも。
(ーー……無理だ。彼女達を愛するなんて)
英雄は、魔女諸共を得意の複合魔法で薙ぎ払った。どれだけの数の魔物が立ち塞がろうと、英雄の進軍を止めることは出来ずに、ハリケーンや、砂嵐、落雷、津波……英雄は魔法で様々な自然現象を再現し、その一撃で数百から数千の魔物を滅していく。
それは、一介の魔法使いが数体の魔物を倒す、それに掛かる時間と同じ程度の時間で、それだけの数の魔物を倒して見せた。
複数人の魔法使いや兵士、騎士団が束になってやっと倒せる魔女一人に対して、英雄は一人でも対峙できるだけの力があったが、一人で相手取るには数が多く、体力の消耗も激しかった。
だが、聖女の力も凄く、膨大な魔力を持つ英雄イオニコフと言えど、気力も魔力も消耗するが、結果的にそれを補佐したのは彼女だった。
天地戦争は、突出した二人の存在に戦況を左右され、だがしかし、そんな二人であっても、魔王そのものを倒すことまでは叶わなかったのだ。