第三夜 ①
目下最大の回避すべきイベントだった春の模擬試験を無事に終え、一週間ほど過ぎたある日の午後。
昼食時、エラは旧校舎の方に居た。
「はぁ…」
購買で買ったパンを頬張りながら旧校舎の玄関口に腰掛けてため息をついた。
…何とか模擬試験を無事に終えて脱・落ちこぼれは出来た。
それもこれもここ、旧校舎の地下に眠っていたイオニコフのおかげだ。だが、本来は模擬試験の後、主人公が旧校舎に向かいそこで初めて出会うイベントが発生するはずだった。しかし既に出会いイベントは発生してしまっている。本来ならイオニコフは主人公の聖女の魔力に反応して目を覚ます。
「だけどもう目を覚ましちゃったからなぁ…」
ため息混じりにポツリと呟いた。そよそよと風が吹き抜けていく。
肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。旧校舎の方は新校舎の方とは違い緑に囲まれている。虫も沢山いる為か人が殆ど立ち寄らない空間となっている。だが、野山を駆け回って育った紗夜にしてみれば、新校舎のピカピカで埃一つ無いような空間は居心地が悪い。魔法を使っているから余計に完璧と言っていいほど綺麗な校舎だ。
そこに集まる生徒の心は随分と汚いものだが。
「こんなところでお昼なのかい?」
ぼんやりと風に揺れる木々を眺めながらパンを頬張っていたエラの視界に大層顔立ちの整った漆黒の髪をなびかせる美少年の顔が現れる。にこやかに覗き込んでくる美少年とは裏腹にエラは驚きのあまり暫く固まった。
「せっかく食堂で美味しい料理が食べられるというのに、わざわざこんなところに来るなんてよほどの物好きのようだね?」
カメラで切り取ったような視界に映る美少年と背景の青い空のバランスが美しい。呆然と彼を見つめていたエラは急にハッと我に返る。
…何故、彼がここに…?
こちらを優しい瞳で見つめてくる彼はこの旧校舎の主、イオニコフだ。
…いや、当たり前と言えば当たり前か…ここは彼の家と言っても相違ないものね…。
「エラ?ボーッとしてどうしたんだい?」
「え?え、あ、いや、何でもありませんわ」
再び声を掛けられてエラは慌ててパンを口に放り込んで飲み込んだ。それから立ち上がってスカートの汚れを拭き取ってイオニコフの前に立ち直す。
「いつもここで一人で食べているね。リチアは一緒じゃないのかい?」
「いえ…一緒ではありませんわ。彼女ならおおかたエドワルド様と一緒に食堂でお昼を召し上がっているかと」
「どうして一緒に食堂で食べないんだい?仲は良いのだろう?」
その一言にエラはピクリと眉を動かした。極力接触しないようにしていても当たり前のように向こうから接触してくるのだ。これがどうやら“仲良く”人々の目に映るようで、それが「落ちこぼれだったくせに聖女様に取り入ろうなんて何様だ」と虐めに拍車を掛ける形になっていた。どいつもこいつも相当エラが気に入らないらしく教師やリチア達の居ないところでは地味な嫌がらせは続いている。この間なんてクラスのゴミ箱に転送魔法がかかっていたらしく教室を出たとたんゴミ箱に投げられたゴミが全部頭から降ってきた。魔法が使える分地味な嫌がらせは角度を変えて襲ってくる。そして誰にでも使えるような魔法なせいで犯人を絞るのも一苦労というわけだ。
…主人公ヒロインに関わったところで何もメリットなんかないわ。
「…何か勘違いされているようですけれど、別に、お友達でも何でもないです」
「おや?そうだったのかい?模擬試験の時も彼女はキミを助けようとしていたようだけど」
ゲームのシナリオにあったエラを聖女の力で助ける目覚めのシーンのことだろう。なるほど、彼は彼女が何をしようとしていたのかも把握していたわけだ。
「あら?そうでしたの?それは初耳でしたわ。ですが…だとしたら彼女は少し考えが足りない方なのかも知れないですね」
「ほう…どうして?」
「だって、聖女の力で手助けされてしまっては私の立場はどうなりますの?オーデルセン様、貴方は私が皆にどのように呼ばれているかはご存知で?…私は“灰かぶり”と呼ばれています。入学後の最初のランク振り分け模擬試験で魔法を使えなかったために最下位となったからです。まぁ他にも理由はありますがこの際は置いておきます。つまり、あの模擬試験は私の挽回のチャンスだったわけですわ。それを聖女の力で手助けされてしまっては元も子もありません」
「ふむ…なるほど。それは確かにそうだね。それならボクも余計な事だったんじゃないかい?」
「オーデルセン様は…私の保有していた魔力の封印を解いただけ、その後風船を割ったのは私自身。教師の方々も全て承知の上でクラス分けされましたわ。問題はないということです。もし、あの時、風船を割ったのが私ではなくオーデルセン様の魔法でしたら、問題でしたけど」
ふぅん…と小さな声でイオニコフはエラの言い分に返事をした。どことなく不敵そうな笑みを浮かべている。
エラは彼のその表情の意味がわからず小首を傾げた。
「…とにかく、私わたくしとリチア様とは友人という訳ではありません。一緒に昼食を取ることもありません。誤解しないでくださいな」
「…随分と彼女を毛嫌いしているようだね」
「毛嫌い…というわけではありませんが…」
…だって、だってそうでしょう!!!!!?一緒にいたら虐め酷くなるだけだし食堂なんか敵の巣窟みたいなもんじゃないの!!!頭からご飯が降ってくるに決まってるじゃないのよ!!!!!!
そう声に出したかったがここは心の中で叫ぶだけに留まった。こんなことを彼に話したところで何も変わりはしない。これが主人公ヒロインが話すのであれば何か変わったり彼の助力を受けられたりするのかもしれないが…。