第十三夜 ④
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食事を終えてエラはイオニコフの書斎と化した理事長室のソファーに腰掛けていた。イオニコフが食後のお茶を淹れてくれると言うのでお言葉に甘えてさせてもらったのだ。
書斎の机と部屋の扉を挟んでソファーとローテーブルが配置されており、ローテーブルを挟んで向かい合うように並べられたふたつのソファーにそれぞれが座っている。
エラはふかふかのソファーに寛ぎながら先ほど味わったイオニコフの手料理を思い出す。
料理は実に美味だった。まるで三ツ星レストランなどのシェフとしてもやっていけそうなレベルだった。
…まさかこんな絶品手料理が食べられるなんて…。
「そんなに美味しかったかい?」
満足気な顔をしていたのか、不意に話し掛けられてエラはビクッとする。彼の顔を見ると嬉しそうに微笑んでいた。
「え、ええ…。本当に美味しかったですわ。イオ様は本当に料理がお得意なんですね。私、あんなに美味しい料理を初めて食べましたわ」
「ふふ…それは良かったよ。キミが満足してくれたなら嬉しいな」
のほほんとした穏やかな時間が流れる。そんな時間に流されそうになった時は、ふと思い出したことがあった。
「あの!お聞きしたいことがあるのですけど」
「ん?なんだい?」
「えっと…、変なことを聞きますけど、その…イオ様、アイザックに何か言いました?」
エラの口から飛び出した男の名にイオニコフはピクッと反応する。口につけていたティーカップを持つ手が揺れた。
「…どうしてだい?」
エラもイオニコフの反応が良くないことは瞬時に理解したが、これだけは確認しておきたかった。
意を決して訊ねる。
「えっと、アイザックが知ってたんです…。その、私が………イオ様とエミーユにその…軽く…額や頬に口づけされたこと、彼知ってたんですの。おかしいでしょう?彼はあの場にいなかったはずなのに…。それに…私が眠っている間、イオ様やエミーユが一番心配してくださったって…必死に名前を呼んでくださっていたって…」
頬を赤く染める。自分でもおかしいと思う質問に顔が熱くなってきたのだ。イオニコフを直視出来ずに目を反らす。
そんな彼女を眺めていたイオニコフは恥ずかしそうにしているのが愛しくて思わず口元が緩む。
「…キミは、ボクがそんなことペラペラ話す奴だと思っているのかい?」
つい、意地悪をして反応を見たくなった。
「へ!?い、いえ!!そんなんじゃないですわ!!ただ、じゃあどうやって知ったのかって…不思議に思うじゃないですか!?」
慌てたようなエラの反応が可愛く見える。
「ふふ…。相変わらずキミは可愛い反応をしてくれるね。…そうだな…ボクやエミーユが話したことではないことは確かだよ。それに…確かにキミが目覚めなくて心配したのは事実だけど名前を連呼したりはしてないよ」
「…へ?そ、そうなんですか…」
…なんだ…アイザックが誇張しただけか…。そっか…。……なんだか意識してたのがバカみたいだわ…。
自分でも驚いくらいその様を期待していたらしい。否定されて少なからずショックを受けた。声が小さくなって視線も下を向く。
必死になってくれたわけじゃない。その事がエラの顔に影を落とした。だが、
「……名前を連呼したりはしてないけど…目覚めないキミの頭を撫でたりはしたよ。キミの手を握ったりもしたかなぁ」
と、イオニコフが付け加えた。
それもなんだか爽やかで意地悪そうな笑顔で。
その表情を見てからかわれていることに気が付いた。
「イオ様!!からかわないでくださいな!!」
「あっははは…!!ごめんごめん…!キミの反応が可愛いからつい、ね。でも嘘じゃないさ。眠るキミはまるで眠り姫のようだったからね。口づけで目覚めるかとも思ったんだけど…それは寝込みを襲うみたいだから止めておいたよ」
「い、イオ様!!悪ふざけはやめてくださいな!」
顔を真っ赤に染めて怒るエラが可愛くてイオニコフはぱちんと指を鳴らす。するとエラの体がフワッと浮いてイオニコフの膝の上に座るように落ちる。まるで座ったままお姫様抱っこされているかのような体勢になったエラはプチパニックを起こしていた。