第十九夜 ②ー6
「これと、それ、三個ください」
エラは適当に混んでいない出店に並んで買い物をする。両手にいっぱいになってきたところで不意に横から、にゅっ、という効果音が似合いそうな勢いで、手が伸びてきていくつかの買い込んだ食べ物を取り上げられた。
「え?!」
「もうちょっと考えて買えよな」
エラが驚いて声を上げながら伸びてきた手の主を確認すると、同時に、そんな呆れたような台詞が返ってきた。ちょっとつり目の割と平々凡々な男子高生アイザック、それがエラの腕の中から食べ物を取り上げた犯人だった。
「アイザック!?どうしたのよ急に。というか急に腕が伸びてきたらびっくりするじゃないのよ」
「声は掛けたぞ。まぁこの雑踏の中じゃ聞こえてたかどうか定かじゃねぇけどな」
「それなら聞こえていなかったっていう事実が今、証明されたわよ」
「そーかよ。んで?これで全部か?たこ焼きに焼きそばに箸巻きに卵焼き…、なんつーか、馴染みありすぎて逆に困るな」
「それよね。もうちょっと凝って欲しかったわね、世界観」
「ここまで異世界感半端ないのにこんな所は捻りないのかよってなるわな」
「ほんとよね。あ、何か食べたいのがあったら言ってちょうだい。買いに行くわよ」
「あー、これでいいと思うぞ。ハンニバルもなんだかんだ庶民食は食ってくれるからな」
「あら、そういえば王族なら庶民食なんて本来は嫌がりそうよね」
取るに足らない雑談をしていて、はた、と気が付いた。イドラ・ハンニバルは王族なのだから、いくら留学している身といえど高級な料理しか食べないのかと思えば、実際のところそうでもない。原作でもみんなと同じ食事をしていた描写もあったことから、庶民食も食べてくれる王族らしいことはわかっているのだが、今まで気にしたことが無かったなぁ、なんて。
…堅物感満載な割に、結構融通きく相手よね、イドラって。
☆☆☆☆
「そうだ、アイザック。今日か、それか明日か。時間取れる?」
エラとアイザックがしこたま買い込んできた出店の食べ物を校舎裏で、ピクニックがごとく広げた彼らは各々好きなものをつまみつつ団欒していた。場所が場所なだけに到底、学園祭を楽しんでいる感じには見えないのだが、まぁ、彼らは彼らで楽しんでいる。
「ん?なんだ?今日の放課後でもいいけど、今じゃダメなやつか?」
…ローレンとの話をしておきたかったんだけど…。
エラはちらりと楽しそうに食べ物をつまんでいるイオニコフとイドラに視線を向ける。イドラはまだ知らないし、情報共有として話しておいてもいい。それこそ今ここで話せば、アイザックとイドラの両方に共有出来るので話が早い。しかし、せっかくのこの束の間の休息を遮ってまでする話か?と、問われれば是とは答えようもない。
少し逡巡して、結局、今はやめておく、とそう言いかけたエラの言葉を遮るようにアイザックが、
「話しにくいなら今日の放課後でいいんじゃね?」
と、先に提案してくれる。
彼のこういう決断の早さには随分助けられてきたなとしみじみ感じたエラは、その提案に大きく頷いてみせた。
そんな二人のやりとりに気づいていたのはイオニコフ。イドラは気づいているのかいないのか定かでなかったが、イオニコフは横目にエラとアイザックが二人で何やら話しているのを見ていたのだ。
何を話していたの?と、聞けばいいだけの話だ。しかし、イオニコフはどうしても聞くことが出来ないでいるまま、秘密の会話をしている光景をただ眺めていた。
そして、そんな彼のことにも、エラは相変わらず気がついていない。
「どうした?何か気になることでもあるのか?」
同じ空間にいるのに、どこか虚空を見ていたイオニコフにそう問い掛けたのはイドラであった。さっきまで黙々と食べていた彼もまた、漆黒の髪を持つ彼の小さな違和感には気がついたようで、イオフコフの表情を窺いながらそう尋ねた。まさかそんなことを聞かれると思っていなかったイオフコフは、イドラからもたらされた不意打ちに思わず目を丸くする。出会った頃はなかなかに険悪だった彼との仲も、今ではそこまでに悪いものでもないのかもしれない。
「…いや、なんでもないよ」
ただ、そう、答えることしか出来なかった。何事も無かったかのように首を振ってから目の前の食事に手を伸ばした。
だって言えるはずがない。そこまで仲がいい訳でもないことも理由のひとつだが、最たるものは、こんなのはただの嫉妬でしかないからだ。
…言えないよ。彼女本人にだって言えやしない。
嫉妬なんて醜い感情を、自覚してからなら尚更見せられるわけが無い。気にしていない、そんな風に思い込もうとしても、それでもエラとアイザックの会話に聞き耳を立てる自分がいる。そんな自分にイオフコフ自身も呆れるしか無かったし、何でもないと言う割に表情が浮かないままのイオフコフを観察していたイドラは、その隣で話し込むエラとアイザックにも視線を向ける。
はっきりとはわからないが、もしかしたらあの二人が関係しているのかもしれない。そんな曖昧な推測をして、それ以上、首を挟むことはしなかった。