第十九夜 ②ー3
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「エラ、ごめんね」
ローレンと別れて学内を歩き始めたところで、イオニコフは開口一番に謝った。
一体なんのことかとエラが首を傾げると、イオニコフは申し訳なさそうな、困ったような笑みを浮かべる。
「ボクは、結局、キミの力になれていないね。いじめを無くすことも、キミの不安を完全に取り除くことだって出来やしない。…ボクが出来る事といったら、魔族相手に戦うことくらいだ。……キミを、エラを守ると言ったのに、何も、出来ていないんだ」
最後の方はまるで自身に向けて話しているかのように小さな声になっていた。「自分が情けないよ」と呟く。
かなり弱々しい姿だ。エラはそんな彼の姿を初めて見たような気がする、だって彼はいつも自身に満ちていた。ああ、でも、そうじゃなかったのかもしれない。
…海の時だって、嫉妬?とか焼きもちだとか言い様があるかもしれないけど、それって裏を返せば、自分に自信がなかった、とも言えるわよね。
イオニコフは度々アイザックに嫉妬している様だった。それは、今だからこそそうだったんじゃないのかと考えられる程度の臆測だけれど。
そういえば、エミーユに嫉妬をしていたこともあった。イドラにも。それらが自信の無さからくるものなら、彼は今まで自信があったことなんてないんじゃないかとすら思う。原作ではとても頼れる、自信に満ちたような人だったけれど、こんな風に瞳を揺らすほどの不安や揺らぐ心がある方がよほど人間らしいと言える。
そんな、より人間らしい一面を見れたことにも喜んだが、最も喜ぶべきは、彼がそれだけ想ってくれている事実だ。こんな私のことを。
エラは改めて繋ぐ手に力を込め、久しぶりに見せるだろう笑顔を浮かべ、
「そんなことありませんわ」
と、返した。
「イオ様はずっと私の力になってくださっています。確かに現実的な面では解決してはいない、と言えます。ですが、今日だって昨日だって、イオ様は一緒に居てくれるではありませんか。それは、私にとっては十分過ぎるほどの心強さに繋がっています」
最悪のエンディングのキーパーソンだった相手だ。その彼がこうして側にいて、手を繋ぎ、力になれていないと、守れていないと項垂れてしまうくらいに大切にしてくれてることがひしひしと伝わってきて、それがどれだけ幸運なことだろうかとは考えるまでもないくらいだろう。
「…私は随分と酷い態度を取ってきています。それでもイオ様は見放さないでくださった。私を受け止めてくださった。何度も抱きしめてくださった。……私はもう、これ以上ないくらいに、幸せです」
それは心からの言葉だった。エラとしては英雄イオニコフが味方についてくれてることが幸せに繋がるのだから、特に相違ないことだった。
けれど、様々なことが未だ解決していない事もまた事実。イオニコフとしてはそこも解決出来なければ、本当に幸せとは言えないはずだ、とより重い影を顔に落とした。
と、せっかくの学園祭二日目に、いつまでも暗い話ばかりでは気が滅入ってくるのは避けられない。どうせ今すぐにはどれも解決出来ないのだからとエラは気持ちを切り替えて、イオニコフを明るく誘う。
「ねぇ、イオ様。せっかくですから、みんなに会いに行きましょう!」
半ば強引にエラはイオニコフの手を引き、まずはエミーユのクラスを目指すことにした。確か、原作では喫茶店を開いていたはずだ。クラスの女子に襲われて?か、何故かウェイトレス姿をお披露目する羽目になっていたはず。そのことを思い出し、エラはちょっと浮かれて、少し期待しつつ、それでもなるべく顔には出さないようにしてエミーユの元へと向かう。
ところで未だに手を繋いだままのイオニコフとエラが学内を歩けば、当然、注目を浴びることになるが、今のエラは今朝、最初にイオニコフと共に学内に踏み入った際に怯えていた時と違い、それら悪意ある視線など知ったことではないとでも言うような堂々とした姿勢でイオニコフの隣を歩いている。
…さっきは私のせいで微妙な空気にさせちゃったから、今度は楽しまなくちゃ。そうよね、悲観してて良かったことなんて、何も無かったわよね。
エラはこれまでに何度もアイザックに叱咤されてきたことを思い出す。彼ほどの楽観視、というかポジティブ・シンキングは渦中の人間としてはなかなか難しくて出来ないけれど、まぁ、ちょっと横に置いておいて今を楽しむことくらいなら最近、出来るようになってきた、と思う。
「そういえば、イオ様」
「ん?」
エラが気持ちを切り替えるように明るく振る舞えば、イオニコフもそれに応えるように笑顔を浮かべてくれる。それはやっぱり、素直に嬉しいと思う。
で、あれば、今はとりあえず楽しもう。
「どうしてリチア様達とご一緒ではなかったのです?昨日は旧校舎の方にいらっしゃいましたよね」
ゲームであればそういう設定、で済むけれどここが現実と思うからこその疑問。リチア達とだって仲は良いはずなのに、何故一緒では無いのだろう。
「挨拶などにも行かれなかったのですか?」
「ああ、うん。ちょっとね…」
エラがそう聞けば、イオニコフは煮え切らない感じで答える。彼にしては珍しい感じだ。と、エラが少し首を傾げたところで、二人は目的地であるエミーユのいるクラスへと到着していた。
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「え、ええ?!先輩?!?!」
突然の訪問に素っ頓狂な声を上げたのはエミーユ・ミッドナイル、らしきなんとも可愛いらしいメイドさん。恥ずかしさからか頬を赤く染めて思わず丈の短いスカートを抑える仕草にはあらゆる不安も吹っ飛ばす破壊力があった。
髪を花飾りで結い、淡い水色のメイド服を身にまとったエミーユの愛らしい姿にエラは鼻血を吹きそうになる。もちろん、そんな痴態をイオニコフの前でもエミーユの前でも、さらにはエミーユのクラスメイトの前で晒す訳にはいかないのでギリギリのところで耐えた。ほんとにもうギリギリだった。もしかしたらその姿すら痴態だったかもしれない。
まぁそんな訪問時の話は置いておいて、
「エミーユ、とっても似合ってるわ!可愛いわよ!!」
グッジョブとも言わんばかりに可愛いメイドさんもといエミーユを褒めちぎる。
ちなみに、ここはエミーユのクラスから少し離れた廊下。せっかくだしお茶でもと思ったのだが、まぁ天使なメイドに英雄様に灰かぶりと良くも悪くも目立つ面々ばかりだったのでちょっとした騒ぎになりかけた。そんな訳でエミーユには少し抜け出してきてもらった形となっている。
「先輩、僕はこれでも男なんですよ?そんな風に褒められても嬉しくないですよ」
頬をぷくっと膨らませて抗議する様はやっぱり可愛い。ゲームのスチルでも可愛かったけれど、実物はもっと可愛い。写メって待受にしたいくらいなのだが、残念ながらこの世界にガラケーもスマートフォンもない。パソコンもない。コンパクトケースは画像設定もカメラ機能もない。魔法が発達している分、科学分野はとことん遅れている世界である。
「そう?でも本当だもの。こんなに可愛いエミーユを見られるなら昨日も頑張って来れば良かったわ」
心からの、本当に本当の本心を伝えたのだけれど、残念ながらそれは彼にとっての褒め言葉とはならなかったようで、少し傷ついたような表情になる。エラにはそれが何故か判らずに首を傾げるが、見兼ねたイオニコフが耳打ちしてくる。
「男っていうのはさ、かっこよく見られたい生き物なんだよ。頼りにされたい、とかね。だから、不本意な場合は可愛いって言われても嬉しくないものなんだよ」
その苦言、はまぁ、言われずとも知っている、のだがそこまで気にしたことはなかった。
…そういうものなのかしら?男って。
紗夜は、なにぶん前世でもオタク生活を満喫しすぎて後輩どころか同年代の男子ともろくに話したことがない。関わりがあったのは、画面の向こうの、煌びやかな見た目の美男子達だけである。こんな言い方をするとだいぶヤバいやつなのではと自分でも思うエラであった。
そんなこんなで元はゲームのキャラとはいえど、目の前の彼らはここに今を生きている実在する人物なので、二次元である画面の向こうの住人とは違う彼ら自身に向き合う必要があるわけだ。そうは言っても経験が無さすぎて何を言えばいいのかが判らない。
「そんなに難しく考えなくていいさ。ただ、あんまり可愛いって連発して言わないだけでさ」
と、難しい顔をして眉間にシワを寄せるエラにイオニコフが笑いかけた。
…それくらいでいいなら、出来そうね。
「わかったわ、言い過ぎが禁物なのね」
「それだと、思ってはいる、ってことになってますよね」
「だってそれは仕方ないわよ。それが本心なんだもの。でも安心していいわ、エミーユ。私は貴方を可愛いとも天使だとも思っているけれど、同時にかっこいいとも思っているわ!」
「…なんだかフォローになっているんだかなっていないんだか、よくわからなくなってるね?」
「全然フォローになってないです、エラ先輩」
…あれ?何かダメだった?