第十二夜 ③
彼が出ていってエラはしばらく考え込んだ。
アイザックが言うにはエラの中の魔女は聖女の力によって消滅した。しかしまだ最終イベントは残っている。これのことをアイザックは「皆で考える」と言っていた。それはつまり、イオニコフ達は敵にはなっていないということか。魔女だったことはもうはっきりバレてしまっているのに…。誰も学園に報告していないのだろうか…。
コンコン、と部屋の扉をノックする音が聞こえてエラはハッとした。イオニコフが来たのだろうか。彼との最後の記憶は冷たく突き放す言葉を浴びせられたあの瞬間だ。正直言ってこの二日間の印象が強い。また冷たい態度を取られるんじゃないかと不安でたまらない。
「ど、どうぞ…」
エラは胸を抑えるように胸元の服を握る。不安げな表情でゆっくりと開く扉を見つめた。扉の向こうから覗いた彼の顔を見つめる。部屋に入ってきたイオニコフとエラの視線が絡み合った時、エラの考えた表情と違う表情のイオニコフがそこに立っていた。
「エラ…!!本当に目が覚めていたんだね!良かった…!!」
嬉しそうに頬を桜色に染めた笑顔のイオニコフがベッドで上半身を起こして座っているエラの側に駆け寄った。隣までやって来るとすぐさまエラの手を握る。
「本当に良かった…。このまま目が覚めなかったらって…すごく不安だったんだ」
ベッドの横に置いてあったイスに座り彼はエラの頬を少し撫でた。
本当に心配していたんだろう。心底安心した、安堵したといった顔でエラを見つめる。
この彼の様子に戸惑ったのはエラだった。あまりにも最後の記憶にいる彼と態度が違いすぎる。けれど、このイオニコフは彼女が望んだ姿でもある。熱中症で寝込んでいた時、側に来てくれないことを切なく思った。悲しかった。でも今はその彼が側にいる。
「…ごめん。…戸惑うよね…わかるよ。本当にごめん」
イオニコフはエラが戸惑っているのを見て申し訳ないと謝った。
エラは更に混乱する。
「…キミに冷たい態度を取って不安な思いをさせた。ボクはキミが魔女かもしれない、絶望させてはいけないって知っていた。それなのにボクのつまらない嫉妬でキミを傷付けた。…知っていたのに何もしなかった…ううん。違うね。知っていたのにキミを傷付けた。ボクが愚か者だった」
長いまつげが彼の瞳を隠す。エラの手を握ったままイオニコフは申し訳ないと口にした。
「キミを危険にさらした。…キミを失いそうになって初めて自分の愚かさに気がついたんだ。…百年も前に生きてたくせに何やってんだって話だよね。本当にごめん。謝って済む話じゃないんだ。そんなのは判ってる。だからどうかボクにもう一度チャンスをくれないかい?今度は間違えないって約束する…」
俯いていた顔を上げエラの瞳を見ようとした時、彼の瞳に映ったのは聖母様のような穏やかで優しい笑顔だった。その瞬間、イオニコフの心臓はとくんと脈を打ち、そこからじんわり広がる甘い感覚と泣きたくなるような複雑な感情が全身に広がった。
思わず言葉を失ったイオニコフの代わりにエラが口を開いた。
「…そんなにご自身を責めないでくださいな。…アイザックから聞きました。私を助けるために尽力して下さったと。私がここに居られるのは貴方のお陰ですもの。感謝こそすれ、責めたりなどはしません」
エラは握られた手を握り返す。その行為にイオニコフの心臓は更に跳ねた。指先から熱くなる。それは手放したくない甘い感覚。
「…怒ってないのかい?ボクはキミを傷付けた。…取り返しがつかないことをしたんだ」
「でも、私はこうしてここに生きてますし。そんな過去を遡ってもしもなんて考えても仕方ありません」
エラはふっ、と笑顔を見せた。
「それよりもこうしてイオ様がお話ししてくださる方が嬉しいですわ」
二日間、たった二日間だけれど地面が崩れるようなそんな感覚を味わった。リチアの隣にいる彼を見て目の前が暗くなる感覚に襲われた。あんな思いをもうしたくない。足掻いても無駄なんだと突き付けられるのは恐怖でしかない。
私は死にたくない。
「だから、イオ様、お願いです。またお話してくださいませんか?」
急に涙が溢れそうになって必死に堪えて笑って見せる。声は震えていた。そんな彼女を見たイオニコフは目を見開いてすぐさまにエラを抱き締めた。
「大丈夫だよ。もうあんな態度を取ったりしない。ごめん。ごめんね」
自分で思う以上に彼女を傷付けた。不安にさせた。イオニコフは後悔してもしきれない感情が渦巻いてただエラを抱き締めることしか出来なかった。
「たくさん話そう。また何処かに出掛けよう。ね」
ぎゅうっと彼女を抱き締める腕に力が入る。魔女だなんだと言われても目の前にいるのは泣き出しそうな女の子だ。