第13章
「大体あんたがいけないんですよ、よりにもよってあんな女に招待状をだすだなんて――それもこのわたしに一言の相談もなくね!」
ローズ邸に到着するなり、ローラはこっぴどくエリザベスに叱られた。トミーもエドワードもフレデリックも、また雇い人のマーシー少年も、みな農場のほうへでていた。ローラは昼食の準備をしながら、ただひたすら伯母にあやまるのみだった。
「ごめんなさい、エリザベスおばさん。ただ招待状をみんなだしたあとで――ふと、あと誰かひとり忘れているような気がして仕方なかったの。それで、トミーが山女釣りに夢中になっている間に――こっそり、モミの木のうろのところに、招待状をおいて、その上に石をのっけておいたの」
「あんたって娘は……」
エリザベスはまた卒中を起こしてぶっ倒れるのではないかというくらい、弓型の眉を極限にまで吊りあがらせて、険しい表情をしていた。このことについては誰も同情を示してくれなかったため――エドワードもフレデリックも、トミーですら――彼は帰り道の間、始終無口で、珍しく怒ったような顔をしていた――ローラは孤立無援だった。
「でもわたし……あまりに楽観的すぎるかもしれないけど、これでトミーが考えを変えてくれたらってそう思うの」
「それはありえないよ、ローラ」エリザベスは台所でパン種をしこんでいるローラに向かって、諦め顔で言った。「もちろんあたしだって、もしトミーがそうしてくれたらどんなにいいかと思うよ。そのためにローズ家が村中から笑われることになろうと――そんなことは少しも構やしない。でもあたしやあんたや、あるいはジョスリンが涙ながらに懇願したとしても、あの子はいくだろう――それはもう決定済みのことさね。あの疫病神のエメリン・ゴールディがわざわざ姿を現したことによって、むしろそうなることがはっきりしたくらいだよ」
「あのおばあさん……一体どういう人なの?なんだかお母さんのこと、知ってたみたいだったけど……」
ローラはロールパンを形作りながら、オーブンの鉄板にそれを順々に並べはじめた。スープなどはきのうの披露宴の残り物があるし、足りないのはパンだけだった。
「あの女には金輪際近づくんじゃないよ、ローラ」エリザベスはいつにも増して、厳しい口調で言った。「確かにエミリーは昔、あの女と仲がよかったんだよ。それで、エメリンがロカルノンの貴族の屋敷から帰ってくると、友達として一度帽子山の第十の橋まで会いにいったことがあるんだよ――それでその時、こう言われたんだそうだ。近い将来、あんたは船乗りと駈け落ちすることになるだろうってね。あの娘はそれを聞いて笑ってしまったと言っていたっけ。でも結果は――あんたが今ここにいるとおりだよ。エミリーがいなくなった時、あたしはあの女をどれだけ憎んだか知れない。あの女の予言さえなかったら、もしかしたらエミリーは駈け落ちなんかしなかったかもしれないってそう思ってね」
「じゃあ、マコーマックおじいさんは……」ローラは村で昔から有名な、マックじいさんの娘の話を思いだしていた。
「マイク・マコーマックね。あの男も村でエメリンを憎んでいる人間のひとりだよ。あの女が生んで森に捨てた娘を――マイクが拾ってかわりに育てたんだからね。むしろマイクに借りがあるのはあの女のほうだろうよ。ところがこの娘にも、エメリンと同じ魔女の血が流れていたのかどうか知らないが、霊媒や占いが得意でね、ある時ロカルノンにでていってそれっきりさ。それでもマイクは母親が死んだあと、孤児院に入っていたマーシーのことを探しあてて引きとったんだからね――人はみんなあの男のことを変わり者だと言うが、確かにそうかもしれないね。自分は結婚もせず、独り者で、それなのに二度も小さな子供を育てて――おや、どうしたんだい、ローラ?」
「いいえ、なんでもないわ、エリザベスおばさん」ローラは床に落としたのし棒を拾いあげ、オーブンにパンを入れると、食料貯蔵室からきのうの残り物のサラダやデザート、ポーク・チョップ、ローストポークやローストチキン、コールドビーフなどを食堂に運んで飾りつけることにした。
では、マックおじいさんについて囁かれている噂は、本当のことだったのだ。エリザベスおばさんの話しぶりでは、マックおじいさんとマーシーの間には血の繋がりはないということになりそうだが――少なくともエリザベス伯母はそのように信じている、ということだ――村人たちの噂によればマックおじいさんとエメリンの間に生まれた娘がキャスリーン・マコーマックであり、その孫がマーシー・マコーマックであるということだった。でなければ一体誰が、血の繋がりもない子供をわざわざ引きとって育てるものか?
『おい、エメリン!そのふたりに何を言うつもりだ!』
しかし、あのマックおじいさんの憤慨ぶりからいって――かつてあのふたりが恋人同士で愛しあったなどとは――ローラにはとても思えなかった。いや、もちろん、かつて深く愛しあっていればこそ、憎しみもいや増すということもあるのだろうけれど……たとえば一年中喧嘩していると噂の、村のクレイマー夫妻のように。
「どちらにしても、わたしたちには関係のないことよね?村の中にはマーシーのことを、どこの子とも知れないと言って軽蔑したり馬鹿にしたりする人もあるけれど――あの子は心根の素直な、とてもいい子だわ。それによく働くし、口答えしたりすることも滅多にないし……」
ローラは食堂のテーブルの中央に、今日の朝咲いたばかりの、香りのいいくちなしの花を花瓶に入れて飾った。そしてその馨しい香りにしばしうっとりしながら、ふとルベドのことを思いだした。
(そうだわ。忙しいのを理由に、わたし、ずっと彼に会いにいってないわ。今日の午後、時間があったら、池のほとりまで散歩にいこう)
「いい香りだね、ローラ。くちなしかい?」
台所の隅のほうでローラの主婦ぶりを監督するように椅子に座っていたエリザベスが、しばし目を閉じて、花の香りをかぐように鼻を鳴らした。
「ええ、そうよ。今日の朝、はじめて咲いたの」
これでテーブルセッティングは完璧だった。あとはパンが焼け、正午を知らせる村役場の鐘が聞こえるのを待つばかりだ。そうしたら農場にでている男たちはみな、区切りのいいところで作業をやめて、一旦家へ戻ってくるだろう。
「いい香りだね、ローラ」
トミーはエプロン姿のローラのことを抱きよせると、そう言って頬にキスした。
披露宴の残り物を寄せ集めた食卓であったため、まるでクリスマスのディナーのように豪勢な昼食だった。食堂にはくちなしの香りよりも、パンの焼けた匂いのほうが強く漂っていたが、ローラにはトミーがくちなしの花のことをさして言ったのだということがわかっていた。
食事中の会話はいつものようにエリザベスがとりしきり、エドとフレディの態度はトミーがいてもいなくても、まるで変わりがなかった――ようするに、農作物のことなどで話しかけられでもしないかぎり、ふたりはいつも双子のように押し黙ったままでスプーンやフォークを口許へ運んだ。そしてトミーもそこらへんの呼吸については以前から見知っていたため――時々ローラに意味のある視線を投げかける以外、自分から積極的に会話へ加わろうとはしなかった。マーシー少年に至っては、とにかく目の前にある大好物のプラムプディングのことしか頭にはない。
「しかし、あのエメリン・ゴールディにも困ったものさね。もっともあたしはあの女がどう言おうと、トミーの戦争いきには反対だからね――あんたがもし、あの女の予言を恐れて軍隊へ入るのをやめるっていうんなら、それはそれでいいことだとは思ってるよ」
自分たちの内心の願いをエリザベスが代弁してくれたので、エドとフレディは食事の手をほぼ同時に止めると、トミーのほうを見やった。若い、力のある働き者の男がひとりいるというだけで、農作業が格段に楽になることを、ふたりはこの午前中だけでよくよく思い知らされていたからだ。
「おばさん、僕は……いえ、村をあげてあれだけ大騒ぎしたあとで、僕が陸軍へ入隊しないなんていうことになったら――どうなると思います?フラナガン家はともかくとしても、このことでローズ家は――恥と汚点を残すことになるでしょう。僕はそのようなことだけは、どうしても避けたいんです」
「いや、それはよくわかっとるよ。だがしかしわしらとしてはね……」
エドおじがしわがれ声を押しだすようにそう言うと、あとはまかせろというように、フレディが口下手な兄の言葉を継いだ。
「トミーの気持ちはよくわかる。だが、もしあんたがこの家の名誉を重んじて、いまさらあとには引けないというので、戦争へいくのであったら――わしらとしてはそんなことはやめてほしいのだよ。伯爵夫人の激励を受けたあとで、入隊をやめたということになれば、もしかしたら臆病者と笑う者がでてくるかもしれん。でも他人がどう言おうと構わんじゃないか。ローラがこの若さで未亡人になるだなどとは――想像するだけでもたまらないよ、この娘はわしたちにとっては姪というより、娘も同然なのだからな」
「おじさん……」
ローラはエドおじとフレディおじの言葉を嬉しく思った。それで、ああこれでトミーが考えを変えてさえくれたら……と期待をこめて、自分の前の席に座る夫のことを見やったが、彼の顔には駅からの帰り道と同じ、ローラの理解を拒む、重々しい表情が浮かんでいるばかりだった。
「この話については、またあとで話したいと思います」トミーはナプキンで口許をぬぐうと、席を立ち、
「ちょっとマクドナルドさんの家までひとっ走りいってきますね。きのうの結婚式にドナルドがきてて、メイのことを話したら、ロカルノンに帰る前に一度寄ってくれると言っていたので」
ドナルド・マクドナルドはロカルノン大学の畜産科に籍を置いており、将来的には獣医としてロチェスターに戻ってくる予定の、有望な若者だった。そしてメイというのはローズ農場で飼われている牝の豚で、村の品評会で一位を獲得したこともある、貴重な繁殖豚だった。ここのところ食欲がなく、具合悪そうにずっとごろりと横になってばかりいるのだった。
「いってらっしゃい」
ローラは暗くなった雰囲気を明るくするために、新妻らしく自分の夫に声をかけたが、トミーは左手をちょっと上げただけで、そのまま食堂をでていってしまった。
「ローラ、あとはあんた次第だと、あたしはそう思うよ。夜、ふたりきりになったら、このことをよく話しあうんだね。もしトミーがローズ家の家名に泥を塗りたくないとか言ったら――うまくいって、そんなことは気にするものじゃないと言っておやり。まったく、あの伯爵夫人さえやってこなかったらねえ、話はそんなにややこしくならなかったろうに」
「そうね。そうするわ」
溜息を着いているエリザベスに向かって、ローラは笑顔で答えたが、内心ではローラも嘆息していた。たぶん彼はいくだろう――自分がどんなに言葉を尽くして説得したとしても。そのことがローラには直感で、よくわかっていた。そしてトミーが鉄のように堅い意志を変えないにしても、夜、ふたりきりになったら、エリザベスの言うとおりとくと話し合わなくてはならないと、そう思っていた。