第十六夜 ①ー7
☆
ザッザッ…!!
暗い森の中を突き進むエラから少し遅れてイオニコフが追い掛けた。彼女の姿が見えなくとも離れすぎていなければ魔力の気配を追える。そうして森の奥へ奥へと突き進んだ先で急に視界が開けた場所に出た。
「…!!」
開けた視界の先にエラの姿が見えて声を掛けた。驚き振り向いた彼女の姿を見てイオニコフは言葉を失った。
彼女の腕の中には魔物の子供。燃える鬣に服は焼け、皮膚も火傷のようになっている。爪で引っ掛かれた後だってある。
「…オーデルセン様…」
「突然駆け出していったから追いかけて来たんだけど…キミ、一体何をしているんだい?」
目の前で起こっていることを処理しきれなくてイオニコフはそんなことを尋ねた。そしてその直後、魔物がエラの腕に噛みついた。
ブシャ…!!!
声にならない悲鳴と同時に赤い鮮血が飛び出し溢れた。エラの腕が赤く染まる。ドクドクと血が溢れていく。
苦痛に歪んだエラの顔を見てイオニコフは彼女の名を叫び、怒りのまま魔物を魔法で殺そうとした。だが、それを止めたのは他でもないエラ本人だった。
何故止めるのか。そんな疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡った。
そんな動揺を隠せないイオニコフにエラは言った。魔物の怪我を治してやってくれと。
全く訳がわからなかった。冷静に考えればこの魔物が炎獅子の子供であることは知っていたしその習性も知っていたのだから火災の原因だと判っただろう。しかし、この時のイオニコフにその余裕はなく、ただただエラの希望を叶えてやることしか出来なかった。
彼女の希望通りに子供の怪我を魔法で治した。エラの怪我にもギーウィの背に乗ってリチア達のいる場所へ行くまでの間に治癒魔法を使ったが応急措置程度の事しか出来なかった。それが気掛かりのままエラはリチア達の前に降り立ち、子供を親のもとに返してやった。
純粋に良かったと思った。炎獅子は元々害のない魔族でこちらから仕掛けない限り襲ってくることはない。森を焼く炎だって元々は子供を外敵から守るための盾だ。だからキースに殺されることなく親のもとに子供を返せたことは嬉しいことだった。だが、その光景の横でエラがぐらりと倒れた。
「エラ…ッ!!!」
咄嗟に動いた体は倒れるエラの体を支える事が出来た。だが、彼女の体温は下がりつつあることに気がつく。
「エラ…!!!エラ…ッ!!しっかりするんだ!エラ!!!」
ぐったりとしたエラにどれだけ呼び掛けても反応がない。
…嫌だ。
…こんなのって、あってなるものか。
急いで腕の怪我を治癒魔法で治療する。だが既に流れてしまった血を補充する術がない。このままでは出血多量で死んでしまうかもしれない。
…死ぬ…?彼女が…?
不意に体の力が抜ける無気力感が体を駆け抜けた。目の前が真っ暗になる。自然と腕の中で力なく横たわる彼女の体を抱き締めていた。ぬくもりが、消えていく。
…この子は、なにもしていない。死ななければいけないほど何かした訳じゃない。
みんなは彼女を悪者にしようとするけど、彼女は反撃したことなんてない。魔物を助け、リチア達も無用な殺生をさせずに助けた。どちらも助けたのだ。自分がぼろぼろになったって構わずに。
…それなのに、何で…。
死にそうな様子でぐったりとしたエラの顔に視線を向けると出会ったあの日の慌てた彼女の顔がほんの一瞬だけ浮かんだ。途端、イオニコフの瞳から一筋の光る雫が流れた。
「イオ様」
不意に声を掛けられ振り向くとそこにはリチアとキースが立っていた。
「まだきっと間に合います。私の力なら助けられるかもしれません」
そう言うとリチアは両手をエラの体に向けてかざした。
聖女の治癒魔法。
…ああ、そうだ。まだきっと間に合う。聖女だっているんだ。
「キース、急いで先生達を呼んでくるんだ。ボクらに出来るのは止血と状態維持だけだ。病院に連れていかないといけない」
「はっ!!急いで呼んできます!」
キースはイオニコフにそう頼まれると走って広場の方に向かった。彼が戻ってくるまでの間、聖女の治癒魔法と英雄の治癒魔法、両方を使った治療が続けられた。
☆
教師に連れられて病院へ送られたエラを見届けながらキース達は残りの林間学校を通常通り過ごすことになった。ただ、リチア達がエラが命懸けで助けてくれたのだと説明したお陰で、エラが犯人だとする風潮は風のように消えた。それだけは彼女の為になったんじゃないかと思えた。