第十二夜 ①
ー…い…。
ー…さい…。
誰かが呼んでる。
ー…なさい…!
なさい?何を?
ー…きなさい…!!
「起きなさい!!!遅刻するわよ!!!」
ハッしてパチッと目をあけて跳ね上がるように飛び起きた。
「ったく!大学生にもなって…情けないったらないわよ…。早く用意しなさいよ」
そう言って部屋を出ていく女性の後ろ姿を見送った。
あれは母だ。
徐にベッドを抜けて部屋を見渡す。姿見で自分の容姿を確認した。
「私ってこんな顔してたっけ?」
思わず口からついて出たが自分でも首を傾げた。何を言っているのだろう。こんなも何ももともとこんな顔だったじゃないか。癖毛でぼわっと膨らんだセミロングの茶髪。寝癖もハネも酷いからいつも後ろでひとつ括り。肌は健康的な少し焼けた色で服のセンスはまぁ大学デビューってほどではない無難なレベル。
これが私だ。平凡な顔立ちの秋葉紗夜。大学四年生。
一階から再び母の声が聞こえた。時計を確認すると時刻は遅刻ギリギリを指している。
「ちょっ!!!!たんまたんま!!!!まじで遅刻するじゃん!!!」
紗夜は大慌てで準備をして家を飛び出した。
「お母さん!!行ってきます!!!」
☆
「あんた、ほんと飽きないよねぇ」
同じ一限目の講義を取っていた友人にそう声を掛けられた。高校時代からの友達でふーちゃんと呼んでいる女の子だ。
彼女はいつも始業前に着席している優秀な子。そして乙女ゲーム仲間でもある。
「いやぁ…つい、ね」
「つい、ってあんた、また夜更かししてたの?どこまでいったの?」
「ふっふー!イオニコフルート、完全コンプ!全編クリア!スチルもゲットしました!!」
紗夜はどや顔でブイサインをする。ふーちゃんはそれを見て吹き出した。
二限も終わり昼休み、二人はいつものように食堂で昼食を取っていた。
「あ、そうだ。ねぇ、知ってる?時ノクって今度ファンディスクが出るんだって!」
「え!?そうなの!?」
紗夜は身を乗り出してその話題に食い付いた。
「ファンディスクかぁ…。内容についての情報は?なんかあるの?」
「そーだね…あ、最後までやったならわかると思うけど、真・エンド見たでしょ?あれネットでも炎上しててさ、それで追加エピソードを作ったらしいのよ」
「あー…あれね。急展開過ぎたよね。だってエラが魔女だなんて話全然出てこなかったのに真・エンドになった途端に魔女でしたーなんてさ。シナリオライター出てこいや!!!て感じだよね!それにイオ様もイオ様だよ!リチアちゃんにはあんなに優しかったのにさー!」
「そうそう!そうなんだよ!でさ、こないだの乙女ゲームアワードで追加エピソード出してほしい部門で二位になってたの!エラがよ!それに、時ノクの人気投票じゃエラが一位!!」
「えー!?そうだったの?あーでもそうだよねー。真・エンドまでは正直存在薄いけどさ、あのエンド見たら印象変わるよね。あんまりにもエラが可哀想だもん。あのエンドホントに必要だった??って感じ」
「だよねー。まぁ、だからさ、ファンディスクの追加エピソードってのはきっとエラが幸せになれる話くらい入ってそうだよね!なんたってファンディスク!!」
ふーちゃんが嬉しそうに言った。それは私も同じだ。
ゲームのエラは本当に不遇だった。真・END以外の彼女はいじめから助けてくれたリチアを慕っていて、リチアが幸せになれるように舞台を整えていただけ。それでも攻略対象からは塩対応しか受けていなかった。けれどエラは彼らに対しても真摯に対応していた。そんな子が真・ENDでは魔女として覚醒し、最後にはイオニコフとリチアの手によって殺されて終わる。あんまりだ。
私もふーちゃんもきっと他のファン達もそんなエラを見て幸せなエピソードがあってもいいはずだと憤慨していたものだ。
近頃は大学に来て授業以外の時間はふーちゃんとゲームの話をしている。平凡だけどいつも通りで楽しい時間だ。
寝坊して遅刻するギリギリで登校して、ふーちゃんとひとしきり喋って帰る。そんな毎日の繰り返し。
放課後に買い物をするのだっていつも通り。某アニメショップに行った時、時ノクのグッズコーナー前に大学生の男の子が立っていた。
男の子が乙女ゲームのグッズコーナーにいるなんて珍しい。興味本意で話し掛けた。
ぶっきらぼうだけど彼は色々話してくれて、真・ENDのことを「胸糞悪いEND」と称していた。
それが印象に残っている。
それと、その大学生と店を出た時、私は茜に染まる空を見た。
ガシャンと自転車の倒れる音と周りの人の悲鳴が響く。
ー 白い雲と青い空のコントラストと緑の草木。絶妙なバランスで描かれた絵画のような景色。人は田舎と呼ぶそこは大自然に恵まれた素敵な場所 ー
それは朝、家を飛び出した時見た景色。
ー 畦道に自転車を止めてそんな晴れ晴れとした空を見上げた ー
それはいつもの振り返る風景。
この時に見た空は茜雲とブルーモーメントが広がる絶妙な夕暮れの色。
それが、最後に見た空だった。