第15章
「二か月後に入隊するだって!?」
エリザベスはトミーからその話を聞くなり、食堂の自分の席から勢いよく立ちあがり、そして脱力したように再び座り直した。
「そう言うけどトミー、小麦の収穫だってあるし、林檎だって九月に摘まなきゃならないし……士官学校へいくのは、収穫祭が終わってからって、あんたはそうローラに約束したんじゃないのかい?」
「そうです。でもきのう、陸軍省から通達がきまして、入隊を早めてほしいと言ってきたものですから」
トミーの口調は極めて事務的だった。まるでもうすでに軍人ででもあるかのように、彼は食事をしながら淡々と語った。
「今回の戦争は、本当に人の集まりが悪いようですね。政府のほうでも兵士の給与を釣り上げているみたいですが、配置ミスなども多く、それがますます民衆の軍隊離れを呼んでいるのでしょう。反戦集会もしょっちゅう各地で起きていますし、かといって軍隊を撤退させるわけにもいかないし……陸軍省としては、ひとりでも多く志願兵をかき集めたいというのが、本音なんじゃないでしょうか」
「わたしにそんな難しい話をしてもわかりませんよ」エリザベスは頭痛がしてきたというように、こめかみを手で押さえながら言った。
「それで、ローラはどう思ってるの?まさか賛成だなどというんじゃないだろうね?」
「あたしは……」ローラがエドおじとフレディおじのほうに目を向けると、ふたりはほぼ同時に下を向いて、チキンスープをすすっている。「本当は反対したいけど、最終的には賛成よ。だって、そうするしかないじゃないの。夫が妻のかしらである以上はね」
流石のエリザベスも、聖書の有難いお言葉を持ちだされては、もはや何も言えなかった。エドワードもフレデリックも、またマーシーも、一緒に農作業をしながら、時々そのことについて繰り返し諌めたり、同情に訴えたり、色々したようである。もちろんエリザベスは、ジョサイアやジョスリンにも説得してくれるように頼んでいた。それでも駄目ならもはや――この老いぼれた身に、一体なにができるというのか?
「トミーや、わたしは脳卒中を起こしただけじゃなく、心臓のほうだって年々弱くなっていってるんですからね――あんたの戦死の電報なんか受けとった日には、どうにかなってしまいますよ。だから、ひとつだけ約束しておくれ。必ず生きて帰ってくると。あたしはあんたとローラの子供の顔を見るまでは、死ぬ気はないんですからね」
「もちろんです、おばさん。おばさんはあと、四半世紀は生きられますよ」
「そんなに長生きしたくもないけどね」エリザベスはいつものようにフンと鼻を鳴らした。だが今日は少しばかり、涙まじりだった。
「でもあんたは長生きしなくちゃなりませんよ。フラナガン家は子だくさんかもしれないけど――うちで赤ん坊が生まれたのは、もう何十年も昔の話なんですからね。その楽しみをこの哀れな年寄りからとりあげないでおくれ」
――エリザベス・ローズは、トミーが出征して間もなく、ローラが妊娠三か月の時に亡くなったのであったが、彼女はその子供の誕生を待たずに、再び脳血栓を起こしたのであった。だが、彼女にとってはある意味、それが一番幸福なことであったかもしれない――何故なら、トミーは終戦間際にコレラにかかって死に、ローラはその報せを聞いたショックのあまり、流産したのであったから。
とうとう、トミーが陸軍へ入隊する日がやってきた。結局その日――八月十五日――までに、ロチェスター村から士官学校のあるダーシントンへ出発した志願兵の数は、十七名にのぼった。これはミネルヴァ伯爵夫人の訪問が功を奏したというわけではまったくなく、陸軍の給与のよさによるものであっただろう。志願兵たちは駅舎でレナード牧師から祝福を授けられ、また見送りの村人たちの国家斉唱とともに、汽車へと乗りこんでいった。その誰の目にも涙があった。特に若い息子を見送る母親の顔には――正視に耐えない表情が浮かんでいた。ローラも、最後に笑おうとしたが笑えなかった。
「手紙を書くよ。毎日は無理でも、一週間に一度は必ず――状況の許すかぎりね」
ローラは人目も憚らず、トミーの首にすがりついて、その頬にキスの雨を降らせた。もしこの時、自分が妊娠していることがわかっていたら!あとから何度もローラは繰り返し思ったものだった。トミーももしかしたら考えを変えてくれたかもしれなかったのに、と。
ローラの心は悲しみに押しつぶされんばかりだった。林檎を摘んだり、小麦を収穫したりだとか、そんなのは――雇い人を雇えばすむことだったが、トミーは世界にたったひとりしかいないのだ!けれども同時にローラは、カーキ色の軍服を着た自分の夫が誇らしくもあった。何故なら七月四日のランスロックの戦い以降、反戦ムードは一転し、連合国軍はユーディンに対して一致団結して戦う誓いを新たにしたのであったから。これこそまさしくトミーが、先見の明をもって予測していた事態であった。
「ああ、ローラ。なんて可哀想なんでしょう」プラットフォームに立ちつくしているローラに向かって、涙を浮かべながらドナが両手を広げた。「あなたの気持ち、わたしもよくわかっていてよ――だってわたしもケネスを海軍にとられてしまったのですもの。手紙だってなかなかこないのよ――きっと出しても届かないのじゃないかしら。でも気を落とさずにね。あなたのトミーもわたしのケネスも、必ず元気に戻ってくると、そう信じましょうよ」
ドナは例の毒殺未遂事件以来――心の底から改心し、日々神に懺悔の祈りを捧げて過ごしていた。だから、この時のドナのこの言葉は、本当に心からの、真心によるものであった。しかしローラにはあまりそのようには思えなかった。それだけ自己憐憫の情に陥っていたということもあるが、ドナの眼差しや表情にはどこか、自分以外にも仲間が増えて嬉しいといったような、微妙な表情が浮かんでいるような気がしたからだ。
「きっと……手紙は届くわよ。だって、彼、必ず毎週書くって言ったもの」
「ああ、ごめんなさいね、ローラ。わたし、そんなつもりで言ったんじゃないのよ」
ローラは鬱陶しい蝿を追い払うように、ドナのことを避けると、エリザベスやふたりのおじとともに、停車場へ向かった。何故ドナは昔から、自分の気に障ることばかり言うのだろう?悪気はないということは、わかっているのだけれど。
『あなた、結核だったんですってね。でも大丈夫よ、わたしあなたと仲良くしてあげる。可哀想だからそうしてあげなさいって、ママがそう言ったから』
あからさまに敵意をむきだしにする、アリシアやロゼッタたちよりも、ローラはドナのことのほうが嫌いだった。アリシアやロゼッタたちも――大人になった今では、事情も変わってきただろうが――ドナのことを嫌っていた。しかしローラはのちに、自分のそういう考え方を一切捨てた。ケネスが勲功を立てて海軍少尉として故郷へ帰り、自分の夫の戦死が知らされた時に。
トミーの出征で、ローズ農場の生活は寂しいものになった。毎日の食事は作り甲斐のないものとなり、林檎がいくら艶よく実っても、小麦が黄金色に色づいても――心の中の空虚さは消えなかった。それはトミーがいつもそばにいて、抱きしめたりキスしたりしてくれなければ、決して消えない種類の空洞だった。
ローラはそうした生活に馴れようとしたが、できなかった。裏の森にある池のほとりへいっても、心はあまり慰められなかった。ルベドとの交信も絶え、以前のような強い交わりを自然界ともいつの間にか持てないようになっていた。
トミーからは週に一度、必ず手紙が届いた――実際に戦地へ赴く前の、士官学校で訓練中の彼の手紙は、明るく、希望にあふれた青年のものだった。
愛するローラへ
元気にしてるかい?僕は元気だ――君がそばにいないことを除けば、耐えられないことは何もないよ。集団行動や射撃の訓練、フェンシングやフットボールの授業の他に、ユーディンの公用語であるゼノス語やシオンの公用語であるシリル語の授業なんかがある――毎日ほとんど詰めこみ式に教えられているような感じだね。何しろ軍としてはたったの二か月でにわか兵士を正規軍に加えなくてはならないのだから、無理もないかもしれない。同室の連中ともすっかり仲良くなったし、僕にとって嬉しいことには――美術学校時代に一緒に馬鹿をやったカーティスが、そのうちのひとりであったということだ。
ローラ、そっちではもう、林檎の摘みとりと出荷がはじまっているかい?手伝えなくて、本当に申し訳ない――どうか許してほしい。ローラ、君のことがとても恋しいよ。時々、厳しい教官に叱られる時なんか(僕たちの間では鬼のネルソンと呼ばれて恐れられている
教官だ)、君がどうして僕のそばにいないんだろうって不思議に感じる。そして夜目を閉じる時には、必ず君のことを思う――それと、一日も早くこの忌わしい戦争が終わって、君の元に帰れる日のことをね。
愛しているよ、ローラ。できるなら、毎日でも君からの手紙が欲しい――ローズ邸や村の様子を知らせてくれ。どんなくだらない、ささいなことでも構わないから。
忠実なる君の僕
トミー・フラナガン
ローラはトミーの手紙に、こまめに返事を書いた――そして思いだした。トミーがロカルノンにいる間は、彼のほうがしょっちゅう手紙を書いて寄こしたのに対して、自分は月に一度か二度くらいのペースでしか、返事を書かなかったことを。人生とは不思議なもので、どこかで必ず帳尻が合うようにできているものらしい……そう考えてローラは少しだけ苦笑いした。
親愛なるトミーへ
我が愛する夫トミーへとすべきだったかしら?そんなことはともかくとして、緊急のニュースがあります――エリザベスおばさんが倒れました。先日、林檎摘みをしている時に。体に障るからいいとみんな止めたのだけれど、いくら年をとっても、そのくらいはできると言い張って――梯子から落ちた時、てっきり足を滑らせたか何かしたのだと思ったのだけれど、そうではなかったのです。ローランド医師は、もう長くないとおっしゃいました――おばさんは今、首から下が麻痺した状態で、自分で寝返りさえも打てないの。こんなことは書きたくないけれど、トミー、こんな時あなたがそばにいてくれたらどんなにかってそう思わずにはいられないわ。わたしはエリザベスおばさんのお世話があるので、林檎摘みに専念できないし――結局、ジョサイアおじさんとジョスリンおばさんが果樹園へ手伝いにきてくださいました。エリザベスおばさんは意識だけははっきりしていて、とても嘆いてらっしゃるけれど――ローランド先生が長くないと言っているのを、眠ったふりをしながら聞いてしまったらしく、それを聞いてほっとしたと……そう言っていました。この状態でわたしに世話をかけるのはとても申し訳ないからって。トミー、あなたがいなくて、ローズ邸は火が消えたように寂しいです。早くあなたが帰ってきてくれるようにって、神さまに毎日お祈りしています。考えてみたら、こんなに真剣に神さまにお願いごとをしたのは生まれて初めてかもしれません。
P.S.村の婦人会で、軍に贈り物や寄付をすることが決まりました――それでわたしも時間さえあれば、せっせと靴下やらバザーのためのナプキンやキルトや、そんなものを編んだり縫ったりしています。こうしていると、少しは気が紛れていいみたい。ただ裁縫の会へ出席するのはいささか気が重いけれど――だってわたしくらいの年頃の娘はみんな、崇拝者の話ばかりしているんですもの。早く帰ってきてくださいね、わたしの愛しいあなた。
ローラはこの手紙で、自分が妊娠二か月であるということを、書こうかどうしようか迷いに迷った揚句、結局書かなかった――エリザベス伯母は首から下が麻痺した状態の中でも、そのことを非常に喜んだが――そしてローラはせめて子供が生まれるまで、長生きしてちょうだいと、日に日に精気を失っていく伯母に懇願したが、エリザベスのほうではただ、それまで生きのびたらローラの負担になると、弱々しく微笑むだけだった。
「あたしはね、今日死んでも明日死んだって構やしないんだよ――ローラのお腹の中にトミーの赤ちゃんがいるんだからね。それを知ることができただけでも幸せだよ。トミーはきっと元気に帰ってくるよ。あたしがあの世へいったら――天国の門のところに突っ立って、もし仮にトミーがやってきたりしたら、追い返してやるから、心配いらないよ」
ローラの妊娠については、エドおじもフレディおじも、またジョサイアもジョスリンも心の底から喜んだ。気の早いジェシカなどは、手製のベビー服を送ってきたほどだった。みな、早くトミーに手紙で知らせたほうがよいとせっつくように言ったけれど――ローラは自分の判断で、子供が無事に生まれてから、と考えていた。何故その自分の考えに固執したのかはわからない――そしてあとになってからも、それでよかったのかどうか、ローラにはわからずじまいだった。
トミーが二か月に及ぶ、厳しい軍の訓練に耐え、実際に海を越えて戦地へと上陸せんとする時――エリザベスが亡くなった。生前、村の人々から気難し屋として怖れられていたエリザベスであったが、その荘厳なるお葬式には、町や村の名士がほとんど駆けつけ、多くの参列者が涙を流した。
「あの人は、本当にいい人でしたよ。自分の責任や義務を果たすということにおいて、あれほど厳しく熱心な人はいなかったでしょうよ」
「ローズ家のエリザベスが亡くなったというのは、村の歴史の一幕が閉じられたといっても過言ではないんじゃないかねえ」
確かにエリザベスは、家族は別としても、誰からも愛された経験のない女だった。教会では女執事として監視の目を光らせ――レナード牧師は何より、彼女の叱責を怖れていたくらいだ――日曜学校では子供たちに熱心に教え、婦人会では万事をとりしきって切り盛りしたし、村の行事にはローズ家を代表して率先して協力を惜しまず、また寄付金が募られる際には、必要に応じて、多額のお金を寄付したものだった。
だが村の一部のある者は、これも帽子山の魔女、エメリン・ゴールディの呪いのせいに違いないと噂していた。ローラはそのことを気に病んだ――いつもであれば、そんな気持ちにはならなかったであろうし、何よりトミーさえそばにいてくれたら、おそらく鼻でせせら笑ったことであろう。だが妊娠中ということもあって、ローラは人の噂話というものに対して、少し神経過敏になっていたのかもしれない。
親愛なるトミーへ
先日、エリザベスおばさんの葬儀が、無事終わりました――村のおもだった人がみな出席した、荘厳なお葬式でした……村の一部の迷信深い人々は、これもエメリンの予言を無視したことに対する呪いなのだと噂しているけど……トミー、あなたならきっと笑い飛ばしたことでしょうね。そしてわたしは今、そのあなたの笑い声が聞きたくてたまらないの。
陸軍の所属部署が決まり、それが医療部隊だというのが、わたしは何より嬉しいです。トミー、あなたは銃剣突撃とかなんとか、そういうのにはどう考えても向かないタイプですもの。わたしはあなたの精神が人を殺すことに耐えられるとはとても――とても思えないの。だからとても嬉しい。人を殺すのではなく、救ける側なのですものね。
この手紙は果たして、海を越えてあなたの元にきちんと届くかしら?短い数行の手紙でいいです、きちんと届いたことを知らせる手紙をください。
心からの愛と口接けを一緒に同封して
ローラ・リー・フラナガン
愛するローラへ
あんまり早く手紙が届いたので、もしかしたら驚いたかもしれないね。ここ、ガリューダ半島にある兵舎病院は――一言で言うとしたら、まあはっきりいって地獄です。ただし、君も知ってのとおり、ランスロックの戦いに続いて、ロックスヴィルでも連合国軍は敗走し――その原因を、各新聞社の従軍記者が激烈に暴き立てた。そしてそのことによって、兵士たちの待遇は格段に良くなったのです。絶対的優位といわれた連合国軍側が何故敗れたのかといえば、それは規律の乱れや兵士ひとりびとりの士気の低下、陸軍上層部のたるみきった体質などがあげられるだろう。君も新聞で読んで知っていると思うけれど――世論の高まりによってサヴェージ・ニュートンの首のすげ替えが行われただけだとも人は言うけれど――それでも、僕が指揮下に入っているレオナルド博士の話によれば、現内閣は新聞の報道の力や世論を怖れて、かなり兵士の人権といったものに気を配るようになったのだよ――これで、僕の手紙が何故思った以上に早く君の元へ届いたのか、おわかりいただけただろうか?
永久に、あなたの愛の僕である
トミー・フラナガン
愛するローラへ
ここは地上の地獄です、ローラ――とても不衛生で、そこいら中にノミやウジや南京虫が、我がもの顔で這っています――その上換気も悪く、あたりは腐臭と死の臭いでいっぱいです――僕の仕事は、レオナルド博士について、手術用具などを運び、博士が兵士の壊死した体の諸部分を切断するのを手伝ったり、ウジがわいている部分を綺麗に消毒したり包帯を巻いたりと、そんな仕事をしています。いや、これは医療部隊の仕事の、ほんの一部分に過ぎない――毎日、数百人単位で新たに怪我人が運ばれて来、ふたつある兵舎病院はどちらも、足の踏み場もないほどなのだから――僕はほとんど毎日自分がしっちゃかめっちゃかに動きまわり、できるだけ最善を尽くしてはいるつもりでも――夜には、自分は一体ここで何をしているのかと、自責の念に悩まされることもたびたびです。レオナルド博士は僕のことをとても高く評価してくださるけれど――僕はただひたすら、自分の無力さに日々打ちのめされています。そのことを話すと博士は、国へ帰ったら是非、自分の元で働きながら、医師になるための学校へ通わないかと言ったんだけど――君はこれをどう思う?博士に言わせると僕の手は、典型的な外科医の手なのだそうだ。それはそうと、地獄に一条の光が差してきました――なんと、赤十字看護師団が到着し、その中の看護婦のひとりが、ステイシー姉さんだったんだよ!僕たちは手と手をとりあって、再会を喜びあった。もっとも姉さんは僕の顔色のひどいのに、ひどく驚いた様子だったけどね――「一瞬、どこの誰だかわからなかったわ!」だってさ!ひどいと思わないかい?血を分けた実の弟に向かって……ローラ、この戦争はまだ長引きそうだ。僕はここで冬を越し、春まで生き延びる自信はない。尻尾を巻いて逃げだすようだけど――除隊願いをフォーサイス提督に提出しようと思っている。君は自分の夫のことを、情けない腰抜け亭主だと思うかい?
今すぐにでも君の元へ飛んで帰りたい
トミー・フラナガン
愛するトミーへ
どうかお願い、今すぐにでも帰ってきて!あなた、そんなことをわたしに聞くまでもないでしょう?愛してるわ――愛してるわ――愛してるわ――だからどうかお願い!一日も早く、一刻も早く、一秒でも早く、帰ってきて!それと、あなたが帰ってきたら――びっくりするような、嬉しいニュースがあるのよ!できるなら、それをあなたにクリスマスまでに聞かせたいわ――あなたがそんなひどいところでクリスマスと新年を過ごすだなんて――考えただけでもぞっとしてしまうもの!でも今年は一緒にクリスマスを祝うのは無理でしょうね――だって、この手紙が届く頃にはクリスマスは終わってしまってますものね。そしてあなたが新年をローズ邸で過ごせるかどうかも――きっと難しいのでしょうね。わたしが思うに、あなたのその除隊願いというのは――フォーサイス提督の元に届くまでにかなりの時間がかかり、さらに提督のお許しがでるまでに、時間がたくさんかかるものなのでしょう。わたしはとにかくあなたのことが心配――あなたが恋しいと言っていた、わたしのアップルパイを一日も早くあなたにお腹いっぱい食べさせてあげたいわ。
一日も早い愛する夫の帰郷を願って
ローラ・リー・フラナガン
愛するローラへ
きのう、ステイシー姉さんがレオナルド博士に本当に何気なく「この子は結婚したばかりですのよ」と言ったところ、「早く帰れ!」と怒鳴られた……お陰で、健康上の理由によって、強制送還されることになりそうだ。博士の診断書のお墨つきというわけでね――そして僕はこのことによって博士に借りができた。それでね、ローラ。僕はこの戦争が終結したら、博士のロカルノンにある診療所を手伝うと約束してしまったんだ。もちろん君は反対だろう――何しろ、エリザベスおばさんは、ローズ農場の遺産相続人に君を指名したのだし――それ以外にも色々、難しい問題があるのは僕にもよくわかっている。でもなんにせよ、こうしたことは僕が無事故郷へ帰ってからよく話しあうことにしようじゃないか。こちらはひどく寒い――でも姉さんたち看護師団がきてくれてからというもの、環境は格段によくなっている。以前よりも美味しい料理や清潔なリネン、そうした物資がたくさん運びこまれてきたし、ここにいる看護婦たちはみな、まるで天使のようだ。
心の中に僕の天使をいつも夢見る
トミー・フラナガン
ローラはこの次の手紙に、トミーが無事に帰ってきてくれさえしたら、土地や財産などどうでもよいと書き、またトミーのいるところへなら、どこにでもついていくと熱っぽくしたためた。だがその手紙に対する返事はしばらくなく――その上、そのあと二度も手紙をだしたのに対して、返事を書いて寄こしたのはトミーの姉のステイシー・フラナガンであった。ローラは見慣れない筆跡の差出人の名を見た時、なんとなく不吉な予感がした。
親愛なる我が義妹、ローラさまへ
弟は――コレラにかかり、病いに伏せっております。失礼とは思いましたが、あなたさまがこれまで弟にお書きになった手紙を読ませていただきました……弟は今、とても苦しんでいます。いえ、病気になる以前から、とても苦しんでいたのです。ここに留まって、哀れな傷病兵たちと運命をともにするか、それともあなたの元へとできる限り早く飛び帰るべきか……わたしは弟の病気のことを、まず母に知らせたのですが、母の話によると――あなたは妊娠されているそうですね。わたしはまだそのことを弟に話していませんが、そう聞いた以上、弟は一日も早く帰郷するべきとの結論に達しました。あなたにはここで弟がどれほど人々に慕われ、必要とされているかわからないかもしれません。わたしとしてはできることなら――これは病気にさえならなかったら、ということですが――弟には同志としてここに留まって欲しかったのです。しかし、あなたのお腹に小さな命が宿っている以上、弟が健康を回復し次第、無理やりにでもカルヴィン港から弟を船に乗せたいと思います。また、お返事が送れてしまい、ひどくあなたの心を揉ませてしまったであろうことを心から深くお詫び致します。
ステイシー・フラナガン
「コレラですって!」
ローラはトミーの四番目の姉、ステイシーからの手紙を震える手で読み終えると、暖炉の前にあるソファへ倒れこむように座った。コレラといえば、伝染性で死亡率も高い病気のひとつである。もしかしたらトミーは、今この瞬間にも……。
ローラはそれから一週間、電話のベルが鳴るのをただひたすら恐れた。トミーの死を知らせる電報が届くかもしれないと思ったからである。
(ああ、神さま。あたしの愛するトミーをお守りください。もちろん今回の戦争で、あたしのような思いをしている女は他にもたくさんいることでしょう。その中でも自分だけは特別に、と申し上げることは、わたしにはできません。けれど、どうかトミーのコレラをお癒しください。あの人を健康にならせて、わたしの元へとお返しください。そして子供の誕生をともに喜ぶことができますように……ああ、どうか神さま!)
しかし、このローラの悲痛な祈りは、神なる主に聞き届けられなかった。ローラはトミーが病死したという知らせを、鶏小舎でエドおじから聞き、雪の吹きだまりの中へと意識を失って倒れたのである。
エドおじもフレディおじも、体に障ってはいけないからと、ローラに家事仕事以外はあまりさせないようにしていたのだが、鶏の卵をとるくらいなんでもないと言って、ローラは聞き入れなかったのだった。
その日はひどく冷えこんで、零下十八度にもなり、ローランド医師は栗毛の馬のデニスが引く橇に乗って、白髪の頭を霜に凍りつかせながら、眼鏡を真っ白にしてローズ邸へととり急ぎやってきた。
居間の暖炉近くのソファには、苦しみ呻いているローラと、そのそばにジョスリンがおり、先生がくるとエドおじとフレディおじとジョサイア・フラナガンは他の部屋へと追い立てられた。
「しっかりするんだよ、ローラ」
ぬくもりのある、丸まっこい手でジョスリンはローラの手を祈るように握りしめていたが、ローラの顔色は蒼白で、その息は浅く、十人の子供を産んだ経験のあるジョスリンには、その様子から難産が予想された。
「先生……」ジョスリンは不安と心配の入り混じった目で、ローランド医師のことを見上げた。
「あんまり早すぎるよ。だが、できるかぎりのことはやってみよう」
老医師は、脂汗をびっしり浮かべているローラの額をハンカチでぬぐうと、そこらへんの椅子にあったゴブラン織りのクッションを集めてきて、ローラの腰や足の下に敷きはじめた。
「がんばりなさい、ローラ。この子はトミーの生まれ変わりかもしれないのだからね」
ローラは何度か頷いたが、ローランド医師の言った言葉をきちんと理解していたわけではなく、ただこの苦しみから救ってくれる救世主が現れたと、そう思って頷いただけだった。