遺伝子の刃
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一遍。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふうむ、やはりこれも日本と西洋の映画の違いなんだろうか。
いやね、和洋問わず怪物が出てくるタイプのホラー映画を見てきたんだけどね、その在り方の差を実感していたんだ。
特に僕が気になっていたのは、一矢報いる姿勢、かな。
西洋だと、怪物側は攻撃をまともに食らって、血とかが飛んだりするケースがあるけど、その実、ぴんぴんしている。
こう「超人」チックな描写が印象的なんだよなあ。
それに対して和風だと、攻撃を仕掛けたとしても、受け止められることなく、すり抜けてしまう描写を見たことがあるんじゃなかろうか? それでいて、幽霊側はこちらへ好き放題に攻撃ができる。
「摂理を超えた何か」に変わる。そんな印象を受けるのさ。
この描写の違い。僕は埋葬の違いにあると思っているんだ。
西洋では土葬。遺体が生前の姿を留めたまま、土の中へと閉じ込められる。
だから物理的干渉も、こたえるかどうかは別にして、肉体が受け止めるんだ。
和風では火葬。荼毘にふされることで、肉体は焼失。骨しか残らない。
そうして出てくるとしたら、物理的な法則によらない霊魂。よって殴りや武器を、受け止められる世界にいないものになるというわけだ。
日本のお化けに、足がない絵が残るのもこの影響かもしれないね。
じゃあ、どうして日本では火葬が主流になったのか? それに関する噂話を仕入れたんだけど、聞いてみないかい?
一説によると、火葬の文化は仏教と共に広まっていったとされている。お釈迦様が火葬されたことにちなんでいるのだとか。
しかし日本にも、土着の宗教と言うべき位置に、「神道」があった。
コミュニティの保護に重点を置くこの宗教において、縁故関係は大事な要素。肉体の損壊は、血や肉体を通したつながりを乱し得る恐れをはらんでいる。そのため、身体を焼く火葬に対して、あまり良い顔をせず、土葬こそを主流の埋葬方法に選んでいったとか。
コミュニティは、単独で存在していくことができれば素晴らしいが、あいにく他者と関係しなくてはいけない。特に戦の気配が漂い出すと、厳しい「競争」の顔が表に出てくることになる。
競争に勝つためには、精鋭が必要。その彼らの力を十全に発揮できる、お膳立ても必要。
初めのうちは全員が協力してそれに取り組んでいったらしいのだけど、時間と共に競う水準が高くなってくると、上位と下位ではいかんともしがたい差が生じてしまう。
下位の者に足を引っ張られ、上位の者がそれをかばって腕を振るえなくなる。それがコミュニティの弱化に繋がってしまえば、他者に飲み込まれる可能性が増し、すべてが水泡と帰す。
そうなるくらいならば――。
とあるクニの首領は、勢力を伸ばす過程で何人もの妻を迎え、また彼女らの間に幾人もの子供をもうけていた。
血縁を侵略する、というのは古来より支配者の証のひとつとされた。
これより延々と続く子孫の血筋の中に、自分の血を入れ込む。それは一族が途絶えない限り、決して抜けない大きなくさびとなる。
だが、何人も子供を作るうち、首領本人にも子供たちの出来、不出来が見えてきた。
自分の後を継ぎ、更に勢力を盛り立てることを望める力を持つ子もいれば、箸にも棒にもかからない容姿、力量しか持たない者もいる。
首領は優る力を持つ子たちを選りすぐると共に、クニ中からも実力を持つ者ならば、どんどん召し抱えた。反対に、劣る者たちは、たとえ我が子であったとしても、躊躇なく奴婢の身分へと落としたらしいんだ。
首領の当初の考えでは、劣る者を自分のそばに置いておきたくないという嫌悪感に過ぎないもの。
だけど首領が当時としては驚異的ともいえる、100歳近くまで生き長らえ、自分の玄孫にあたる者たちの成長を見届けるにあたり、考えを改めるに至ったとか。
優れたる者たちのみで構成された、自分の側近たち。その男と女のつがいも計画的に仕組んだものだが、その子たちに関しても、必ず優れた者が生まれるとは限らない。
対して、低い身分に落とした我が子らも、相応の身分同士で血を結んだところ、何人かの子供は、驚くほど高い能力を持って生まれる場合があったんだ。
更に、自分の子と玄孫を比べると、顔かたちや仕草にいたるまで、一瞬、見まごうような姿に育つことも悟る。
――子の能力は血と共に、天の配剤にもよるもの。しかもそれは、下賤の者の中にも眠っている可能性もある。
真に精鋭を成すためには、それこそ数えきれない組み合わせを試す必要がある。
そう感じた首領は、今でいうところの「遺伝子」の存在に、うすうす気づいていたのかもしれない。
首領は、これまであげてきた実績により、民たちの羨望と憧れの的になっていることを自覚している。
――優れたる者、あふれる世界のために。
そう考える首領は、ある遺言を皆に託すことにした。
やがて首領が世を去ったものの、その葬儀に関しては実に質素なものに終わった。
他の者と同じ墓地に葬られ、盛られた土に墓石をうずめられた首領だけど、この石には細工がしてある。
盛り土の中の見えない部分には、細く、鋭くなった石の先端が、首領の頭蓋をうがっているんだ。身体の損壊を極力避けようとする、この時期のむきからは考えられ難いことだったが、それをやるよう指示したんだ。
そして、これより子を作る者たちは、墓石を引き抜き、その先端を自らの身に擦り付けろと。さすれば、我の加護が必ずや宿るであろうことを、伝え遺したらしい。
首領の遺言は、熱狂的な支持を持って受け入れられた。
安産を祈願する未来の母親たちを始め、多くの者がこぞって墓石の先端に、その身をゆだねたという。
墓石は朝と晩の二回と決められていた。生前の首領曰く、「自分の力が沁みぬうちに扱っても、凡百の加護しか与え得ぬだろう」とのこと。力を沁み込ませる時間をもうけたんだ。
そうして生まれた子供たちにも優れた者と、劣った者とに分かれたが、さほど問題視されなかった。
優れたる者は加護を受けられ、劣りたる者は加護を受け取られなかったとして、説明がつく。人々はありがたい時の感謝にも、上手くいかないことへの言い訳にも、首領を体のいいダシとして使ったんだ。
更にクニの拡大に伴い、人口が増えるのを見越して、件の串刺しの墓石に関しても、数を増やすことが提案された。
長寿や文武に著しく秀でた功績を残した者は、土葬の後に、遺体を石で貫かれて、後の子たちの力となっていく。そしてこれらの埋葬に続かんと、生きている者は親子を問わず、自分を磨くことに時間と力を割いたとか。
しかし、長い時間を経ていくうちに、やがてクニは、国の中の一地方でしかなくなっていく。賊や悪党がはびこるようになり、かつて首領に導かれた者の子孫たちも、度重なる略奪に辟易していたらしい。
どうにか防壁を、と考えて、木の柵なども設けていたが、ついにそれも間に合わないような事態に陥ってしまったとか。
対処に苦慮する者たちの一部は、石垣づくりを提案した。
それもただの石ではない。墓石に使っている大量の石を、垣根とする考えだったんだ。
当時、すでに神にもなぞらえられる者たちが、多く墓場に眠っていたものの、いつからか墓石をこすりつける風習に関しては、すっかり廃れてしまっていたらしい。
実利か、伝統か。
互いに一晩をかけて話された結果、賊たちから受ける被害を引き合いに出されたのが決め手となり、墓石たちは掘り返されて野面積みされ、急場しのぎの壁として扱われたんだ。
その効果については、賊側の視点から語った方がいいだろう。
ある夜。件の村へ近づいた十数名の賊は、村の手前に、胸ほどの高さまで、石が積まれて壁となっているのを確認した。
奥の村ではこうこうと明かりを焚いていたが、自分たちの接近にまだ気づいていないのか、石の向こう側で防戦しようと、張っている影は見えない。
「ちょろいもんだ」と先頭を切る三名が石に上ったところ、全員が「あっ」と短く悲鳴をあげ、二名が手前に転がり落ち、一名は石を上って向こう側へと姿を消した。
手前に転がった二名に関しては、石に触れた部分の手足が青紫色に腫れあがっていた。それどころか、皮膚の内側からミシミシと音がすると共に、目に見えるほどの早さで手足が肥大をし続けていたらしい。
苦悶の表情とうめきを残し、変化していく自分の姿を見下ろして、二人はほぼ同時に息を引き取ってしまう。石垣の向こうに消えた者に関しては反応がなく、更に村からはにわかにあわただしい物音が聞こえ出す。
ここは退くべき、と察した賊たちは犠牲者を放り出し、夜陰に紛れて去っていったとのことだ。
村側の視点に戻ろう。
彼らが壁を乗り越えてきた賊と対面した時、「うっ」と息を呑んだという。
表情こそ苦しげだが、その顔立ち、その体つき……いずれをとっても、村に話が残る、伝説の首領の姿絵と、瓜二つの容姿であったのだから。
墓石の祟りだと村人たちは噂し、それを耳にして面白半分に試そうとするものに、即席の石垣はすぐさま、「ご加護」を与えたという。
不気味がって賊の類は近寄らなくなったものの、やがて訪れた別の領内からの軍の攻撃に、この石壁はさほど意味をなさなかったらしい。
最初こそ、触れた馬や兵に変死をもたらしたものの、軍が火矢を射かける方針に攻め手を変えた時、石の壁もまた存分に焦がされたそうなんだ。その後、おそるおそる馬や兵が降れようとも、先までの豹変は起こらず、村は攻め落とされてしまったという。
敵対するもの、面妖なるものは、焼いて対処する。それ以降、城攻めなど重要な拠点を攻める際に、火で攻めるのは、いっそう有効な手段であり続けた。
遺伝子による攻撃。これに対し、火を用いるというのは、実は理にかなっている。
遺伝子というのは千数百度の高熱を浴びると、骨の中にあるものでさえも消失し、残らない。よって入念に火葬されて骨になることで、己が遺伝子の悪用や悪影響を防ぐのにつながるのだとか。




