もしも、100点満点しか取れない魔法をかけられたら
ガシガシと鉛筆が紙に擦れる音が、教室中に響いていた。40人近くいる生徒たちが、一斉に紙に書き込む姿は美しい。
教卓の上から、先生が満足げにその光景を見ていた。自分の授業内容に、必死にしがみついてくる彼らの姿を見て、高揚感を覚えない教師はいない。
だが、このクラスには、すこし、おかしな生徒がいた。
「ちっ……勝頼……。今日も試験中に寝てんのか……」
そう、皆の一進一退がかかったこの試験で、悠々と寝ていたのが勝頼だった。窓側の一番後ろの席で、日光の恩恵を浴びて、心地好さそうに寝ている。先生は、彼を見てすこぶる不愉快になった。
「あいつ……。今日こそは起こさねえとな」と、先生は低い声でつぶやき、ツカツカと革靴を鳴らして、後ろの席に近づいた。先生は、彼の肩を容赦なく叩く。
「おい、今は試験中だぞ。起きろ」
「ん? ふぁぁ〜あ。って、まだ後10分もあるじゃないか」と、勝頼と呼ばれた少年は、目をこすりながら言った。「もう少し寝かせてくれても良かったのに」
「もう少し真面目に解け! ったく、なめやがって……」
はぁ、と、勝頼はため息をついた。まったく、何分から始めても点数は同じだっつーの。ま、でも、今更もう一回寝るのもだるいし、始めますか。
勝頼は、そう独り言をつぶやき、鉛筆を取った。彼は、その手を祈るように上に掲げた後、紙に、鉛筆を振り下ろした。
一週間後。素朴なチャイムが学校中に響き渡り、生徒たちはあくびをしながら各々の机に座り始めた。勝頼は、頬杖をついて、窓の外を眺めていた。
「さ、今日はテストを返すぞー。全教科だ。さ、名前を呼ぶから、取りに来てくれ。相川――」
相川と呼ばれた女の子が、はーいと元気よく返事をして、先生の元へ紙の束を受け取った。彼女は小さくガッツポーズをして、席に戻ると、次の生徒は、呼ばれる前に席を立った。彼は胸のあたりをギュッと掴んで、落ち込んでいる。
そうして自然と先生の前に列ができ、教卓の横には、点数比べをする子たちで集まりができていた。彼らは、お互いを「すごい!」と言ったり、「負けた……」と言ったりして、とても楽しんでいた。
そして、最後に勝頼が呼ばれる番だった。彼は、その前の子が呼ばれてもまだ席に座っていた。
「渡邊―。おい、渡邊。……勝頼!」と、先生は怒鳴った。勝頼は、ビクッと体を震わせ、先生の方に向き直った。
「なんすか、先生。急に大声を出さないでよ」
「呼ばれたら返事くらいしろ! ほら、答案だ。……ちっ」
と、先生は、本来あるまじき舌打ちを、小さくした。しかし、この教室で、先生の舌打ちを咎める人間はいなかった。なぜなら、それは……。
「今回も全て100点だ。はっ。こんなテストじゃ満足できんか?」
「はぁ……」
「舐め腐りやがって。最後の10分で十分だってわけか。はっ」と、先生が毒づく。勝頼は、いや別にとだけ言って、無関心そうに席に戻る。そんな応酬を見て、周りの生徒がひそひそと、噂した。
「勝頼くん、また寝てて満点とったの?」
「カンニングか?」
「いやでも、それでも無理だろ……。どうなってんだよまじで」
「まじでうぜーな」
勝頼は、ほとんど隠す気の無いひそひそ話を聞かないフリして、また窓の外を眺め始めた。彼は、周りが褒めそやすのを気にしていなかったのか。いや、無論気にしていた。むしろ、気にしすぎていた。彼の頭は、愉快でたまらないと考えていた。踊りだしたくなるのを、必死に止めるのが精一杯だった。
いやっほう! しゃあ! 今回も100点かよ!マジやべえ、俺神! 神すぎて、テスト雑魚すぎ(笑) クソウケる。周りの奴の吠え面が心地いいぜ!
はぁ、それもこれも、あの魔法にかかったからだわ。ほんと感謝。あの、100点しか取れなくなった魔法に。
勝頼は、二年前に、街を歩いていたら、通りかかった魔女――としか呼べないような、黒いマントを被った女性だった――に、魔法をかけられたのだった。その魔法はなんでも、試験という試験の全てを、満点しか取れなくなる魔法である。
無論、昔からバカだった勝頼は、その魔法の意味をすぐに飲み込めなかったが、中学校一年の最初の定期テストで、それを実感することとなった。赤点必至だった彼は、全ての教科で100点をとったのだった。
「マジ、あの日から、俺は学校一の秀才として君臨できたんだよな。やべえわ。俺、ホントつき過ぎ。うける」と、勝頼はボソッと呟いた。
しかし、彼の周りに人はいなかったために、その言葉を聞いた人は誰もいなかった。
しかし、悲劇はすぐに起こった。三年の学期末テストである。勝頼は、数学の試験が始まると、またすぐに寝ようとした。しかし、後ろに控えていた先生が、彼の肩をまた叩いた。
「勝頼……。今回は寝ない方がいいぞ……?」
「あ?」
勝頼は不審に思った。今まで先生は、こうやって挑発的なことを言ってきたことがなかったからだ。
彼は不審に思って答案を眺め見た。今回だって全部の問題が簡単にわかるはずだ。先生は虚勢を張っているだけだ。……だが、少し、様子が違った。
一問だけ、分からない。
「なんだこれは……」と、勝頼は、手を震わせていた。
「お前のために用意した、スペシャルだ。簡単に100点が取れると思うなよ」
その問題はこう書かれていた。
“基盤目状に書かれた面積8×8の正方形の、一番左下の点Aと右上の点Bを、同じ線を通らずに繋ぐ方法は何通りあるか。ただし、遠回りも含める”
これ……軽く見積もっても一兆は超えるぞ……。なんだこれ、なんて無茶問題を出すんだ。“遠回りも含める”……だと?
先生は、ニヤリと笑った。お前にこれは絶対に正解することはできない。もちろん、解き方は小学生でも分かる。だが、お前が人間である限り、お前に正解を出すのは不可能なんだよ!
しかし、勝頼は諦めなかった。彼は、鉛筆を握りしめ、格子状の正方形を紙の裏に書きなぐった。彼は、正攻法で責めた。一つ一つ、線をなぞった。上から、正確に。彼の手首は次第に最適化し、早くなっていった。
ガリガリ、ガリガリと音が響いた。周囲の生徒は察していた。勝頼はあの不可能な問題に挑戦しているのだと。勝頼は書いた。書いた。書いた。そして、数え上げた。
脳内はすでにヒートアップしていた。ニューロンの電気信号は、火花が散る勢いだった。ドーパミンが滝のように溢れる。彼は、書いていた。いつの間にか、紙は焼き切れ、黒鉛は机に達した。勝頼の腕は、空を切っていた。
数十分が経過した。試験時間は残りわずかである。勝頼は更にスピードをあげた。腕の繊維がぶちぶちと音を立てた。しかし、彼に、痛覚はなくなっていた。時間感覚も消えた。彼は、とうに鉛筆は擦り切れて無くなっていた。
一人の生徒が、手を挙げた。「先生、勝頼君がいません」と。しかし、勝頼は教室に出たはずがなかった。なぜなら、鉛筆の音はいまだに聞こえていたからである。ガリガリ、ガリガリ。彼は、既に、空間と一体化していた。彼の粒子を捕らえることができるものは、もうとうにいない。
試験終了のチャイムが鳴った。その時、宇宙から、勝頼の声がこだました。彼は、解けたのである。問題が。そして、彼は、素早くその言葉をテレパスした。
“3266598486981642”
先生は、その問題の答えを知らなかった。
好評であれば、シリーズ化するかもしれません。
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