第7章
ローラとトミーの結婚式の準備は急ピッチで進められ、ローラ自身もトミーも、来月に控えた結婚式当日――六月一日――まで、慌ただしい日々を過ごした。ふたりの意向としては、小ぢんまりと身内だけでひっそり済ませたいと思っていたのであったが、エリザベス伯母やトミーの母に相談したところ、招待客はどう抑えに抑えても、五十名は越すだろうということになった。
「だってあんた、考えてもごらんなさいよ」と、この時ばかりはエリザベスもジョスリンも、口裏を合わせたかのようにまったく同じことを言った。「とりあえず出席するしないに関わらず、村中の主な人たちや親戚の全員に招待状を送らなくてはなりませんからね――招待状の数はまず、八十名は越えるでしょうよ――さらにそこから遠隔地に住む親戚の欠席を差し引いたとしても、軽く五十名は越すでしょう。第一フラナガン家には親戚縁者がごまんといるのですからね、結局なんだかんだ言って七十名くらいの人間がローズ屋敷へと詰めかけることになるでしょうよ」
ところがさらに、である。ローズ屋敷のローラ・リーと松林荘のトミー・フラナガンが結婚する日時を報せた小さな記事がロカルノン・ジャーナルの社交欄に載るやいなや――ローズ家の遠戚にあたるミネルヴァ伯爵夫人が是非結婚式へ足を運びたいと申しでてきたのである!
ミネルヴァ伯爵夫人の夫、フランシス・ミネルヴァは陸軍大臣であり、政財界にも辣腕家としてその名を轟かせていたが、地方の農民にしてみれば彼は時折新聞に写真の載っている、髭を生やしたなかなかの男前くらいの感覚しかありはしなかった。もっとも、ケネスのように政治の動きに常に目を光らせているように者にとっては――彼は現保守党政権の屋台骨をなす重要な人物のひとり、と理解することができただろう。
ノースランド州ロチェスター村、エリザベス・ローズ様宛にきたタリスの首都、タイターニアが消印のその一通の封書は、小さな北方地方の田舎町、ロチェスターに大きなセンセーションを巻き起こした。当然といえば当然のことながら、ロカルノン紙は六月一日に行われるローズ家とフラナガン家の婚礼にミネルヴァ伯爵夫人が出席することを大々的に伝えたし、村中の人間が伯爵夫人が訪れるというので、ちょっとした熱病に見舞われたかのようになった。
「昔からローズ家の者は、侯爵家だか伯爵家だかに遠い親戚がいるといって自慢してたけど――まさか本当だったとはねえ」
村一番のやかまし屋、サイレス・チェスター夫人はスミス雑貨店のカウンターでそう言いながら鼻を鳴らした。
「なんでも、母方のローズマリー家のまたまた従姉妹のひとりが、ミネルヴァ家の者に見初められて結婚したのだとかね」
スミス夫人は折合いの悪いフラナガン家からもらった嫁、シンシアがここのところ得意そうな顔をしているのがどうにも気に入らなかった。それでシンシアが姉のジェシカの店に、水色の高価な絹のドレスを頼んだのに対しても――「べつにあんたが結婚するわけじゃあるまいし」と毎日のように皮肉を言っていたのだった。
実際のところ、ミネルヴァ伯爵夫人の訪問が村全体に及ぼした影響は計り知れないものがあった。この日、チェスター夫人がスミス雑貨店にきたのも、新しい帽子を注文するためだったし、彼女と同じ目的で訪れた客は他に何十人となくあった。そしてそれらの人はみな、「伯爵夫人に対して失礼なことのないように」と、ドレスを新調するために色とりどりの絹の反物やリボンやレースなどを次から次へと購入していった――また別の者は街まで出向いて仕立屋に婚礼用の衣裳をしつらえてもらったりしていた。
さらに、男衆もまた「伯爵夫人に対して失礼なことのないように」と、示し合わせたかのように家や納屋のペンキ塗りをはじめたし、またステファン・アーヴィング村長が村の美観を高めるために、村道の縁やめいめいの家の庭先などに花を植えようではないかと提案した。
村長の提案は早速村の議会で受け入れられ、村中の人間がこぞって、家の補修やら納屋のペンキ塗りやら庭の手入れやら芝生や生け垣の刈りこみやらに、暇さえあれば精をだした。このことはロカルノン紙上でも大きくとりあげられ、新聞の第一面を飾るために、わざわざロカルノンから記者がやってきて写真を撮っていったほどであった。
「一体、この騒ぎはどうしたことかしら」
この度の婚礼の主人公であるローラは、どんどん話が大袈裟になっていくにつれて、ますます不安を募らせていた。最初、彼女はジョスリン・フラナガンが若い頃に着た、地味な繻子とレースの白い衣裳を仕立て直して着るつもりであった(夫人は今とは違い、結婚当時は非常に痩せていたのである)。ところが伯爵夫人が結婚式に見えられるということになるなり――村中の女性が虚栄心の虜になっていることにエリザベスやジョスリンも素早く気づいて、それではローラの衣裳こそ、今年最新流行の、伯爵夫人の心に残るような素晴らしいものにしなくてはなるまいよ――と、珍しくふたりの意見が一致したのであった(それまでふたりは、結婚式のあとにだす料理のことなど、小さなことで揉めてばかりいたのである)。
ロカルノンに店を構えるトミーの姉、ジェシカの店では、ロチェスター村からの注文が殺到し、とても裁き切れないため、結局ローラの花嫁衣裳と妹のシンシアの水色の絹のドレスだけを請け負うことにしたのだが、何分日時がすぐそこに迫っているため、他の色々な仕事も遅らせるわけにはいかないしで、職人は全員、ほとんど徹夜に近いような毎日が続いていたのである。
仮縫いの時、ローラはエリザベスとジョスリンと一緒にジェシカの店を訪れたのであったが、彼女の店の隆盛ぶりには驚いた。マネキンが何十体となく並んで色とりどりの煌びやかな衣裳に身を包んでおり、それらの最新式の流行のスタイルを一度目にしてしまうと――自分が持っている衣裳など、果たして服と呼べるのかどうかとさえローラは思った。
ジェシカは赤毛にはしばみ色の瞳をした、感じのいいそばかす顔の女で、母のジョスリンと同じくいかにもざっくばらんな口調や態度とで客と接していた。彼女は何段にもフリルのついた白い絹の衣裳を最初に紙の上にスケッチしていたとおりに、実物も同じように仕立てていた――ローラの細く長い首を彩るレースのひだ飾りや、ほっそりとした腕を包みこむ、大きく膨らんだ袖――それは肘のところでつぼまって、そこのところはリボンと真珠によって留められている。それからローラの腰の細さを強調するように、同じくベルトも左右でリボンによって引き絞られるような感じで留められ、さらにそのベルトにも真珠が散りばめられていたのだった。
「これはまだ仮縫いだから、真珠の数がまだ全部縫いこまれてないけどね、フリルの一段一段にも真珠を縫いこむつもりなんだよ」
ジェシカは待ち針を器用に何本も口にくわえたまま、そう言った。エリザベスもジョスリンも、こんなに美しい花嫁は見たことがないと、ほうっと溜息を着いていたが、当のローラはあまり、浮かぬ顔であった。こんなに派手な衣裳は自分に似つかわしくないし、恥かしいような気がしたのだった。
「あんたみたいな娘と結婚できるトミーが羨ましいよ。よくもまああんなぼうっとしたのが、こんな可愛い娘を捕まえたもんだよねえ。それでもって戦争へいくっていうんだから、トミーはどうしようもない大馬鹿ものだよ。もっとも、でなけりゃミネルヴァ伯爵夫人がロチェスターなんてど田舎に、くることはありえなかっただろうけどさ」
途端、等身大の鏡に映っている花嫁の顔がみるみる翳っていくのを見て、ジョスリンは娘のジェシカのことを肘でつっついた。ジェシカのほうでは、それでも何にも気づかず、たっぷりと引きずるくらい長い裾のほうを、針でもって次から次へと留めていたのであったが。
そうなのである。ミネルヴァ伯爵夫人がローラとトミーの結婚式に出席するのは、実は非常に政治的な理由によるものであった。いくら各地方に兵士の徴募や軍隊への加入を呼びかけても――全体として数がまだまだ不足していた。かといって強制的に若者を兵役につかせるわけにもいかず、またそのためには今の段階では世論の大きな盛り上がりがどうしても必要であった。そこで、辣腕家として知られるミネルヴァ伯爵の細君としては、夫の職務を少しでも助けるため、結婚後、すぐにも出兵しようという夫を持つ花嫁を少しでも励まそうと、宣伝も兼ねて、このようなことを考えついたのであった。
(まあもしこのローラっていう田舎の娘が、ローズマリー家となんの縁もゆかりもなかったとしたら――わたしもこんなこと、考え及びもしなかったでしょうがね)
ミネルヴァ伯爵夫人は、タイターニア発の列車の特等席で、顔を扇であおぎながら、そんなことを考えていた。
(あんな村に、あたしのような者の泊まることができるホテルなんぞはありゃしないだろうけれど――まあ、一応遠い親戚ということで、花嫁が式を挙げるローズ家に世話になるとしよう。それで結婚式の翌日には、クイーン駅から再び八時間揺られて首都まで帰ってこなくちゃならないね。やれやれ、今度の忌々しい戦争が終わるまでは、戦死した家族への弔問だのなんだの、裏方の仕事が色々あって、まったく大変なことさね)
そうなのであった。伯爵夫人がわざわざ慰問に訪れてくださったというので、残された遺族たちは「これで息子の魂も浮かばれます」といったようなことを泣きながら口にするのであったが、伯爵夫人としてはそのような、タイターニア紙のほんの片隅しか飾ることのない小さな記事には、まるで満足していなかった。
だが今度は少しばかり趣きが違うようだ――陸軍大臣であるミネルヴァ伯爵の夫人である自分が、遠い田舎まで出兵することになっている兵士を激励するため、結婚式へ出席――それはある意味、人心をくすぐる美談であった。こんな田舎の一農夫である若者でも、国際情勢を憂い、大義を感じて参戦しようというのである。それも、まだ結婚したばかりの、美しい花嫁を残して!
実際のところ、ローラが非常に美しく、若い花嫁であるということに、伯爵夫人は大いに満足感を覚えていた。タイターニア・クロニクル紙の記者にはすでに手を回してあるし、この結婚式の模様は、新聞の第三面あたりに大きく掲載されることになるだろう――もちろんそれで志願兵の数が急激に増えるだなどとは流石に伯爵夫人も思いはしなかったが、ほんの小さな田舎の村の娘が、結婚の翌日には大衆の大きな関心と同情を集めるであろうことに、何故だか喜びに近い何ものかを不思議と感じるのであった。
一方、ローラはといえば、トミーと婚約を交わした後、ミネルヴァ伯爵夫人が結婚式へ出席されると聞いてからというもの――毎晩のように泣きどおしであった。何故なら彼女はずっと、トミーが考えを変えてくれるかもしれないということに希望と期待を持ち続けており、それが伯爵夫人の結婚式参列によって、惨めにも、木っ端微塵に打ち砕かれてしまったからである。
「伯爵夫人がいらっしゃる以上、トミーは何がどうあってももう、戦争へいくしかないのだわ。新聞にももう、大きく出てしまったし……いくら彼が刈り入れの終わる十月まではここに留まるつもりだとはいっても……ああ!その間になんとか、トミーに考えを変えてもらおうと思ったのに!ミネルヴァ伯爵夫人が憎いわ。もちろん、伯爵夫人としては善意によってきてくださるのだとは、わかってはいるけれど……」
最初、<ひっそりと身内だけで>行う予定であったローラとトミーの結婚式は、ロチェスター村はじまって以来の歴史に残る婚礼になりそうであった。ローラはそのことを思うだに、今から身震いを覚えたし、伯爵夫人の前で何か無作法なことでも演じたらと想像しただけで――胸の鼓動が早くなるのを感じた。
「その点、僕は案外気が楽かもしれないな」と、トミーは結婚式前日の午後、ローラに微笑みかけながら言った。「結婚式の主役はなんといっても花嫁だからね――たぶん僕のことなんか、多くの人は大して見はしないだろう。そういえばレナード牧師もいつになく緊張した面持ちだったな。伯爵夫人の前で言葉をとちったらどうしようと、毎晩のように家でリハーサルしてなさるのだそうだ。奥さんのほうはそれにつきあわされるのにもううんざりしていると、きのうスミス雑貨店に炉格子を買いにいったら言ってたよ」
「そうなの」
ああ、なんて気の毒なレナード牧師!まだ赴任してきて間もない上、村にもすっかり馴染んだとはいえないだろうに、こんな大役を任されることになろうとは!アーヴィング村長に至っては、街から別の、もっと年老いた、年季の入った牧師を招いてはどうかと村議会で発言したそうだが――多数決により、一票差でその案は棄却されることと相成ったのであった。
「大丈夫だよ、ローラ。僕がついてる」
松林荘の玄関口の段々のところで、トミーは隣に座るローラの肩を抱き寄せた。これまでのローラであれば、婚約中であるとはいえ、そのような行為を決して彼に許しはしなかったであろう。だが正直なところをいって結婚式については不安なことがあまりにも多く、実際にトミーのこうした鷹揚な態度――呑気でざっくばらんとした性格には、救われるものがあった。
「明日の結婚式では、わたし、あなただけが頼りだわ――誰もみな浮かれすぎているか、まるで熱病やみのような熱気におかされているかのどっちかで、エリザベスおばさんでさえ、当てにできないのですもの。おばさんたら、毎晩のように居間で、エドおじさんとフレディおじさんと一緒に、伯爵夫人を迎える時の挨拶の練習をしてるの。まるでそれさえ優雅に終えることができたら、あとのことは万事必ずうまくいくとでもいうようにね――トミーもきっと、その至極かしこまった三人の光景を見たら、笑うでしょうよ。本人たちは至って大真面目なのだけれど」
「目に浮かぶよ」
そう言ってトミーは感じよく笑い、美しい婚約者の日向と林檎の混じったような香りのする、波打つ黒髪に自分の顔をうずめた。
ついこの間までのローラなら――彼にライラックの花陰でキスされる前までのローラなら――いくら今松林荘に誰もいないとはいえ、そのようなことをトミーにさせるのをためらったであろう。だが今のローラは完全に虜だった――彼女はルベドが自分に言ったこともこの時にはすっかり忘れていたし、婚礼の準備の忙しさに追われて、カルダンの森からも随分足が遠のいていた。
西の丘陵地帯に夕陽が沈み、ふたりを祝福するように薔薇色の残光が輝いていたが、ローラはそれを見てもトミーの愛ほどには心を動かされていない自分に驚いていた。そして彼はローラの髪に長く接吻したそのあとで、彼女の髪を長い指に一房絡めさせて、こう言った。
「……出征する前に髪を一房、もらってもいいかい?それをロケットに入れて、お守りがわりにしようと思うから」
ローラはただ陶然としたまま頷き、彼の意のままになるように、トミーが唇に口接けするのにまかせた。