第十三夜 ③
「はい?何でしょう?」
「あ…いや、やっぱいいや。何でもない」
首を横に振ったイオニコフを怪訝そうな目でエラは見た。
それから暫くイオニコフが黙り込んでしまい、エラは内心少し慌てた。
…あ、あれ?私何か間違えた?嘘でしょ?さっきまでいい感じだったじゃない!
エラは何とかしようと勢い余って口を滑らした。
「い、イオニコフ様の婚約者様はきっと幸せですわね!」
その言葉にイオニコフの手が止まる。
「…どうしてそう思うんだい?」
完全には振り向かずに肩越しにそう聞き返した。イオニコフに聞き返されたエラは口が滑っただけだとも言えず何とか誤魔化そうとする。
「へ?、あ、いや、その…だってほら、料理を奥さんに任せて自分じゃ出来ない人より出来るひとの方が魅力的ですもの。それに一緒に作れたら楽しいじゃないですか!そ、そういうの出来る関係って素敵だなぁって…」
しどろもどろになって最後の方が小声になる。自分でも何を言っているのかわからない。それにイオニコフが黙ったままだ。恐る恐る彼の方を見ると少しだけ寂しそうに見える笑みを浮かべていた。思わずエラは息を飲んだ。
「あの…イオニコフ様?」
再びエラが声を掛けるとイオニコフはゆっくりと口を開く。
「…キミはそう思ってくれるんだね。それは純粋に嬉しいよ。けど…今は二人きりだよ?…名前。キミには…名前で呼んでほしいな。出来れば、呼び捨てがいいんだけど」
エラはきょとんとした。急に黙ったと思ったら…。
…そんなこと考えてたの?呼び捨てって…いやいや…無理でしょ!そんなことしたら虐めッ子達からどんな目に合わされるか!
「えっと、それはちょっと…」
エラが返事を濁すとイオニコフはショックを受けた顔になる。その顔を見てエラは慌ててフォローを入れる。
「あ、いや、嫌だって言うわけじゃないんですのよ!?ただ…ほら、私は灰かぶりですし、釣り合わないかなーっと…」
「キミは…またそれかい?…うーん。じゃあ、呼び捨てにしてもいいようになればいいんだね?」
イオニコフがそう提案する。エラは首を傾げながら頷いた。
「え?ええ、まぁ…そうですわね…?」
「うん。わかった。でもエラ?やっぱり二人きりの時は今まで通り愛称で呼んでよ。ね?」
少しだけ頬を染めて笑みを浮かべてそうお願いしてくるイオニコフにエラの心臓はどきっと脈を打った。そんな風にお願いされたら断れない。つくづく、彼に弱くなってきたなと思うエラ。
「わ、わかりましたわ。い、イオ様…」
「うん。ありがとう、エラ」
再びご機嫌に戻ったイオニコフは鼻歌を歌いながら仕上げを始めた。その後ろ姿にエラはホッとしつつ、未だドキドキする胸を押さえていた。