第十五夜 ②
声にならないエラを見つめる瞳は暖かなものだ。幾度となく画面を通して見てきた主人公の愛しい者に注がれる視線のそのもの。
いつの間にこんなにも好感度が貯まっていたんだろうか。そんなことを一瞬考えた。けれどもそんな思考は視界の端に映った本のタイトルによって掻き消された。リチアが読んでいた「灰かぶり」、それ以外にも竜人族と人間の恋物語や天使について、それに魔王を倒す勇者の物語と実に様々なラインナップ。これらはどれも原作では一切出てこなかった物語たち。この世界の人々によって作られた物語。
ふいに以前アイザックが言っていたことが頭を過った。
ー いくらここが乙女ゲームの世界でもあいつらだって生きてんだぜ。自分の感情があるってこった ー
…ああ…。ホントにそうね…。この世界は確かに時ノクの世界。だけど…みんな、それぞれの人生があってここで生きてるんだわ。
あのゲームの設定だけでは足りないくらいこの世界は広い。エラの出生についてもそうだ。エラ・エーデルワイスがこの世界の母親から生まれ落ちた命である証。ゲームの画面から見る世界じゃない。ここで、確かに生き抜いている生がたくさんあるということ。
…好感度がどう、何て言って…結局“ゲームの世界”と一歩引いて他人事のように見ていたのは私なんだわ。ちゃんと向き合ってこなかったのは私の方。みんな感情があるから私の味方になってくれた。協力してくれてる。…ようやくアイザックが言ってたことの意味がちゃんとわかった気がするわ…。
すとん、と何かが落ちて心が軽くなった気がした。
エラ・エーデルワイスその人はもういない。転生もので見かけるのは体の持ち主は一度死んだという設定だ。紗夜が転生した以上エラ・エーデルワイスもといエラリア・シンディエルクはそういった状態にあってもはやこの世界には存在しないのだろう。その代わりに秋葉紗夜が生きている。彼女の体を借りて生きている。だからこの世界の大地を踏みしめることが出来るのだ。
それならばせめてエラリアの分もエラ・エーデルワイスとして目一杯人生を謳歌すべきなんじゃないだろうか。好感度がどうとかシナリオがどうとか言う前にちゃんと自分の人生を生きるべきだ。もちろん、その為に回避しなければいけないイベントシナリオは存在している。
…そうよね。これは私が死なない為にじゃなく、幸せに生きる為よ。ゲームのシナリオを全部覆してそれで幸せに暮らすのよ!エラリアの分まで!
転生当初と似ているようで少し違う志し。心に決めたエラは徐にリチアの手を取って微笑み返した。
「ありがとうございます、リチア様。私は幸せ者ですね」
エラが笑みでそう返したのでリチアも嬉しそうに微笑み返す。
この世界がたとえゲームの世界であっても今目の前にいる彼等はゲームのキャラクターそのままではない。自分の考えを持つこの世界のれっきとした住人だ。そういう当たり前のことを忘れていたのかもしれない。
喉に詰まっていた何かが取れたように息がしやすくなる。エラはその場でゆっくりと深呼吸をした。元の世界でも嗅いだことのある古い書物特有の匂いが部屋中に立ち込めている。魔法の世界でもこういうところは元の世界と変わらないんだなと知った。それにリチアの側にいるとふわりと花の香りがする。可愛らしい彼女にはピッタリの香り。こんな些細なことにも気づく余裕が無かったんだなと改めて思う。
…おかしな話よね。ベッドに寝転がってゲームをしてたときはどんな匂いしてるのかとか手の感触はどんな感じなのかとか想像しては騒いでたのになぁ…。
全然そんな余裕がなかった。でも今はそれを思い出すくらいに心に余裕が出来たのは一重にアイザックのおかげだ。彼がいなければ今でも一人で怯えて暮らしてたことだろう。
…アイザックにはホントに感謝してもしきれないわね。
エラが男性陣の方に視線を向けたのでリチアが「向こうにいきましょうか」と声を掛ける。二人は男性陣の元に移動した。